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「人が〔神の前に〕義とされるのは(注1)、律法の行いによるのではなく(注2)、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。
これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって〔神の前に〕義としていただくためです(注3)。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです。」
(ガラテヤ信徒への手紙 2:16 聖書協会共同訳、2018年。〔 〕内、下線は補足)
注1:「人が〔神の前に〕義(ぎ)とされる」
人が神との正しい関係に入れられること、つまり「神に立ち帰って救いにあずかる」ことを意味する。
注2:「律法の行い」
「律法」とは、神の意志による教えと戒(いまし)めのこと。ここでは、「モーセ律法」を指す。
「律法の行い」とは、モーセ律法を遵守(じゅんしゅ)すること。広義には、道徳的、社会的、宗教的、または祭儀的に「正しい」とされる行為(業績)を積み上げること、及びそのことによる自らの正しさと解し得る。
(参考文献:聖書協会共同訳「用語解説」47項)
注3:「キリストの真実によって義としていただく」
前田護郎訳でも、「キリストのまことによって義とされる」と同様に訳している(中央公論社、1983年初版。前田護郎は新約聖書学者、東京大学名誉教授)。
聖書協会共同訳で「キリストの真実によって」と訳された箇所は、従来、「キリストへの信仰によって」と訳され(新共同訳等)、《信仰義認論》の論拠の一つとされてきた。
前田は訳語「まこと」について、訳注で次のように述べている(ガラテヤ 2:16、ローマ 1:15,17、3:22の注)。
「〔原語は、〕普通「信仰」と訳されるギリシア語『ピスティス』で、〔この箇所では〕「まこと」の意。
〔地上で〕イエス〔だけ〕が神へのまこと(真)をつくし、従順を全(まっと)うして〔、すべての人の罪を背負い〕十字架〔上〕に血を流したがゆえ、すべて罪ある者が救われる。」、〔すなわち〕「・・人が信じて仰ぐ〔人間の側の〕信仰〔のゆえに〕ではなく、この彼〔イエス〕のまことによって、神は罪ある人に義を恵まれ〔、人は救われ〕る。」〔 〕内、下線は補足。
* * *
1. 《恩寵義認》-恵みのみによる救い
人は、何によって救済(すくい)にあずかるのか。
自分の善行、宗教的な修養によって救いを獲得するのか(行為義認)。それとも、神への敬虔な「信仰」によってか。
人が救われるは、人間の側の努力・修養(宗教的な悟りや功徳・功績、洗礼・聖餐等の礼典への参与)としての「信仰」によるのではない。
人はキリストの恩寵(おんちょう)-十字架の真実という圧倒的、絶対的な恵み-によって、救われる(神の前に義(ぎ)とされる)。
また、その恩寵を信じ、受け入れる信仰さえも、神の恵みとして人に与えられる。
つまり、絶対他力(たりき)による救いである(注1)。
これが、恩寵(恵み)のみによる救い-《恩寵義認》-の意味するものである。
2. 《信仰義認》から《恩寵義認》へ
無教会の先達たちは、「人は、信仰のみによって救われる」との《信仰義認論》の徹底を旗印(はたじるし)に戦った(ルターの《宗教改革》の徹底としての、第二の宗教改革)。
そして、「教会組織への加入や聖礼典(サクラメント)への参与は、救いに必要ではない」として、《キリストの福音》を制度教会の枠の外、広い世界に向かって解放した。
《信仰義認》と《恩寵義認》は、同一の救いの出来事を二つの側面から言い表したものである。
つまり、《信仰義認》は救済の消息を人間の側から、その信仰に着目して表現したものであり、《恩寵義認》は神・キリストの側から、その恩寵に着目して表現したものである。
(ルター研究所所長・江口再起「宗教改革500年 マルティン・ルター 人生の時の時」参照)
ところが《信仰義認》という表現は、人間の《信仰》の側に比重を置くことにより、歴史上、重大な問題を生んだ。
