<預言の声

近代の預言 011

2017年4月9日改訂

矢内原忠雄

 

現代語で読む

人の復活と国の復活

 

 

人の復活と国の復活   ①   ②   ③  

5

 

〔5-①〕

今度の戦争(第二次世界大戦)によって、世界の至る所に、谷にも平野にも、海の底にも繁華(はんか)だった町にも、枯れた骨が散乱しました。

 

これらの枯骨(かれぼね)が生きた人として生き返るということは、驚くほど大きな言葉であります。

 

科学はもちろん、これを否定するでしょう。しかし、科学の否定によって否定しきれない魅力が、この思想の中にあります。

 

我々(われわれ)愛する者の骨が白く戦場に散乱した時に、我々を慰めて、〔生きる〕力を与え、希望を与えてくれるものは、パンか。科学か。

 

パンによる満腹〕は、我々をその苦しみから解放してくれません。

科学的な説明〕も、同じであります。否(いな)、科学〔のもたらし破壊力〕が彼を白骨と化したではないかとさえ、言えるくらいです。

 

〔5-②〕

その時に「枯れた骨が生き返る」という復活の信仰は、他の何者をもって〔して〕も癒(いや)すことのできない心の傷を癒してくれる、唯一の〔慰めの〕音づれです。

それを信じるならば、私どもに生命(いのち)があります〔。私どもは希望をもって、再び起ち上がります〕。

 

〔5-③〕

国民についても同じです。

 

敗戦後の〕日本の国民の状態を見渡して、これを生きた人間の集団と言うべきか、枯れた骨の集団と言うべきか。

その中に希望を見出そうと願っても、希望を見い出しかねることがある。

 

飼う者なき羊」という言葉がありますが、本当に我々の〔今の〕状態は飼う者なき羊です。否、もっと悪い。我々の状態は、〔まさに〕枯れた骨である。

生ける(しかばね)ではないかと〔さえ〕自ら疑うまで〔に〕、国民の状態を見て感ぜざるを得ない悲しい時があります。

 

〔5-④〕

そういう時に私どもに希望を与えるものは、自分の力でもなく、他人の援助でもない。

政治でも経済でも、科学でもありません。〔自由主義の〕アメリカでもなく、〔共産主義の〕ソ連でもありません。

 

イエス・キリストによる復活の信仰、それだけが私どもに根本的な解決を与えてくれるのです。

 

そんなものは非科学的であるから信じないと言うならば、話はそこまでです。

信じない者に希望はありません。

 

信じない者は、この世の中で〕希望のない状態のままで、動き、ひしめき、騒ぎ、苦しんで、ちょうど電車の中の混雑のような状態で生活し、〔それで人生を終えるのです。〕

それ以外に〔生きる〕道がないというならば、また何をか言わんやです。

 

〔5-⑤〕

けれども、私どもが人間としてまたは国民としての希望を持つと言うならば、その希望の根拠は、復活という驚くべき事実、驚くべき啓示、驚くべき預言にかかっているのです。

 

それ以外の〔地上的な〕希望はみな、一時的あるいは相対的な希望にすぎません。

 

人間を最もみじめな状態のどん底から引き起すもの、枯れた骨に生命(いのち)を吹き込むもの、それは死からの復活の信仰であります。

 

この信仰こそ〔が〕、私どもに永遠の生命を与えます。それは永遠の生命力の表現であります。

この信仰を持つ者にして、始めて現世(げんせ)における生活態度を主体的〔、積極的〕に持つことができるのです。

 

なぜ、我々は正義のために戦わねばならないか。なぜ、己(おのれ)の一身を捨てて、社会公共のために働かねばならないか。

 

世の中の多くの弱者のために、多くの罪に悩む者、病(やまい)に苦しむ者、希望のない者、ニヒリスティック(虚無的)な憐むべき者、〔真実を求めて〕己を疑うという懐疑(かいぎ)の力さえもない者、そういう者に希望を与え、生命を与えるためには、我々自身が絶対的な希望を持つ者でなければならない。

 

誤解を恐れず、迫害に屈せず、ただ正義のゆえに、ただ愛のゆえに自らの生涯を〔勇ましく〕送る、そのような純粋な生き方、神のために生きる精神と力は、復活の信仰なくしては持つことができないのです。

 

死に勝利する〕復活の信仰は、人を勇気ある人とします。希望ある人とします。愛の人とします。人に〔神の〕平和(シャーローム)を与えます。

 

