人物・評伝

評伝 009

2019年8月25日改訂

矢内原忠雄

 

故三谷隆正君告別式辞

​1944(昭和19)年1月20日、麹町女子学院講堂(東京千代田区)にて

​人物003〖三谷隆正〗

* * * *

1

〔1-①〕

三谷隆正(たかまさ)君が後輩である私に自分の告別式をやらせるという御意思をお持ちになったのは、どういうわけか私は詳しく知りませんが、同君の愛する弟であり、今フランスにおります三谷隆信(たかのぶ)君が私の旧(ふる)き学友であるという縁故(えんこ)によるのか、それともまた同君が子供のように愛した、甥(おい)の川西瑞夫(みずお)君の告別式を、ちょうど昨年1943(昭和18)年の今頃〔の〕2月15日に、私が司(つかさど)ったということを思い出されたからか、いずれにせよ不肖(ふしょう)の私に、この大きな役目が落ちかかったのでございます。

〔1-②〕
このような重大な責任を負わされた私の心には、太平洋の大浪(おおなみ)が岩に打ち当って砕ける怒号(どごう)のごとき叫びをもって、激しき感情が暴(あら)び狂っているのであります。


私の感情を率直に申しますならば、私は三谷君の柩(ひつぎ)を揺さぶって、君を揺さぶり起して、君の遺族とまた我々の手に〔君を〕取り戻したいのであります。

 

なぜならば、〔第一に〕君は現在のわが日本国に〔どうしても〕必要な人間であります。第二に君は〔今、〕死ぬべき人間でないからであります。

〔1-③〕
君は、真に真理を愛した人であります。

真理を愛し真理を悦(よろ)んで、しかもその悦びに溺(おぼ)れることなく、熱烈にこれを証明し、〔すべての人が真理に聴き従うべく〕真理のために闘(たたか)った人であります。

 

君は、真の意味に於けるフィロソフォス(philosophos、真理を愛する者)でありました。


また、〕君は、正義を愛した人でありました。

正義・道徳に対する君の理解と信念は厳粛(げんしゅく)そのものでありました。真の意味において君は、義人(ぎじん、義(ただ)しき人)でありました。


加えて〕君は、神と人とを愛した人であります。〔すなわち〕君は、真の意味において信仰の人でありました。

 

君は静かに神を信じ、しかも君の衷(うち)には熱い伝道〔の〕心がありました。もし君の健康さえ許したならば、君はさらに積極的に伝道する意思と願望を持った人であることを私は知っております。

〔1-④〕
今日の日本において、真理を守ってこれを維持する人間は絶対に必要であります。


中世〔ヨーロッパ〕において真理を維持し、これを後〔世〕に伝えた者は僧侶(そうりょ)であったと言われますが、君は静かなる真理を学ぶ者としての僧侶の役目に加えて、《初代教会》の熱烈たる信仰の証明者としての《使徒》の役目を兼ね備えた人でありました。


国家存亡の危機にある〕今日の日本において絶対に必要な者は、正義の堅(かた)き把持(はじ)者であります。

 

日本社会の〕すべての混乱と動揺の中にあって、動くことのない、落ち着いた正義の士。人が仰(あお)ぎ見るべく、〔そして〕立ち帰って依(よ)り頼むべき底(てい)の人物。


旧約聖書創世記19章〕にアブラハムが神に向って、〔退廃の町〕ソドムの中に〔、もし〕50人の義人がいるならば、〔それでも〕神〔様、あなた〕は町〔全体〕を滅ぼされるのですか云々(うんぬん)、と〔訴えたと〕いう問答がありますが、わが三谷君は〔、日本〕国を真の安全と興隆(こうりゅう)に導くべき義人でありました。

〔1-⑤〕
君の生涯は、内に熱く烈(はげ)しきものを湛(たた)えた静かさ〔そのもの〕であります。

それは、〕静かさの中に力の龍(こも)ったもの、熱さの龍った静かさでありました。


「〔神ヤハヴェに立ち帰って〕静かにすれば、あなたがたは救われる。動くことなく〔ヤハヴェに〕(よ)り頼めば、力を得(え)」という預言者(よげんしゃ)イザヤの言葉(イザヤ書30:15)〔の生きた実例〕を、我々は三谷君に見たのであります。