ルターの宗教改革以来、プロテスタント諸教会は《信仰義認論》を中心的な教義(ドグマ)としてきた。しかし制度教会は長らく、この《信仰義認論》を誤解してきたのではないか。
ルター以後、多くの制度教会は《信仰義認》の命題を逆転させて、「神に義とされる(救われる)ためには人間の側の正しい信仰が必要である」と誤解し、さらに「正しい信仰とは、正しい教義の体系を受容することである」と二重に誤解した、と考えられるからである。
その結果、プロテスタント諸教会は「正しい信仰」の基準として独自の《信条》や《信仰告白》を制定することに腐心し(「純粋な教理」の神学)、どの教義に力点を置くか、またニュアンスの相違によって互いに争い、分裂に分裂を重ね、無数の《教派》を形成してきた(注2)。
このような歴史を直視するとき、われらは、内村鑑三が真のキリスト教に相応(ふさわ)しい新名称として、《十字架教》を提唱したことを思い起こす。
内村は言う。
「キリスト教は元来、十字架の宗教である。・・
十字架は単に、キリスト教のシンボルではない。その中心である。キリスト教の全構造が拠(よ)って立つ、その隅(すみ)の親石である。・・・
まことに十字架が無ければ、キリスト教はない・・・
今やキリスト教でない多くのものが「キリスト教」として通用するこのときに際し、・・・われらは新しい名でキリスト教を呼びたい、との願望を抱(いだ)く。
そして私は、この願望に応じるために、十字架教という名を提唱する。・・」(『聖書之研究』1921年1月の抜粋を現代語化。( )、〔 〕内は補足)
《信仰義認論》の誤用の歴史を顧(かえり)みるとき、われらは内村に倣(なら)い、《信仰義認》に代えて《恩寵義認》という呼び名を提唱したい。
この《恩寵義認》という呼び名は、内村の《十字架教》に即応した呼び方でもある。
3. 十字架のイエスを仰ぐ
いかに努力しても不完全で、罪深い自分。浅薄、しかも深い動機において不純で自己中心。
「人は信仰のみによって救われる。善行は不要」(信仰義認)と説かれても、動揺してやまない自分の「信仰」。
たとえ他の人は救いにあずかることができても、自分だけは救われないのではないかとの疑念が襲う。無力感と絶望に飲み込まれそうになる。
闇の中を一人さ迷うとき、暗雲を貫(つらぬ)く一条の光のごとく、イエス・キリストのことばが響く(注3)。
「労苦する者、重荷を負う者はすべて、わたしのもとに来たれ。
わたしはきみたちを休ませてあげよう。」
(マタイ 11:28、杉山好訳・キルケゴール『キリスト教の修練』白水社、1963年、17項「招き」より。注4)
そして聖霊は、われらの心耳(しんじ)に語りかける。
救いはきみの業(わざ、正しく立派な行い)によるのではない。きみの「信仰」によるのでさえない。
十字架のイエスを仰(あお)げ。
救いは、きみの外にある、ゴルゴダの丘の上、イエスの十字架にある。
十字架上でイエスは世の罪を一身に背負い、血を流しながら、われらのために祈って下さった。「父よ、彼らを赦したまえ」と。
命をかけたイエスの祈りを神は、しっかと受け止め、すべての罪人を赦して下さった。
イエスの十字架の真実(恩寵)によって、すべての人は、きみは、すっかり罪赦されている。神の側ではすでに、きみと和解しているのだ(注5)。
父なる神は、きみが帰り来るのを待ちわびておられる。今こそ、神に立ち帰れ(注6)。
4. 救いの客観性
救いは、神が与えて下さる恩寵の賜物(たまもの)であり、神の純粋な恵みである。われらの側の、何らかの資格や功績、業績によるものではない。「信仰」にさえ、よるのではない。
われらは、《イエスの十字架》に目を注ぐ。
イエスの十字架は、われらの外側、ゴルゴタの丘に立つ。十字架は、われらの《外なる義》、《外なる救い》。
十字架は、われらの主観-内なる動揺や心変わり-に全く左右されることなく、厳然として歴史の中に立つ。
こうして十字架は、自分の業(わざ)、自分の内面を眺めるときには得がたい、救いの客観的な確実性をわれらに与える。
これは、いかなる嵐のときにも漂流から船を守る確かな錨(いかり)である。
