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聖書は神が人類に与え給うた最大の賜物(たまもの)であって、聖書を離れてはキリスト教はなく、信ずることもあり得ない。


信仰は学問ではない。信仰は神の愛、すなわちキリストの十字架をもって人類に示された神の恩恵を、幼児のごとく素直に受け入れることであって、それ以外の何物でもない


それにしても、信仰が生きた人生の事実である限り、多くの動揺をきたすことも、われわれが実生活において、しばしば経験するところである。

 

この動きやすい信仰を〔確固たる〕巌(いわお)の上に置くためには、信仰にある筋を通すことがどうしても必要であり、その最良の役割を果たすものは聖書の研究である。


かくて聖書の一言一句をもゆるがせにせず、丹念に掘り下げて研究し、それを基礎として全体の意味を了解することが、信仰生活の上に極めて大きな意味を持つこととなる。


ここに『マルコ福音書註解』第1号を世に送る。・・この号においても、後に続いて毎月発行される分冊においても、終始一貫して前述の趣旨のもとに筆を進め、できうる限り懇切丁寧に説明するように努めた〔注:註解は、A5版1,700ページを超える膨大なものとなった〕。

 

これが現代における平信徒の参考書の一つとなることを私は期待する。・・・

 

神の御祝福により、この小著が聖書に親しむ人々のよき伴侶になるようにと祈ってやまない。

昭和41(1966)年4月10日

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出典:豊田栄著『マルコ福音書註解 1みすず書房、1984年、「序言」より。( )、〔 〕内、下線は補足)

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