<預言の声

近代の預言 009

2019年2月17日改訂

矢内原忠雄

 

現代語で読む

人の復活と国の復活

 

 

人の復活と国の復活   ①    

3

 

〔3-①〕

敗戦日本において、キリスト教が人々の心に生命(いのち)を与え、国の前途(ぜんと)に光を与えるということにおいて、予想されたほどの効果を収(おさ)めていない。

 

キリスト教に関心を持つ人々はいくらか多くなったようだけれども、人の心に深く根を下していないのは、なぜか。

 

〔3-②〕

それは、日本のキリスト教がこの時局に当って、「人はパンだけで生きるものではない」、「貧しい人々は、幸いである」とか、あるいはキリストの処女降誕(こうたん)や贖罪(しょくざい)や復活や再臨(さいりん)のことを言うからでしょうか。

 

私が思うに、そういうことを言うからではない。言わないからだ、と思います。腹の底からの確信をもって、そのことを言わないからです。

人生の事実によって証明された確固たる真理として、信仰を語らないからです。〕

 

信仰というものは、事実を離れて信仰の生命はありません。生活〔の事実〕を離れて〔生きた〕信仰はありません。

 

イエス・キリスト御自身が事実の人であり、生活の人でした。〔人が〕生きるためにパンが必要であることを、よくよく知っていた人であります。〔キリストは、生活の貧しさをつぶさに味われたからです。〕

 

このキリストが今(日)の日本に来〔たとし〕ても、彼が千九百何十年前にユダヤにおいて言われたことを、少しも割引なく、同じことを言われると信じます。

そして、〕彼は聖書によって、今もそのことを私どもに語っておられるのです。

 

〔3-③〕

私どもは経済問題が重要でないとか、科学主義が無用であるとか、決して、そのようなことを言っているのではありません。

経済問題の重要性を我々は十分知っております。

 

内村鑑三先生は種々の学問に興味をもたれましたが、先生の学問的興味の最も薄かったのは経済学でしょう。

しかし、経済生活に先生が無関心であったわけでは、決してありません。先生御自身、本当にパンのために涙を流されたことのある人なのです。

内村先生自ら、「自分は生涯において飢え死にを覚悟したことが三度ある」と書いておられます。その経験を踏まえつつ、先生はご自身の信仰を語られたのです。〕

 

〔3-④〕

それで我々(われわれ)は、経済の重要性、科学の重要性を百も二百も承知しておりますが、しかし、それと対決して「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という命題、その主張は、一歩も譲(ゆず)ることはありません。

 

それは、厳然として守らなければならない主張であります。それは、昔から言い伝えられた伝統だからではありません。それが真理だからです。〔人生の〕事実だからです。

 

貧しい人々は、幸いである」ということも同じです。

 

キリストの贖罪と復活と再臨にしても、科学の重要性を我々は百も二百も承知しながら、〔私どもは〕やはりそれと対決して、「キリストは墓に葬られたけれども〔死に勝利し〕、甦(よみがえ)って天に昇られた、そして〔キリストは、〕彼を信ずる者にも復活〔の生命〕を与えてくださる」ということを、少しも割引なく、何も恐れる所なく、こう信じ、こう宣(の)べ〔伝え〕るのであります。

 

〔3-⑤〕

もし我々がこれを、ただ昔から言い伝えられたことであるとして、伝統の中に安住し、習慣的に宣べ〔伝え〕ているとするならば、〔それは〕本当に禍(わざわ)いであります。

それは、自己の生命を滅ぼすと共に、社会を滅ぼし、キリストの福音に泥を塗る者です。

 

けれども、私どもが本当に自分自身の生活の中から、もうこれ以上に希望がもてないというどん底まで押し詰められて、そこでイエス・キリストは〔死に打ち勝って〕墓より甦えられたという音信(復活の使信)を聞き、それを信ずる時に、〔イエス・キリストの〕復活は真理である、力であることが〔腹の底から〕分かる。