そして、十字架に目を注ぐとき、われらは罪の重荷と自己への囚(とら)われから解放され、自由を与えられる。
われらの空虚な魂(たましい)は天来の力で満たされる。伸び伸びとしたくつろぎと軽やかさを与えられる(注7)。
ここから、全く新しい人生が始まる。
5. 純福音としての無条件救済論
無教会においては、この《恩寵義認論》は、洗礼・聖餐を救いの条件としない無条件の救済論と深い所で結びついている。
無教会は明確に、恩寵義認に基(もと)づく《無条件救済論》に立つ。
そして無条件の救済論は、本当に喜ばしい《福音》としての《万人救済》を予想させる(注8)。
一方、プロテスタント諸教会は、表向きは「救いは信仰のみによる」と言いながら、事実上、「信仰だけではダメ」、「救われるためには、信仰プラス洗礼・聖餐式等のサクラメント(礼典儀式)にあずかることが必要」とする条件付き救済論に立脚している(注9)。
制度教会の条件付き救済論は、《祭儀(さいぎ)宗教》の残滓(ざんし)を混じた救済論であり、純福音と呼ぶことはできない。
6. 人間の序列化-《求道者》と《教会員》
「条件付き」救済論は、教会の儀礼(洗礼・聖餐を中心とするサクラメント)の受容程度に応じて、しばしば人を区分し、序列化し、ときに分断する。
制度教会においては、洗礼を受けていない者は《求道者》と呼ばれ、洗礼を受けた《教会員》(「救われた人間」)とは、明確に区別される。
《求道者》は、あくまでも「信者見習い」(「まだ、救われていない人間」)であって、洗礼を受けて初めて「一人前」と見なされる。
この「区別」は、容易に《差別》に転化する。
7. 「聖餐式」の排他性
実際、日本で最も大きいキリスト教団の規約(教憲・教規)は、「聖餐は、バプテスマ(洗礼)を受けた信徒があずかるものとする」と定めている(準則第8条①、( )内は補足)。
この規定を盾に、この教団本部は各教会に対し実質的に、洗礼を受けていない《求道者》が聖餐式にあずかることを禁止するとともに、これに従わない教職(牧師)は排除する方針をとっている。
確かに、教団本部の公式見解に反して、非受洗者の陪餐(ばいさん)を許可している各個教会も少数ある。
だが教団執行部は、未洗礼者への聖餐式開放を公けにした牧師に対し、免職処分で応じている。
(2010年1月26日、当時、横浜市のK教会の牧師であった北村慈郎氏に対し「牧師職免職の戒規処分」が下された。新教コイノニア Vol. 31『戒規か対話か』新教出版社参照)
このように、制度教会の聖餐式に排他的、かつ閉鎖的な面があることは、否定しがたいであろう。
8. イエスの《開かれた食卓》
聖餐式の根拠は、イエスと弟子たちでもたれた《最後の晩餐》とされる(マルコ 14:22~25)。
その背後に、また、その基層にある《イエスの共食(きょうしょく)》は、平等かつ平和で、無限の交わりの可能性に開かれたものであった。
(荒井献著『初期キリスト教の霊性』岩波書店、2009年、68項参照)
当時のユダヤ教社会で「汚(けが)れている者」と見なされた人々や、律法(神の戒め)や神殿儀礼を守らない・守れない《罪人》、《徴税人》、娼婦たちを、イエスは分け隔(へだ)てなく、ご自身の食卓へと招いた。(マルコ 2:15~17、マタイ 11:19)
《イエスの共食》は《神の国の祝宴》の先取りであり、《神の国》の到来を表現する、行動によるメッセージだったのだ。
しかも、「イエスが最期にもった食事(最後の晩餐)は、元来、ユダヤ社会における普通の食事だった可能性が十分ある」。
(荒井献・前掲書71項。E・ブルンナーも同様の見解。( )内は補足)
9. 最初期の《聖餐》-愛餐の中にキリストを迎える
イエスの十字架・復活の後、「原始教会では、〔信徒たちの共同の会食である〕愛餐(あいさん)の中で〔、キリストの死と復活を記念する〕聖餐(パン裂き→食事→杯)が行われた。〔この時代には、愛餐と聖餐の明確な区別はなかった〕」。
(荒井・出村『総説 キリスト教史 1 原始・古代・中世篇』日本基督教団出版局、30~31項からの引用。〔 〕内は補足。コリントⅠ11:20~22参照)
以上の原始キリスト教史の研究成果を踏まえるならば、最初期の信徒たちの《聖餐》について、次のように再構成できるだろう。
