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1925年(36歳)頃の三谷

* * * *

〔 1 〕

神が求められるのは、仰(ぎょう)々しい献げ物ではない。ただ、あなたがたの(くだ)かれた魂(たましい)のみである」と古(いにしえ)の預言者は教えた。

キリストが最も悪(にく)まれたのは、ファリサイ徒輩(とはい)(まごころ)を入れ忘れた献げ物であった。

「行ない」、「〔立派な〕行ない」と言って〔自らの〕功績(こうせき)のみを誇る〔、その〕ような態度であった。

パウロが熱誠をこめて広く異邦人の間に宣べ伝えたのは、「人が〔神の前に〕義(ぎ)とされる(=人が神の救いにあずかる)のは、その〔人の立派な〕行い〔、宗教的な功績〕によるのではない、ただ信仰により、〔キリストの〕贖罪(しょくざい)により、神の愛による〔のだ〕」ということであった。

その同じ福音がアウグスチススを救い、また〔中世カトリック教会を相手に、宗教改革者〕ルターを起(た)ち上がらせたのであった。

そのことはキリスト〕信徒の誰もが知っている。

それにもかかわらずキリスト〕教界に「行い」によって起とうとばかり焦(あせ)る者のなんと多いことか。

2 〕

われらがキリスト者として先(ま)ず為(な)さなければならないことは、何か。

何人を〔自分の宗派に〕改宗させ、何円、献金したかというような〔宗教的〕功績をあげることなのか。

キリスト在世の〔当〕時、ファリサイ徒輩は、このように考えて熱心に己(おのれ)の功績〔達成〕に苦心した〈宗教人〉であった。

しかも、このファリサイ徒〔輩〕以上にキリストの精神に全く反した者は、他に〔い〕なかったではないか(注1)。

功績を挙げて、どうしようというのか。
それによって人の前に〔己を〕誇り、またそれ以上に神の前に誇ろうとするのか。

しかし神は、〔己の〕功績を誇る者を良しとされず、ただ砕かれた魂(たましい)のみを喜ばれる

〔 3 〕

たとえば、伝道について考えてみよう。

伝道とは神の〕聖旨(みむね)を伝えて人を神〔の許〕にまで呼び戻すことを目的とするものである。

しかし〔そもそも〕、人〔間〕が〔他の〕人〔間の魂〕を捕(とら)え、独力〔で〕彼を神の聖前(みまえ)に連れ返ることができる〔だろう〕か。

もし、できる〔という〕ならば、伝道とは正(まさ)に、人〔間〕の事業である。〔それは、〕神の前で誇るに充分に値する事業である。

しかし、偉大な伝道者たちの一致した経験〔が教えるところ〕は、人を神〔の許〕に連れかえる者は常に神御自身であって、決して人ではなく、〔また〕伝道者ではない〔という〕ことであった。

伝道者は、自分さえも救うことができなかった。ましてや他人〔を救うこと〕など、なおさら〔不可能〕である。

ただ彼らは、神が自分を救ってくださったこと、その一事(いちじ)を確実に体験し、鮮(あざ)やかに記憶した人々であった。

その体験と記憶のまざまざしさ、その歓喜の抑えがたさに、座して沈黙することに耐えられなかったのが彼らである。

それゆえに、彼らは起〔ち上が〕った。
って、
(みずか)らの恩寵(おんちょう)の体験を〔率直に〕語った。感謝の至情(しじょう)を〔人々の前に〕吐露(とろ)した。


喜び〕溢(あふ)れて神を〔誉め〕讃(たた)え、神の愛を〔人々に〕宣(の)べ伝えた
それが彼らの伝道であった。

               

ゆえに彼らは、自らの力を当てにして何らかの業績を上げようと焦(あせ)る事業家の群れに数えられるべき〔人々〕ではなく、むしろ終日、琴(こと)を弾き歌をうたって、美を称(たた)える詩人の群れに属すべき者である。