〔5-⑥〕

同じことは、国の復活についても言うことができます。

 

私は従来何度か、国の復興ということをお話を致しました。しかし今日の演題は、「国の復興」ではなく、「国の復活」であります。

 

京都の太田十三男氏が最近、著述された『預言者としての内村鑑三』という本があります。これは内村鑑三先生の色々な著作の中から〔優れた〕言葉を選び出して編纂(へんさん)された書物であって、私も一読致しましたが大変おもしろかった。

 

その本の〕中に、「日本は〔これから〕何度も滅ぶであろう」という内村先生の著(いちじる)しい言葉を発見しました時、私は非常に驚きました。

 

〔5-⑦〕

御覧のとおり〕この〔たびの〕敗戦で、日本は滅んだも同様であります。

 

ところが日本の亡国(ぼうこく)はこれでおしまいかというと、そんなことはない。

日本は何度も滅ぶであろうという、内村先生の言葉を読みました時に、私は涙を禁じることができませんでした。

 

国民がヤハヴェの神を畏(おそ)れ、キリストの福音に従うまでは、〔日本は〕本当に何度も滅ぶでしょう。

しかし何度滅んでも、神の恩恵によって日本の国民は復活するだろう。

 

〔5-⑧〕

国の復活というのは、滅んだものが生き返ることです。

(おとろ)えたものが〔ふたたび〕盛んになることを「復興」と言うならば、一度滅んだもの、死んだものが生き返るのが「復活」です。

 

この〔国の復活の〕信仰を理想化したものが、黙示録第21章、第22章にある「新しきエルサレム」、「聖なる都(みやこ)」、「神の国」の預言です。

これは、神を信じる国民の復活の姿〔を描いたもの〕であります。

 

〔5-⑨〕

多くの悲しみに沈んでいる個人、また何度も滅ぶであろう国民の復活を信じる者は、我々キリストを信じる者たちであります。

 

私どもはアヤの娘リヅパのように麻布を岩の上に敷き、その上に坐りまして、そして我々の愛する者の屍(しかばね)を守って、昼は空の鳥が来〔るのを〕、夜は野の獣(けもの)が近づくのを追い払って、〔食(く)い〕荒らされないように、これを守らなければなりません。

 

それを守って、その復活を待ち望むのが我々の祈りであります。

 

〔5-⑩〕

ダビデ王がリヅパの行動を聞いて憐(あわれ)み、彼女が守った骨を集めて墓に葬(ほうむ)ったように、神は私どもの祈りと戦いとをご覧になり、死んだ人を生かし、滅んだ国民を復活させて下さると〔我々は〕信じます。

 

ダビデがリヅパを憐んで取り計らったのは、散乱した骨を墓に蔵(おさ)めることでした。

しかし、〕キリストが我らを憐んで為(な)されることは、〔我々の愛する者の〕枯れた骨を墓から復活させてくださることであります。

 

〔5-⑪〕

こんな大きな希望を私どもに与えるものが、イエス・キリストの復活であります。

 

この信仰を観念的であると嘲(あざ)ける者は、恐らく、死んだ屍について涙を流したことのない人ではあるまいか。恐らく、滅びた国民について心を痛めたことのない人ではあるまいか(注1)

 

少なくとも私ども〔、キリストを信じる者〕は、この復活の信仰が生命(いのち)であって、これによって人の望みも国の望みも、否(いな)、宇宙全体の望みのあることを、確(かた)く信じている者であります。

 

この信仰に基(もと)づいて現実の世界に目を放つ時に、私どもは、為(な)すべきこと、戦うべきことが、実に沢山あることを知るのであります。

 

本日のこの内村鑑三先生記念講演会も、こういう趣旨において我々の祈りであり、戦いであります。

祈りと戦いの再確認であり、再出発である。あるいは、新しい戦いの進軍ラッパでありたいと思うのであります。

 

 

♢ ♢ ♢ ♢

 (『嘉信』第11巻、第4号、第5号、1948〔昭和23〕年4月、5月、( )、〔 〕内は補足。下線は引用者による) 

 

注1 復活の信仰

信仰と人生矢内原忠雄〖南の川のごとくに〗

 

信仰と人生矢内原忠雄〖愛する者を天に召された人々に送る〗

 

詩歌矢内原忠雄〖春3月〗

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