信徒たちは、《共同の会食》(愛餐)において、キリストの御霊(みたま)をお迎えして、《神の国の祝宴》の先取りにあずかりつつ、キリストの十字架と復活を記念し、《キリストの再臨》を待望していた。
そこでは、洗礼を受けていない者が排除されることはなかった(注10)。
つまり、礼典(聖餐式)として儀式化する前の《聖餐》は、ささやかな、普通の食事による《愛餐》の中で、その一部として行われたのであり、そこで信徒たちは《主の晩餐》を記念した。
《主の晩餐》を想起しつつ、心からの感謝と讃美を神に捧げたのだ。
10. 洗礼・聖餐の祭儀化と制度教会の発生
ところが、その後の教会史の展開において、洗礼が教会への加入儀礼として儀礼化(祭儀化)されて《洗礼式》となり、また聖餐が祭儀化されて《聖餐式》となったとき、新たな事態が発生した。
洗礼が洗礼式に、聖餐が聖餐式となると、儀礼の「有効性」が問題となった。
そして儀礼の「有効性」を担保するために、儀礼執行者の「正統性」が要求されるようになり、その結果として、教団によって正統性を保証された《聖職者》階級が誕生した。
(現在の日本の基督教団では、《牧師》はさらに、洗礼式と聖餐式を司(つかさど)ることが教団によって認定された「正教師」と、認定されていない「伝道師」に分かれている)
また、教会に集う人々(信徒)の中にも、聖餐式への参加資格を有する者(教団では「陪餐会員」と称する)と、洗礼を受けていないために参加資格のない者(「未陪餐会員」と称する)という信徒区分と序列が生まれた。
同時に、正統とされる洗礼・聖餐式等の儀礼の要件や聖職者の資格、儀礼への参与資格その他、教会の法的・組織的秩序を規定する法制度(教会法、教会憲法)が必要となった。
これらの法制度の整備と共に、教会は次第に法制度的組織体としての体制を整え、最終的に教会の運営と活動は、全体として法制度によって政治的に統制されるに至った(日本基督教団・教会準則 第5章 「教会総会」の規定:「この教会は、教会総会を最高の政治機関とする」。カトリック教会の場合、「司教総会」がこれに相当)。
つまり、洗礼・聖餐の祭儀化を起点として、生けるイエスを中心とした霊的・人格的共同体(キリストの体)としての教会(エクレシア)は、法律的(=律法的)・制度的統制の下(もと)に立つ《制度教会》へと変貌(へんぼう)を遂(と)げたのである。
イエス在世当時、ユダヤ教団は神殿祭儀、律法(神聖な法律・掟)、法的統制機関(最高法院:サンヘドリン)によって自らの鎧(よろい)を固め、地上における「神の代行機関」として民の上に君臨していた。
それに対しイエスは、《神の愛》を体現してユダヤ教団の宗教的な鎧(よろい)を打ち破り、《福音》によって《神の国》(神の王的支配)の到来を宣言した。
またイエスは、キリスト教的「最高法院」を構築して、人々を支配することはなかった。
イエスの時代から2000年を経た今日、キリスト教界はイエスが乗り越えたはずの祭儀・律法宗教に退行していることははない、と言い切れるだろうか。
11. 結語
《神の国の祝宴》の先取りとしての開かれた《イエスの食卓》、そして非儀礼的な、普通の会食による愛餐と聖餐。
翻(ひるがえ)って現代の聖餐式に眼を転じるとき、イエスはそれをどうご覧になっているだろうか。
イエスは人々に《神の国》の福音を説きつつ、同時に、旧約律法の外形的遵守(じゅんしゅ)に固執し《地の民》(アムハ・アレツ)を排除した《パリサイ派》と激しく戦った。
また彼は全身全霊を傾けて、エルサレム神殿の《祭儀宗教》と戦った(注11)。
イエスはうわべで人を見ない。魂の奥底をご覧になる。
そのイエスが、儀礼の外形的履行(りこう)の有無により、人を偏(かたよ)り見られるだろうか(ヨハネ 2:13~22参照)。
われらは《福音》の原点に立ち帰り、法制度的統制の下ではなく、生けるイエスと十字架の恩寵の下に立つべきではないか。
主イエスは、われら一人ひとりを招いておられる。
♢ ♢ ♢ ♢
