信仰と人生

信仰に生きる 021

2019年2月20日改訂

矢内原忠雄

 

南の川のごとくに

信仰に生きる矢内原忠雄〖愛する者を天に召された人々に送る

わが子との再会を祈るようにして待つ母

​(舞鶴引揚記念館HPより

「ヤハヴェよ、われらの捕虜(とらわれびと)を連れ帰って下さい。南のネゲブの川〔に水の流れを導くか〕のごとくに」(詩篇126篇4節)

 

§  §  §  §

 

太平洋戦争終結後、海外に残された旧軍人を乗せた〕復員〔輸送〕船が中国から、また南方〔の島々〕から帰ってくる。

 

そして心配していたわが子、わが夫を〔神〕ヤハヴェが〔われらの許(もと)に〕返して下さった時、まことに〔感謝の〕歌はわれらの舌に満ち、〔喜びの〕笑いはわれらの口に満ちる。

 

そればかりか、戦死と公表され〔てい〕た者までが、ひょっこり〔日本に〕帰って来て、われらを〔心底〕驚かせる。

その時われらは、全く夢見る者のようになり、〔神〕ヤハヴェがわれらのために為(な)してくださった大いなる恩恵のゆえに、われらは〔小躍りして〕喜ぶ。その喜びは、筆舌(ひつぜつ)に尽くすことができないほどである。


しかしまた、帰らぬ夫、帰らぬ子を待つ家庭も少なくない。

南の〔ネゲブの〕川が砂漠の砂の中に消えて尻無川(注1)となるように、わが夫、わが子の姿は待っても帰らず、ヤハヴェが彼を〔地上から〕取〔り去〕られたので〔、その姿は〕見えなくなったのである。

 

それでもわれらは、今日もまた彼が帰る〔のではない〕かと思って、「ヤハヴェよ、われらの捕虜(とらわれびと)を連れ帰って下さい。〔南の〕ネゲブの〔に水の流れを導くか〕のごとくに」、と祈りつづける。


聞き届けられることのない、この祈りを祈りつづける〔老いた〕親や未亡人や遺児(いじ)と共に、われらは泣く。

しかし実のところ、この祈りは〔決して、神に〕聞き届けられない祈りではないのである。

神は確かに、この祈りを聞き届けて下さる!〕。

 

復活の(あした)、ヤハヴェは、われらの捕虜(とらわれびと)〔である夫を、子を、父〕をわれらに返して下さるであろう。

死んで、無限の彼方(かなた)に行ってしまったの〕だと思っ〔てい〕た者が、輝く〔栄光の〕復活体をもって〔われらのもとに〕帰って来る時、真(まこと)に笑いはわれらの口に満ち、歌はわれらの舌に満ちるであろう。


砂漠の川は砂の中に消えても、地下水となって〔、ついには〕オアシスに湧き出る。

人が世にあって流す涙は、苦難と悲哀(ひあい)の濾過(ろか)装置をくぐればくぐるほど、清き水となってたましいを潤(うるお)す。

その水は、〕ただ自分のたましいを潤すだけでなく、自分と同様の悲しみをもつ多くの人々を癒(い)やす泉となるのである。


復活こそ、〔神〕ヤハヴェがわれらのために為(な)してくださる最大最終の「大いなる事」である(注2)

その希望を抱(いだ)いて生きる者は、涙と共に〔種〕(ま)くけれども歓喜と共に収穫し、涙を流して出てゆくが〔実りの〕禾束(たば)を携(たずさ)えて喜んで帰り来る〔詩篇 126篇5、6節参照〕。


死別、生別、これは果して夢か現実(うつつ)か。

しかし、人生にあって唯一、真実なるものは永遠の生命(いのち)であり、永遠の生命に生きる復活の信仰こそ、唯一、真実の人生である

 

悲哀(ひあい)中にある兄弟姉妹よ、この〔復活の〕信仰により互いに慰さめ〔、励まし〕なさい(注3)
 