 

そしてそれこそ、今日のわが国に〔絶対に〕必要な精神ではありませんか。
 

〔1-⑥〕
君はキリストを信ずる信仰によって、〔神から〕永遠の生命(いのち)を与えられました。君の存在を見ますと、生命そのものを見〔てい〕るかのような感じがするのであります。

 

静かに、しかも力強く生きた人。慌(あわ)てることなく騒ぐことなく、しかも眠ることなく弛(たゆ)むことなく生きた人。これが君の生涯であります。


日本の義人を日本に返せ! 生命(いのち)の所有者〔、三谷君〕に〔彼の〕生命を返せ! 

私はそう言って、喚(わめ)きたいのであります。

 

2

〔2-①〕
(ひるがえ)って三谷君の生涯、ことにその臨終(りんじゅう)の有り様を考えますと、先ほど履歴(りれき)のご朗読にもありましたように、実に静かなものでございました。

 

君は死については、一言も、語らなかったのであります。


(かたわ)らにいた人が〔こう〕申しております。
聡明
(そうめい)あの方のことですから、自分の死〔期が近いこと〕を知らなかったはずはないと思いますが、死については一言も語りません〔でした〕」と。


三谷君は〔はたして〕己(おのれ)の死を意識したのか、〔それとも〕意識しなかったのか、〔周りの者には〕少しも分からない。

 

死を超越する」と言いますけれども、〔三谷〕君は死を意識し〔、そうし〕て〔後、〕これを超越(ちょうえつ)したのではありません。死ということは、三谷君には〔最初から〕問題でなかったように見受けるのであります(注1)


〔2-②〕
死の床においても、君は相変らず〔他の〕人のことを思い〔やり〕ました。

 

最後の息を引き取られる3時間ほど前に、私は〔君に〕お目にかかることができたのですが、あの潤(うるお)いのある聡明な目を大きく〔見〕開き(注2)、〔枕頭を囲む者たちの中から〕私を見分けて、細い声で「君の健康〔状態〕はどうか」と尋(たず)ねたのであります(注3)


また、〕先程もお話がありましたけれども、療養中、家人(かじん)が「苦しいですか」と聞きますと、必ず「苦しくない」と静かに答えられたそうであります。


ある時、よほど病気が苦しかった時であろうと思いますが、静かにこう言われたそうであります。

「〔病気よ。私を〕打(ぶ)つのかい。乱暴なことをするねえ。さあ打(ぶ)つなら、お打(ぶ)ち」

 

心臓が衰弱していた君ですから、よほど苦痛だったのだろうと思いますが、そう言って静かに笑いながら寝返りをされたということであります。


〔2-③〕
このようにして静かに眠った君が、私に向かって言っているように思う。


君、誰に向かってそんなに怒(いか)っているのだい。神様のなさることには、〔分かっても、分からなくても〕従わなければならないよ。」


本当に私は、誰に向かって怒っているのでしょうか。

 

君の病気をろくに見舞わなかった私自身の不真実に向かって、私は腹を立てているのかもしれない。

あるいは、君が生涯をかけて証明した真理に対し、この国〔の〕民が冷淡頑固(がんこ)であって、未だ〔に〕心の門を開かないことに向かって、私は怒っているのかも知れません。

〔2-④〕
しかし三谷君の生と死とを〔じっと〕考える時、私は静かに神を仰(あお)ぎ見ざるを得なかったのであります。

もろもろの天は神の栄光を語り、
大空は御手
(みて)の業(わざ)を示す。


この日は言葉をかの日に伝え、
この夜は知識をかの夜に告げる。


話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
その響きは全地に行きわたり、その言葉は地の果てにまで及ぶ。


神は太陽のために、そこに幕屋(まくや)を設(もう)けられた。
太陽は花婿のように喜び勇んで祝いの部屋を出て、
勇士のように喜び勇
(いさ)んで〔天の〕道を駆け抜ける。


