<神学研究(神学・論文&教義学)

神学・論文 002

2020年6月15日改訂

高橋三郎

 

〖 刑罰代受説の問題点 〗

〔-宗教的倒錯を克服する道-〕

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我々(われわれ)罪人の受けるべき神の刑罰(けいばつ)を、イエスが身代わりとなり(十字架の上で)お引き受け下さった、と信じ受ける見方が、「刑罰代受(だいじゅ)説」として、〔キリスト教史上〕連綿と継承されて来ました。


しかし歴史的事実としては、大祭司(だいさいし)を頂点とするサンヘドリン(注1)の要人たちが、ローマの官憲や群集までも巻き込み、イエスを十字架の死へと追い詰めて行ったのであって(注2)、人間が神の子(つまり神)を裁くという宗教的倒錯(とうさく)がここに噴出したのであり、十字架という残忍な処刑の仕方の中に、人間の残虐(ざんぎゃく)が、恐ろしいまでに立ち現れています。

 

同時に、神的権威を手中に収めるために神を裁くという人間の宗教的倒錯人間の残虐性が、イエスの十字架によって露(あら)わにされ、かつとして裁かれている、と言えるのではないでしょうか。〕


しかし「刑罰代受説」では、この重大な二つの問題状況が視野の外に切り捨てられているばかりでなく、あの十字架刑は神のなし給(たも)うた処罰だと見るのですから、神は恐るべき処刑を課す方として恐怖の対象となり(注3)、この恐るべき神観(しんかん)と連動して、教会が異端(いたん)として断罪した人々に課する刑罰も、火刑というような残虐(ざんぎゃく)きわまりないものとなりました

 

なおその上、無数に繰り返された宗教戦争に露呈(ろてい)した残虐性の中にも、この問題の余波を見ることができるのではないでしょうか。


次に(以下第二点)人間が神を裁くという宗教的倒錯と、罪の恐るべき残虐性という二点を、誰が切り捨てたかと問う人がありますので、それに対する解答として、ヘブル書を挙(あ)げることにします。


ヘブル書は、神殿に依拠(いきょ)する大祭司と、真の大祭司なるイエスを対比する論述を、4章14節から10章に至るまで続けているのですから、大祭司論がその信仰理解の中枢部に位置していると言ってよいでしょう。

 

しかしその説くところは、毎年贖(あがな)いの供え物を〔神に〕捧げ続ける大祭司に対して、真の大祭司なるイエスはただ一度ご自身を捧げる事によって、血による贖(あがな)いを最終的に成し遂(と)げ給うた、という点に凝縮しており、この大祭司(宗教人)が真の大祭司なるイエスを死に追い詰めたという決定的問題については、何の言及もありません。

 

ヘブル書も刑罰代受説に立っているのであって、その必然的結果がこういう形(人間の宗教的倒錯の問題に対する視点の欠落)を取って表面化したのではないか、と私は考えています。

 

もとより刑罰代受説を含め、土の器(うつわ)である人間の言説(げんせつ)によって、イエスの十字架の事実とその意味を説明し尽くすことはできません。〕


私自身はあの十字架を仰ぐとき、神の子イエスを死に追い詰めた人々の中に自分自身を見出し、「イエスは私の罪のために死んで下さった」という恩恵の前に頭(こうべ)を垂(た)かくも大きな犠牲を払って罪の赦しと永遠の生命(いのち)を賜(たまわ)る神の恵みに、溢れる感謝を捧げるばかりです(注3)

 

しかしそれと共に、この恐るべき〔人間的宗教性の〕倒錯からの解放を祈り求めつつ、悔い改めへの道を踏みしめ進みたく願うのです。


刑罰代受説」に立つ人々も、イエスが贖いの死を遂(と)げられたという信仰において、私の信仰的立場と一致しているのですから、各人それぞれに、自分の信ずるところに従って進んで行けばよいでしょう。

 

この信仰的相互承認に立脚しつつ、そこ(刑罰代受説)にひそむ問題点を誤りなく見届けたいというのが、私の問題提起の趣旨であります。

(2007年7月29日)

 

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(高橋三郎、佐藤全弘、島崎輝久共著『歴史の中枢』証言社、2007年所収。( )、〔 〕内は補足、下線および以下の注は引用者による)

 

 

注1 サンヘドリン(最高法院、Sanhedrin,συνεδριoν)

ローマ時代(紀元後70年以前)に設置されたユダヤ教最高自治機関。

 

イエスの時代には、大祭司を議長とする71人の議員(祭司長たち、長老たち、律法学者たち)で構成され、行政と司法の権限を持つ会議であった。

 

ユダヤ教の律法に関する最高法廷として、死刑を含む判決を下す権限を持っていたが、最終的にはローマ総督の裁断を仰がなければならなかった(マタイ26:57~27:26、使徒5:17~42)。

(参考文献:『新約聖書』岩波書店、2004年、「補注 用語解説」。『スタディ版 新共同訳聖書』日本聖書協会、2014年、「用語解説」。『岩波 キリスト教辞典』、岩波書店、2002年)

注2 歴史事実としてのイエスの生涯・十字架

詩歌017八木重吉〖十字架〗注2 十イエスの生涯と十字架

 

注3

W.バークレー『奇跡の人生』ヨルダン社、1976年、p86~94「私の贖罪論」を参照。

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