(参考文献:新教コイノニア Vol. 31『戒規か対話か』新教出版社、2016年。荒井献著『初期キリスト教の霊性』岩波書店、2009年。荒井献、出村みや子、出村彰著『総説 キリスト教史 1 原始・古代・中世篇』日本基督教団出版局、2007年。〔 〕、( )内、《 》、下線は補足)
注1 絶対他力による救い
「他力」とは:『大辞泉』の解説より
①自分以外の者の力。自力(じりき)に対する言葉。
②仏教用語。衆生(しゅじょう、人々)を悟りに導く仏・菩薩(ぼさつ)の、加護。特に、浄土門で、一切の衆生を救おうと発願(ほつがん)した阿弥陀仏(あみだぶつ)の力のこと。
注2 キリスト教史と教理的信仰・生命的信仰
注3 彼方(かなた)からの光
詩歌042 リベラの【Far Away】(クリックしてYou Tube)へ
注4 「来たれ、わたしのもとに」
コルコバード丘のキリスト像
(ブラジル・リオデジャネイロ)
☆The Piano Guys「The Mission / How Great Thou Art 」You Tubeへ
注5 キリストの十字架
注6 放蕩(ほうとう)息子の帰還
注7 天来の力に満たされる方法
注8 万人救済論
注9 エクレシア(教会)とは何か
-キリストの教えと制度教会の教会観-
☆ 制度教会の教会観
ほとんどの制度教会(プロテスタント諸教会)は、教会について「福音が純粋に教えられ、聖礼典が福音にしたがって正しく執行される所」と規定し、「聖礼典(洗礼、聖餐)を与えないものは、教会ではない」との立場を保持している。
実際、徳善義和『アウグスブルク信仰告白の解説』(聖文舎、1979年)では、次のように解説している。
「『福音を説教し、聖礼典を与える』のが教会の機能、働きの基本、中心にほかならない。
〔1530年の《アウグスブルク信仰告白》 第7条に従えば、〕教会はこれらを行うところと言われるし、これをするかどうか、これを純粋に、行うかどうかが、教会であるかないかのしるし(標識)にさえなる。
福音を宣教しないもの、その福音にふさわしく聖礼典〔洗礼、聖餐〕を与えないものは、外見がどれほどすばらしく、人間的な理念や活動がどれほどすばらしくても、教会ではないと知らなければなるまい」。
(徳善義和『アウグスブルク信仰告白の解説』聖文舎、1979年、70項「七、教会を教会たらしめるもの(第7条)」より引用。( )、〔 〕内の補足、下線は引用者による)
以上のように、説教と聖礼典(儀礼)施行を「教会の標識」であると主張する、制度教会の教会観は、16世紀のルター派の信仰告白(アウグスブルク信仰告白)に由来するものである。
この伝統的教会観は、聖書、とりわけイエスに遡源(そげん)するものではない。
☆ イエスの言葉、パウロの教え
以下、イエスの言葉から学び、パウロの教えによって理解を深めたい。
-イエス・キリストの言葉-
「『ふたりまたは三人が、わたし〔イエス〕の名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである』(マタイ18:20)。そこに教会はある」。
(K・バルト『教義学要綱』新教出版社、1993年、177項より引用。原著1947、〔 〕内、下線は補足)
エクレシア(教会)の本質は、このイエスの短い言葉(マタイ 18:20)に道破(どうは)され尽くしている。
イエスよれば、エクレシアは、生けるイエスを囲み、イエスを中心とする信徒の交わりである。
歴史的事実としてイエスは、洗礼と聖餐が教会(エクレシア)の「指標」であるとは、一言も述べていない。
-パウロの教え-
「私たちは数は多いが、キリストにあって一つの体であり、一人ひとりが部分なのです」(ローマ書 12:5)
「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれたのと同じです」(エペソ書 4:4以下)
「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」(コリントⅠ 12:27)
「愛をもって真理を語り、頭(かしら)であるキリストへとあらゆる点で成長していくのです。
