― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年11月5日
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1 生命的信仰
黒崎幸吉(こうきち)は《生命的信仰》を説いているが、彼の生命的信仰は、ブルンナーの《人格的な信仰》と深く共鳴している(注1)。
黒崎の生命的信仰とは、神・キリストとの人格的出会いと交わりによって新しい生命を受け、日々の生活を神の御旨に従って生きる信仰のことである。
黒崎によれば、聖書の中でイエスが《信仰》という場合、それはイエスの前に立った百人隊長や《罪ある女》がイエスに対して示した絶対的信頼の姿勢を指している。
また律法学者、ファリサイ人と戦ったイエスは、心が《生ける神》とのつながりを持たず、生命的一致(神との霊的・人格的な交わり)を持たない場合には、いかに神の御名(みな)によって「善行」を積んでも神は喜ばれず、それはイエスと無関係であることを明白にされた。
そして、黒崎は教理的信仰に対して、生命的信仰を次のように説く。
自己の古い命がイエスの死(十字架)と共に葬(ほうむ)られ、イエスの《復活の生命(いのち)》を受けて甦(よみがえ)った新しい生命のみが、イエス・キリストにある新しい行為(信頼と服従の行為)を生み出すことができる。
神に対する人格的な信頼を基礎とする生命的信仰と、そこから流れ出る信従(信頼と服従)の行為のみが、神に喜ばれるのであって、キリスト教の教義(教理)を受容し確信するだけで、神に対する信従を伴わない教義的信仰であってはならない。
2 キリスト教史と教理的信仰・生命的信仰
黒崎は、教理的信仰と生命的信仰という観点からキリスト教史を概観して、次のように述べている。
いわゆる初代キリスト教の時代以来、コンスタンティヌス帝(紀元306~337年)の前まで、キリスト者たちは周囲を敵に囲まれ、迫害にさらされていた(注2)。
信徒たちは、生命(いのち)がけで主イエス・キリストを仰がざるをえない状況にあった。そして彼らは、堅(かた)く主に依り頼んだ。
彼らは苦難の中で《生けるキリスト》と出会い、キリストを信頼し、キリストから生命力を与えられた。彼らは生命的信仰に生きた。
そして信徒たちは、聖霊に導かれて迫害と戦い、偶像崇拝と戦った。
ところがキリスト教がローマ帝国に《公認》され(313年、ミラノ勅令)、さらに《国教》の地位を獲得するにつれて迫害は止み(380年、テオドシウス帝)、信徒はどのような社会的地位にもつくことができるようになった(注3)。
そして、普通一般のキリスト教道徳を守り、提示された教義を受け容れさえすれば、人は「立派な」キリスト者として通用するようになったのである(教理的信仰への凋落)。
とくにローマ法皇(ほうおう)の権力が増大すると、法皇が認可した教理・信条さえ丸呑(の)みすれば、誰でも「公認」のキリスト者として扱われるようになったため、信徒は、教義的信仰-しかもその教義は聖書の中心をぼかした教会的教義-をもって満足するほかなくなった。
そこでは、聖霊による神・キリストとの交わりは消え、霊と真(まこと)によって神を拝すること(ヨハネ 3:24 口語訳)が消えて、代わりに礼典儀式(聖餐式などのサクラメント)によって礼拝することとなった。
信徒各人が聖霊によって神に導かれ、教えられることから、固定化した教理や信条によって僧職から教えられるようになった(制度教会、教理的信仰の確立)。
16世紀の宗教改革の時代、ルターらは、旧(ふる)い教会主義や律法主義の殻(から)を破り、ふたたび聖霊による自由を獲得して、新生命の信仰に生きた(生命的信仰への復帰)。
しかしローマ・カトリック的な福音の歪曲(わいきょく)との戦いの中で、プロテスタント教会は、改革者たちの教え、特に信仰義認論(人は、信仰のみによって義とされる、救われる)の教理に重心を置くようになった。
同時にプロテスタントは、信仰義認論の命題を逆転させて、神に義とされる(救われる)ためには人間の側の「正しい」信仰が必要であると誤解し、さらに「正しい信仰」とは「正しい教義の体系」を受容することである、と二重に誤解した(むしろ人の信仰そのものが、神からの一方的な《恵みの賜物(たまもの)》である)。
そのためプロテスタントは、「正しい信仰」についての教義体系として《信条》、《信仰告白》を制定することに腐心(ふしん)した(正統主義の「純粋な教理」の神学)。
こうしてプロテスタント教会は早くも、正統主義教会に逆戻りし、信仰を教義の承認と同一視する主知主義的な誤解(教理信仰)が、ふたたび広く行きわたるようになった。
その結果プロテスタント教会は、それぞれの信徒集団が聖書の特定の字句に重きを置いて固有の《信条》、《信仰告白》を立て、相(あい)争って多数の教派が分立するに至った(誤った「聖書中心」主義)。
そればかりか、歴史上、制度教会はカトリック、プロテスタントの別なく、自らの教理・信条を絶対化して人々に迫り、これに従わない者たちに《異端》の烙印(らくいん)を押しただけでなく(《異端審問》)、しばしば苛烈(かれつ)な《迫害》にのめり込んだ(注4)。
今日、多くのキリスト者にとって信仰とは、制度教会の教義や規則を受け入れ、教会の儀式(洗礼式、聖餐式等)に与(あずか)り、教会の指示に従うこと(伝道・奉仕活動等)である。
こうして信仰は、多くの場合、生ける神・キリストと人格的に出会い、新たな生命を与えられて新生命に生きることではなくなってしまった。
その結果、信仰者に新生命が宿らず、その行為は外面的、惰性的、偽善的となった。信仰からほとばしり出る新鮮な力は失われ、信仰の生命、歓喜、希望は枯渇(こかつ)した。