太陽は天の果てを出で立ち、天の果てにまで行き巡(めぐ)る。
何物もその暖
(あたた)まりに触れないものはない〔詩篇19:2~6〕。

〔2-⑤〕
世界は〔いかに〕暴れ狂っておりましても、太陽は毎朝、東より出て天を運(めぐ)って西に返る。話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、真理の声は〔全〕地を覆(おお)っている。


三谷隆正君がこの世に来た時、〔君は〕天の果てより生れ来て、神の恵み、神の選びによってわが日本国に生れ来て、その生涯のコースを走り終えて、神が花婿のために設けられた幕屋(まくや)の中に、君は今、入っていったのであります(注4)

 

その間、君に接した者は誰であれ、〔また〕君の教えを受けた者は誰であれ、君の心の温(あたた)まりに触れなかった者は〔一人も、〕いないのであります。

〔2-⑥〕
三谷君は〔天地・宇宙の創造主である〕ヤハヴェの教えを喜び、これを金(きん)よりも、多くの純金よりも慕(した)い、〔また〕蜜よりも、蜂の巣の滴(したた)りよりも甘い真理の味の甘さと楽しさを知った人であり、そしてこれを〔世に〕証(あか)しした人であります。

このような人は〔神〕ヤハヴェの教えを喜び、その教えを昼も夜も想う。

 

その人は流れのほとりに植えられた樹(き)のように、期(とき)が来ると実を結び、その葉も凋(しぼ)まないように、その為(な)すところは皆、栄える〔詩篇1:1~3〕。

と〔旧約聖書の〕詩篇第1篇にありますが、三谷君の為したところ、証ししたところは、流れのほとりに植えられた樹のように、立派に栄(さか)えて〔、決して〕凋まないのであります。

〔2-⑦〕
誰が〔知らずに犯した〕自分の過(あやま)ちを知ることができましょう。どうか、隠れた罪から私を解き放(はな)ってください。


また、あなたの僕(しもべ)を引きとめて故意の罪を犯させず、
これに支配されないようにしてください。


そうすれば、私は瑕(きず)なき者となって、
重い咎
(とが)から離れ、清くありえましょう〔詩篇 19:12,13〕。

三谷君は神とキリストを信じ、己(おのれ)のすべての罪を赦され、清く瑕(きず)なき完全な者として神の御手(みて)に受け容(い)れられ、〔そして〕神の平安の中に〔天に〕召されて、〔今、〕キリストの愛の中に永遠に生きているのであります。


三谷君は〔世の「指導者」たちとは異なり、〕暴(あら)ぶる言葉を用いませんでした。彼の生にも死にも、些(いささ)かも芝居(しばい)がかったジェスチャーはありませんでした。

 

太陽の光線が暖まりと熱に満ちながら極(きわ)めて物静かであるように、君は〔静かに〕道を説(と)き、人を愛し、人を教えたのでございました。

そのような生涯を送って、今、君は天に召された〔-永遠の御国(みくに)移された-〕のであります。

 

君は死んだのではありません。君は《永遠》を生きたのであります。〔そして、〕今も生きているのでございます。

 

3

〔3-①〕
自分のことを申して恐れ入りますが、昨年私は、『アウグスチヌス「告白」講義』という本を出しました(注5)

 

その〔本の〕広告の中に書いた短い言葉を、少し読ませて頂きます。

始め私は『告白』の講義を試(こころ)みようとした時、三谷隆正氏を訪ねて、これを講義することの困難を訴えた。

 

すると、〕この尊敬すべき先輩は私を励まして、『アウグスチヌスを研究することは、彼をナッハレーベン(〔Nachleben、〕彼の足跡を歩みつづける〔、彼を手本にして生きるの〕意)することである。

彼をよくナッハレーベンする者が、〔すなわち〕彼をよく研究する者である。』と言われた。」

こう言って〔君は〕私を励ましてくれたのであります。

 

