<信仰入門

無教会入門 004

2015年12月9日改訂

内村鑑三

 

現代語で読む

【 第二の宗教改革 】

原著「宗教改革仕直しの必要」

(注1)

歴史的な予備知識-宗教改革以前の中世ヨーロッパにおいては、ローマ法王を頂点とするカトリック主義(教会)が、キリストの救いにあずかる道はここ以外にはないという絶対的救済機関(ハイルス・アンシュタルト)として、当時の世界を支配していた。

 

しかし、ルターにより遂行された宗教改革によって、各人がキリストのみを媒介(ばいかい)として直接神の救いにあずかる道が開かれたことは、カトリックによる救いの独占を突き破り、各人が直接神の前に責任の主体として立つ個人の開放を実現させたのであった(注2)。ところが、今や、〕

 

現代世界は、宗教改革の仕(し)直しを必要としている。

 

ルターらによる〕16世紀の宗教改革は、阻止された〔未完の〕運動として終わった〔からである〕。

 

宗教改革によって生まれた〕プロテスタント主義(教会)は、〔最終的に、〕制度化され〔て法制度的組織体となり、また聖職者とサクラメント(聖礼典)を残すことによっ〕て、〔自ら〕放棄した〔はずの〕ローマ・カトリック主義に後もどりし〔てしまっ〕た(注3)

 

そして、信条(ドグマ)とサクラメントを中心に据(す)えたプロテスタント主義は、カトリックの場合と同様に、一つの救済機関として神と民の間に介在するようになったばかりでなく、それぞれのドグマに従って異端(いたん)と断定した人々に対する宗教的審問や弾圧を行うようになった。

 

その著名な例として、再洗礼派への弾圧やセルヴェートスの火刑などが上げられる。

 

この点では、プロテスタント主義は、カトリック主義と同じ道を辿(たど)ったのである。

そして、これが教会同士の対立抗争や多くの宗教戦争の原因となったことは、その後の歴史的悲劇が証明しているとおりであり、現代世界においても、なお、ここから由来する争いが全人類の上に波及している。〕(注2)


今や、〕われわれは、〔キリスト教の原点に立ち返ろうとした〕プロテスタント主義を〔その〕論理的帰結(きけつ)まで持ち行く、再度(の、すなわち第二)の宗教改革を必要としている。

 

第二の宗教改革による〕新プロテスタント主義は、その内に〔、自らを救済機関と主張する〕教会主義の痕跡(こんせき)さえとどめない、〔人為的宗教性から〕完全に自由〔なもの〕でなければならない。

 

新プロテスタント主義は、〕制度〔的組織体〕ではなく〔、キリストを首(かしら)とする信徒の〕親しき〔愛の交わりであり、〔宗教〕組織または〔勢力〕団体ではなく、霊魂の自由な交わり 〔すなわち、キリストにある霊的・人格的共同体-エクレシア- でなければならない。

 

実際的に言えば、それは、神の子イエス・キリスト以外の誰をも監督、または牧師と呼ぶことのない、〔また、救済機関としての〕教会を必要としないキリスト教でなければならない。


そして神は、この日本において、このような〔、イエス・キリストのみを信じ仰ぐ〕キリスト教が現れることを望んでおられるのではあるまいか。


人類の霊的向上の歴史における、この新しい試み、すなわち、地の東の果ての国においてキリスト教の根本イエス・キリストその人のもたらした、救いの福音にまで遡(さかのぼ)、これを新たに始めようとする偉大な試みが、われわれ日本人の間で試みられるべきではあるまいか。


神よ、われわれに〔あなたの〕聖霊(せいれい)を〔豊かに〕注ぎ、われわれの内に大望(たいぼう)を起こし、この大事に当たらせてください。

 

 

♢ ♢ ♢ ♢

(「宗教改革仕直しの必要」『聖書之研究』333号、1928(昭和3)年を現代語化。〔 〕、( )内は補足)

 

注1

原著は、英文(英文題名:NEED OF RE-REFORMATION.)。

 

注2

参考文献:高橋三郎「宗教改革の根本問題」、「宗教改革者イエス」『高橋三郎著作集 最終巻』教文館、2012年、p793~797。

 

注3

参考文献:E.ブルンナー「キリストの教団と史上の教会」『教会の誤解』待晨堂、1955年、p116~133。

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