キリストによって、体全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働いて、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです」(エペソ書 4:15、16)
E・ブルンナーは、その著『ロマ書』(1948年)において、パウロが教える《教会》(エクレシア)の概念について、次のように説明している。
「教会(エクレシア)、信徒の交わり〔であり〕、それはまさに信徒自体である。・・
彼(使徒パウロ)は、教会(エクレシア)の概念を〔、現代教会のように〕『制度』あるいは組織として、または制度的な団体等として考え〔てはい〕ない。
〔パウロが言うように、〕教会(エクレシア)はキリストの体であり(ローマ書 12:5)、その肢(えだ)は信徒であり、それを結合する統一〔者〕は(エペソ書 4:4以下)、〔制度的規約などではなく、エクレシアの〕主であるキリストご自身である(コリントⅠ10:16、12:27)。
〔つまり、〕教会(エクレシア)とは、全く人格的な概念であり、もっぱら人格から成っているのである。・・
教会(エクレシア)は、キリストの中にあるがゆえに〔生命的・人格的、つまり霊的な〕統一体なのである。
〔そして、〕イエス・キリストは、個々の信徒を結合する〔唯一の〕統一〔者〕である〔。「制度」が統一者なのではない〕(エペソ書 4:15、16)。
同様に、《聖霊》は全体を統合する統一〔者〕であると言うことができる(コリントⅠ 12:4以下、エペソ書 4:4以下)。
さらに《愛》は〔、神・キリストと信徒、また信徒同士を〕結合するものである。・・
〔このように、〕教会(エクレシア)は〔決して〕組織や制度ではない。教会は、〔生ける〕主キリストによって結ばれた信徒の交わり(人格的・霊的共同体)以外の何ものでもない。・・
〔したがって、〕教会(エクレシア)は、その宣べ伝える言葉(説教)またはその礼典から理解されるべきではない〔。
そうではなく、生けるキリストを中心に教会(エクレシア)は理解されるべきなのである〕。・・
〔16世紀のルターの〕宗教改革以来一般に行われてきた、〔アウグスブルク信仰告白 第7条による、〕「教会は神の言葉が正しく説かれ、聖礼典が正しく執行されるところにある」というその(教会の)本質に対する〔非人格的、機能主義的=律法主義的な〕定義は、《異邦人の使徒》であるパウロの全く考えていなかった〔ものである〕」。
(E.ブルンナー『ロマ書』新教出版社、1954年、260~261項「教会・信徒の交わり」抜粋。原著:Emil Brunner,Der Römerbrief(1948)、( )、〔 〕内、《 》、下線は補足)
注10 初期カトリシズムの「新律法主義」
「〔歴史的には、2世紀の使徒教父文書である〕『十二使徒の教訓』(ディダケー)は、聖餐には洗礼を受けた者しかあずかってはならないという規定(9:5)をキリスト教文書で初めて記した」。
(『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2002年、763項より引用。〔 〕内、下線は補足)
「ディダケーでは、非洗礼者を「豚」呼ばわりしている。
これは、2世紀以後に成立する初期カトリシズムの、とりわけキリスト教『新律法主義』を反映した洗礼観である。・・」
(荒井献『初期キリスト教の霊性』岩波書店、2009年、73項より引用。下線は補足)
注11 イエス、《神殿宗教》の終焉(しゅうえん)を予言する
「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。
『あなたがたはこれらの物に見とれているが、〔神殿の〕積み上がった石が一つ残らず崩れ落ちる日が来る。』」(ルカ 21:5~6)
「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。3日で立て直してみせる。』・・・イエスはご自分の体である神殿のことを言われたのである。」(ヨハネ 2:19,21)
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