〔 4 〕

そもそも〔人が〕人を救おうなどと考えるのは、僭越(せんえつ)である。

われらは自らが救われた事実を〔身に覚えのあることとして〕知っている。〔われらは、〕その経験、その喜びを率直に〔人々に〕物語るのみ

われらは自らの力を振〔り絞〕って、人を導くのではない。神の驚くべき力と恩恵(めぐみ)を〔心の底から〕讃美するのである。


(おお)いなる讃美が〔すなわち、〕大いなる伝道である。讃美のないところに、伝道はありえない。

イエス〔身に〕纏(まと)え。主〔のいのち〕を飲め。主の光をきみの内に充満させよ。そうすれば、おのずと大伝道が始まるであろう。

きみ自身がイエスを〔魂の内に〕充分、お迎えできていないのに、どうして人に〔救い主〕イエスを伝えることができようか。

西洋の古いことわざに、「〔他を〕教えて、初めて〔自分も〕学ぶ」というものがある。確かに、〔これは〕真理である。

しかし、ある偉大な哲学者は言った。
それ以上の真理は、「〔まず自分が〕学んで、初めて〔他を〕教える〔ことができる〕」ということである、と。

この言葉の意味は、教師が一生懸命、勉強していれば、その一事だけで学生を教えるのに十分だ、ということである。

言い換えれば、教えよう〔、教えよう〕と焦(あせ)らないで、〔まずは〕自分が〔しっかり〕学ぶことを励みなさい。〔そうすれば〕そのことがまた、そのまま他を教えることになるのだ、ということである。

学問においてさえ、そうである。まして信仰のこと〔、特に伝道〕においては、なおさらである。

伝道は〔実に、〕対外問題ではなく、対内問題である〔。他者に対する問題であるよりは、自分に対する問題である〕。

 

ゆえにまず、きみ自身に〔深く〕伝道せよ。そうすれば、その伝道は自(おの)ずから、きみの兄弟姉妹〔たち〕に及ぶだろう。

〔 5 〕

私はある恩師から講義術の要諦(ようてい)を授(さず)かった。

それは次のようなものである。〕


講義をする時には、先ず、自分自身が充分理解することに努める。その上で、それを自分自身の耳に〔対して〕充分、納得いくように説明する。

それだけよい、というのである。


それ以来、私は恩師の教えを守るべく努めている。

だから私が講義する時は、いわば独(ひと)り言をやっているに過ぎない。

ある人には、〔私の講義は〕分からないかも知れない。
しかし私が自分自身に対して充分納得いくように〔話し、〕解説しても、それでもなお、その間の論理の分からない人に対しては、私は結局〔のところ、〕講義する能力を欠いているのである。

その場合、〕私の頭が間違っているか、または彼の〔頭〕が間違っているか、どちらか一つである。

いずれにせよ、〕私は自分自身が理解できないような難問を、他〔の〕人に解説することはできない。

〔 6 〕

伝道は、恩寵の体験の〔生きた〕解説でなければならない。

そして、〕解説の最も有力で自他を誤ることのないものは、個人の生活そのものである。

言葉は〔自他を〕欺(あざむ)きやすい。しかし生活は欺かない。生活(=その人の生き様)からほとばしり出る言葉には、特別の権威がある

人は〔自らの真の姿を〕隠すことなどできようか〔。隠すことはできない。真の姿は、早晩、人前に露(あら)わになるだろう。それは、自らの生き様に表れるざるをえないのだから〕。

自らの恩寵の体験を豊かにせよ。それ(恩寵の体験)は自分自身にとっても、必要不可欠の栄養である。

そして、このようにして自分自身に(しっかり)栄養をつけること、それ自体が、われらの為(な)しうる最大の伝道である。

ある場合には、〔人前で〕一言(ひとこと)も言わなくてもよい。〔人前に〕一歩も出なくてもよい。ただ〔その場に〕在(あ)って、生きているだけでよい(いわゆる "Being Christian")。