なぜかといえば、復活を信じたことによって、希望の無かった者が現〔実〕に希望を持つようになる〔からです〕。

 

真理はすべて、事実によって〔その真実性が〕証明されなければなりません

最も希望の無い者は、死人であります。死であります。

 

その死をさえ克服して〔、新たな生命に〕甦(よみが)えらせる信仰は、社会における一番みじめな者、一番弱い者、一番望みのない者に生命(いのち)を与える力であるのです。

 

このような人々に希望を与え、生命を与えることによって、この教えが真理であることが証明されるのです。

 

最近、「社会大衆」の解放ということが言われておりますが、〔社会制度の改革、社会体制の変革によって〕組織〔化〕された大衆を〔様々な束縛から〕解放し〔たとし〕ても、まだその下に洩(も)れている者がいる。

 

その一番みじめな人間をも引上げて、これに永遠の生命を与えるもの、そういう者にも希望があることを教えるもの、〔そして、新たな力に生かすもの、〕これがイエス・キリストの福音なのです。

 

〔3-⑥〕

人はパンのみによって生きる者ではない」ということを、私どもはただ観念的に、そう言っているわけでありません。

 

これは、本当に自分たちの実験(人生における現の経した結果〔、真実であると主張しているの〕です。

そして、〕昔から多くの人〔々〕がその言葉が真理であることを、〔自ら〕実験して知っているのです。

 

社会における最も悪い罪人(つみびと)、最も弱い病人、最も貧しい人、最も寄るべのない者、最も希望のない者、このような者〔たち〕を絶望〔の中〕から引き上げて希望の人に変えるのがキリストの福音であって、これは万古(ばんこ)不易(ふえき)の永遠の真理であります。

 

〔3-⑦〕

現代社会は大きく波打っています。

そして、その時代時代の必要を私どもは知りまして、これに対処してゆきます。

 

しかし現代社会において経済がいかに優越であっても、〔また〕私どもは経済の大切であることを十分承認し、そのため努力しながら〔も〕、しかも経済と真正面から対決して、これを否定する〔弁証法的な発展の〕契機(けいき)があります。

 

私どもは科学の重んじるべきことを十分知り、そのために努力し、勉強するとともに、〔しかも〕科学と対決するものをしっかり認めてゆかなければなりません。

 

経済的なものと非経済的なもの、科学的なものと非科学的なもの、理性的なものと非理性的なもの、この両者の綜合(そうごう)されたところに神の真理があるのです。

 

経済偏重(へんちょう)社会は、決して幸福な社会でありません。

科学偏重の社会も同じであって、科学が進歩したにもかかわらず世界大戦が何度も繰り返され、そして科学が進歩したために〔兵器の破壊力が増大し〕、戦争の災禍(さいか)がいかに大きくなったかは、我々が〔現に体験し、〕よく分かってきた事実であるのです。


キリストの復活・贖罪・再臨の信仰は、この社会の現実の苦悩の真唯中(まっただなか)に〔天から垂直に〕啓示(けいじ)された信仰であります。

 

死ということがなければ、〔死に打ち勝つ〕復活の信仰もありません。

罪ということがなければ、〔罪を赦し、潔(きよ)めるのための〕贖(あがな)いの信仰も〔啓〕示されません。

人類に破局をもたらす第三次〕世界大戦〔の脅威〕ということがなければ、〔歴史を完成し、地上に《神の国》を来たらせる〕キリスト再臨の信仰も〔啓〕示されません。

 

このような信仰が〔啓〕示されたのは、人類の歴史の苦しみの真(まっ)唯中に〔、苦悩に勝利する力として〕神の光が投じられた〔ことを意味する〕のです。

 

つづく

 

♢ ♢ ♢ ♢

 (『嘉信』第11巻、第4号、第5号、1948〔昭和23〕年4月、5月、( )、〔 〕内は補足。下線は引用者による) 

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