三谷隆正君を愛し、君を思う者もまた、君をナッハレーベンするほかありません。

三谷君がこの世〔の旅路〕を歩んだように私どもも歩み、彼の生きたように生きるということが、すなわち、我々に対する君の友情に応(こた)える所以(ゆえん)であると〔私は〕信じます。

〔3-②〕
こうして考えますと、私の騒ぎ立った心、何かに〔向かって〕憤激してやまない、三谷君の死に当って沸(わ)き返った私の心は、君の静かなる生涯に教えられまして、〔我々の所に〕君を取り戻すのではない、我々が君の跡(あと)を歩いて行くのだ。〔三谷〕君が生きたように〔我々も〕生き、君が今いる所、〔すなわち〕天〔の御国〕にまで我々が歩んでいくのだ。

 

そうすることが、君を永遠に追憶(ついおく)する所以(ゆえん)である。〔また、〕君の友人として、君の後輩、〔そして〕君の門弟(もんてい)として、君との友情を永遠のものとする道である。


そうすれば、君の生において神の御栄(みさかえ)が現われたように、君の死においても、君の死後においても神の栄光が君によって顕(あら)われる。

 

また君の死によって我々自身が、神と〔神にある理想の日本〕国のために一層奮起(ふんき)する機会となるのだと信じます。

 

これ以外に、私が君の愛に応(こた)えて、今日(きょう)、君を天に送る告別の辞(じ)はないのであります。(速記)

 

 

♢ ♢ ♢ ♢

(『嘉信』第7巻第3号・1944(昭和19)年3月、南原繁・高木八尺・鈴木俊郎編『三谷隆正-人・思想・信仰-』岩波書店、1966(昭和41)年、369~375項。聖句および一部表現を現代語化。( )、〔 〕内は補足)

注1 使命と生命(いのち)

信仰と人生005三谷隆正〖病床の友に送る〗

注2 当時の矢内原忠雄の健康状態

その頃(戦時中、『神の国』講演が決め手となって大学を追われた頃)の〔矢内原〕先生は、慢性〔の〕下痢を患(わずら)われ〔て痩(や)せ細り〕、あたかも墓場から出てきた人のようであられました。

痩せたソクラテス』どころではなく、本当にいたいたしい感じがいたしました。〔まさに、〕『彼は卑(いや)しめられて、人に棄(す)てられ、悩みを知り悲哀(かなしみ)の人であった』(イザヤ 53:3、関根正雄訳)であられました。

 

民の罪のため贄(にえ)となられた先生は、日本国の運命を象徴されるもののように感じました。」

(茨城キリスト教大学元教授・伊藤祐之「『神の国』講演当時の思い出」、南原繁・大内兵衛・黒崎幸吉・楊井克巳・大塚久雄編『矢内原忠雄-信仰・学問・生涯-』岩波書店、222~226項より抜粋。( )〔 〕内、下線は補足)

 

評伝005〖矢内原忠雄〗

注3 三谷隆正の容貌(ようぼう)

​人物003〖三谷隆正〗掲載写真参照。

注4 三谷隆正の生没
1889〔明治22〕年2月6日、神奈川県神奈川青木村に父宗兵衛生と母こうの長男として生まれる。
1944〔昭和19〕年2月17日午後6時40分、東京三鷹の自宅にて死去。享年55。

注5 矢内原忠雄著アウグスチヌス『告白』講義」

この本は、1943(昭和18)年に教文館より発行された。

以下、講談社学術文庫版(1993年発行)案内のための内容紹介より、引用。

ローマ帝国崩壊期に、教父(きょうふ)アウグスチヌスが著(あらわ)した『告白』は、結婚と世俗的栄達の道を捨ててキリストの教えに帰依(きえ)し、光明(こうみょう)を見出すまでの激しい内面の葛藤(かっとう)、母と子の物語を赤裸々に描いて名高い。

本書は、その告白文学の最高傑作を、内村鑑三に師事し、軍国主義批判のため東大を追われた著者が、自宅に開いた私塾で講義し、まとめたものである。

1600年前の魂の叫びが、今いきいきとよみがえる名著。」

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