結局のところわれら自身が恩寵のもとで〔霊的に〕豊かにされることに勝(まさ)って、力ある伝道はない〔のである〕。

7 〕

〔それ〕ゆえに見よ。
最も偉大なる伝道は、しばしば瀕死
(ひんし)の病人がしたではないか。無力で貧しき者、無学な者がしたではないか。

また〕見よ、幾多(いくた)の大説教家の大雄弁が、時に、キリストを宣べ伝えるのに最も無力で貧弱であることを。

ここに、真実なるイエスの僕(しもべ)一人を生きさせよ。〔また、〕その二人また三人を相(あい)結ばせよ。

その時〔人は〕目撃するだろう。彼らの周囲に、イエスから発する光の波〕が次第、次第に拡がるのを。

この少数の忠信(ちゅうしん)なるイエスの僕たちがイエスと共に生きる、その事実は、暗夜の燈火(ともしび)のように四方に輝き出(い)でざるをえない

そして多くの人々を惹(ひ)きつけざるをえない。    

   
山の上の町は隠れることはできない。〔それは、どこからでも見える〕」(マタイ5:14b)。

このような忠信なる生活がありさえすれば、人は〔真実の〕道を求め来る人々(=求道者)の多さに困るほどだろう。

8 〕

伝道の〔宗教〕事業化は、詛(のろ)うべきである。

事業化はすなわち、人業(じんぎょう)化である〔。神の業(わざ)を人間の業に変質させることである〕。

それゆえ、〔いわゆる伝道「事業」が〕業績を追い、分量(=新規受洗者数、献金額、教勢 etc)を気に病(や)む〔のは、必然である〕。

詛うべきは、伝道の人業化である。

人を救うという〕神の聖業(みわざ)をその大いなる御手(みて)から奪い取ろうとする者は〔一体〕、何者か。

すべての栄誉(えいよ)は、主にのみ帰せよ

決して、われらに自らの栄誉を求めさせてはいけない。決して、〔宗教的〕功績を追わせてはいけない。

与え、神取りたもう〔。人の思いをはるかに超えて、神は驚くべき御業(みわざ)を成し遂げられる〕。

われら〔自身〕には、ただ、神を讃(たたえ)えさせよ。

われらが為(な)しうる唯一の伝道方法は、これである
心から神を誉
(ほ)め讃えること - 心から

♢ ♢ ♢ ♢

(原著「伝道神髄」『問題の所在』岩波書店、1929〔昭和4〕年9月収載、『三谷隆正全集 第一巻』岩波書店、1965〔昭和40〕年9月、145~149項を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足)

語注1 神髄(しんずい)
その道の奥義、ものごとのいちばん中心にある大切なこと。

語注2  仰々(ぎょうぎょう)しい
見かけや表現がおおげさである。

語注3 徒輩(とはい)
仲間の者。やから。

語注4 至情(しじょう)
この上なく誠実なこころ。まごころ。

語注5 恩寵(おんちょう)
人を救おうとされる神の恵み、慈
(いつく)しみ。

語注6 僭越(せんえつ)
自分の身分・地位や立場、権限をこえて出すぎたことをすること。

語注7 要諦(ようてい)
物事の最も大切なところ。ようたい。

語注8 忠信(ちゅうしん) 
誠実で、偽りのないこと。
                             
語注9 事業(じぎょう)
利益を得るために、一定の目的と計画をもって経営する仕事。

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1 イエスのファリサイ派批判
「禍
(わざわい)なるかな、あなたがた偽善者、律法(りっぽう)学者とファリサイ派よ。

あなたがたは、改宗者を一人つくろうとして、海や陸を巡(めぐ)り歩くが、改宗者ができると、自分よりも倍も悪いゲヘナ(別訳「地獄」)の子にしてしまうからだ

(マタイ 23:15)

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