♢ ♢ ♢ ♢

(『嘉信』第9巻・第3号、1946〔昭和21〕年3月を現代語化。( )、〔 〕内は補足。下線は引用者による


注1 尻無川(しりなしがわ)
下流に行くに従って分流し、幅の小さくなる河川
(かせん)のこと。

注2 復活

預言007矢内原忠雄〖人の復活と国の復活〗

イエス・キリストの復活が意味するもの

キリスト者にとって、〔主イエス・キリストの〕復活は必然的に二つのことを意味する。

第一に、キリスト者は決して一人で生きているのではない〔という〕ことである。

 

すなわち、〕すべての問題の〔ただ〕中で、復活のキリストは、〔彼の〕相談相手としてそこにおられ、すべての労苦の〔ただ〕中において、〔彼の〕助け手としてそこにおられ、すべての悲しみの〔ただ〕中において、〔彼を〕慰め〔勇気づけ〕るためにそこにおられ、すべての暗い道において、〔心の中の〕恐怖を追い払うためにそこにおられ、日の光の下において、〔彼の〕喜びを二重に価値あるものとするためにそこにおられる〔のである〕(注4)。

キリスト者は、世の終わりまで、何時までも、ご自分の民と共にいるとの約束を成就された方〔、主イエス〕を〔自らの〕座右(ざゆう)に持つのである。

第二に、キリスト者は、彼のなすことで、主〔イエス〕が見ていてくださらないことは一つもなく、彼の語ることで、主が聴いてくださらないことは一つもないということを知っている。

 

それゆえに、彼は主〔イエス〕の現在(現臨)を覚えることによって、すべての悪を抑制され、自分の生活を、ご覧になっている〔主の〕眼差しに耐えるように整えなさいとの警告と励ましを与えられるのである。

復活に関して、・・・歴史学者や神学者がどのように論じようとも、キリスト者は、主の絶えることのない臨在と力、すなわち、死さえも奪い去ることのできない〔主イエスの〕臨在(りんざい)と力とを自覚しているのである。」

(ウィリアム・バークレー『使徒信条新解』日本基督教団出版局、1970年、203、204項「三日目に死人のうちより甦(よみがえ)り」より引用、一部改訳。原著:William Barclay "The Plain Man Looks at the Apostles' Creed 1967"

注3 イエスよって罪と死を除かれ、完成した新天新地(新宇宙)を待望する讃美歌

讃美歌453番「聞けや愛の言葉を」(クリックしてYou Tubeへ)

 

聞けや、愛の言葉を

 

1.

聞けや愛の言葉を、諸国人(もろくにびと)らの
罪咎
(つみとが)を除く 主の御言葉(みことば)を、
主のみことばを。

 

*おりかえし
やがて時は来たらん、神の御光(みひかり)
(あまね)く 世を照らす明日(あした)は来たらん。

 

2.

見よや救いの君を、世のため悩みて
(あがな)いの道を 開きしイエスを、
贖いの道を 開きしイエスを、
開きしイエスを。

 

*おりかえし

 

3.

歌え声を合わせて 天地(あめつち)と共に、
喜びに満つる 栄
(さか)えの歌を、
さかえのうたを。
 
*おりかえし

 

現代語訳

1.聞け、愛の言葉を、諸国民の
罪咎
(つみとが)を〔取り〕除く 主〔イエス〕の御言葉(みことば)を、
主の御言葉を。

 

*おりかえし
やがて時は来る、神のみ光が
(くま)なく世〔界〕を照らす明日(あした)は来る。

 

2.

見よ、救いの王〔イエス〕を、世の〔救いの〕ために苦しみ〔つつ〕
〔世の罪の〕贖
(あがな)いの道を 〔切り〕開いたイエスを、
開いたイエスを。

 

*おりかえし

 

3.

歌え、声を合わせて 天地〔宇宙のすべて被造物〕と共に、
喜びに満ちた 〔神の〕栄光の〔讃〕歌を、
栄光の〔讃〕歌を。
 
*おりかえし

( )、〔 〕内は補足。

注4 彼方(かなた)からの光

詩歌042 リベラの【Far Away】クリックしてYou Tube

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