また教理信仰は《教派主義》を生み、本来、一つの体であるべき神の教会(エクレシア)を無数の教派に分裂させ、互いに対立させた。
教派主義は、自己の教派の教理を受け入れることが「信仰」であると考え、自らの教理のみを正しとして他を排撃し、自派の勢力を拡大すること(教勢拡張)が神の御心(みこころ)である、と誤解したのである(注5)。
教理信仰によるキリスト者の無力と教派主義によるキリスト教会の分裂を克服する道は生命的信仰にある、と黒崎は言う。
「それゆえに、この時代においてわれわれが殊(こと)に強調しなければならないことは、〔使徒〕ヨハネの信仰の中心的な本質、すなわち〔イエスの十字架と復活に合わされて、〕イエスの生命を自己に受け(=注がれて)、新しい命に甦(よみがえ)ることによって、そこから自然に力強い行為となって顕(あらわ)れてくるように行動することである。
これこそ〔、生きた〕信仰の行為であり、〔イエスの〕生命から流れ出た生命的行為である(注6)」。
♢ ♢ ♢ ♢
(参考文献:『黒崎幸吉著作集第4巻』新教出版社、1973年、「教義的信仰と生命的信仰」180項、無教会論研究会編『無教会論の軌跡』キリスト教図書出版社、1989年、109~116項、〔 〕、( )内、下線は補足)
注1 エーミル・ブルンナーの《人格的信仰》
神学・論文007 ブルンナー〖キリスト教とは何か〗①へ
注2 キリスト教迫害の時代
紀元64年のネロ皇帝の迫害以後、313年のミラノ勅令(ちょくれい)でコンスタンティヌス帝がキリスト教を《公認》するまで。
3世紀中頃までの迫害の特徴として、民衆主導によってキリスト教徒に対する迫害が起こった例が多い(前期迫害。局地的、断続的)。
デキウス帝以後(3世紀後半以後)は帝国主導の迫害となり、キリスト教徒に対する全国的、組織的な激しい迫害政策に転じた(後期迫害)。
(参考文献:『総説キリスト教史 1』日本キリスト教団出版局、2006年)
注3 教義の絶対化
「《国教会》の成立以来、カトリック教会の教義(教理)は国法ともなった。
教会は、すべての信者に教義への無条件の服従を要求した。これを拒否する者は、《異端者》であるだけでなく、国事犯とされた」(荒井献・加賀美久夫訳 カール・ホイシ『教会史概説』新教出版社、1966年、22項からの引用)。
注4 「異端者」に対する教会の迫害
「再洗礼派は、・・政治的暴動を起こすことを忌避(きひ)した〔のだ〕が、彼らに対しては幾十年にもわたって容赦(ようしゃ)ない迫害が、しかもカトリック〔教会〕側からも福音主義〔プロテスタント教会〕の側からもひとしく加えられた。
無数の人々が火刑・四つ裂き・水死・絞首等の刑に処せられた(最初期の再洗礼派指導者マンツは、プロテスタントの迫害による、最初のプロテスタント殉教(じゅんきょう)者と呼ばれる)。」
(前掲『教会史概説』106項からの引用、*の参考文献:前掲『総説キリスト教史 2』、2006年、218項)。
注5 黒崎幸吉のことば
「人間は、自分一人ですべての真理を完全に認識〔し、独占〕することはできない。
それができると思う人は、自分をイエス・キリストと同一視する人である〔「信仰者だけでなく教派(きょうは)においても、事情は同様である〕」。
「『生命』とは何かということを、定義として〔言葉で完全に〕表現することは難しい。
まして、その生命の複雑〔でダイナミック〕な活動を捕(と)らえて、一定の信仰箇条(教義・教理の条文)に閉じ込めることは〔、本来的に〕不可能である。
生命は、これを言語や文字に固定化することはできない〔のである〕」。
「欧米のキリスト教の大きな〔歴史的〕貢献は、キリスト教の信仰を神学的・哲学的に解明したことであるのは、疑うことはできない。
しかし、ここにまたその限界があり、その限界を限界と自覚しなかったところに、その大きな欠点があった」。
「〔制度〕教会と信条(信仰告白)と教理と聖書の文字の中に、神の恩恵と真理がすべて包含されているかのごとくに考えたところに、信仰の固定〔化、形式化〕とその窒息と〔の根本的原因〕があった。
〔本来の〕信仰は、〔活けるキリスト=聖霊の導きにより、〕それらの束縛から自己を脱却した点にある」。
「信仰は生命である。特定の教理の理解〔や納得、知的承認のこと〕ではない。
したがって無限に異なった〔多彩な〕活動が、その生命から出てくる。すなわち〔時に適(かな)い、〕愛によって働く信仰である」。
「今日の世界の全キリスト教会と、その組織、その人物、その機構とは、まことに膨大(ぼうだい)で絢爛(けんらん)壮大である。
しかし悲しいかな、そこに溌剌(はつらつ)とした生命がない。
主イエスは、黙示録3:14以下にあるように、これをご自身の口から吐き出されるであろう」。
(1960〔昭和35〕年5月、黒崎幸吉『閃光(せんこう)録』新教出版社、1975年186、187項からの引用。〔 〕、( )内、下線は補足、一部表現を変更)
注6 イエスから流れ出る生命の流れ
「祭りの終わりの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、
『だれでも渇(かわ)く者は、わたしのところに来て飲むがよい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう』。
これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊(聖霊)をさして言われたのである」(ヨハネ 7:38、39a 口語訳、( )内、下線は補足)。