― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年8月29日
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1月<内村鑑三「一日一生」現代語訳
1月26日~1月31日
(2017年2月4日更新)
このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『続 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。
【1月28日】まことに、今日のような(荒海の上をイエスと共に歩む)
弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊(ゆうれい)だと言っておじ惑(まど)い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしだ。恐れることはない」と言われた。
するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。
イエスは、「来なさい」と言われたので、ペテロは舟から降り、水の上を歩いてイエスのところへ行った。(マタイ福音書 14:26~29 口語訳、語句を一部変更)
■まことに、今日のような不安な世〔の中〕はない。
〔現代社会は〕どの方面を見ても、底なしの泥海のようなありさまである。〔まさに、大きな行きづまりである。〕
政治、経済、教育、宗教、どれ〔をとって〕も不安である。〔今や、〕社会は、その根底から覆(くつがえ)されようとしている。
もし人が単に社会的生物であって、人は社会と〔その〕運命をともにすべきものであるならば、社会が〔崩れ〕去るとき、必然的に、われらも社会とともに永遠の深淵(しんえん)に〔滅び〕去るほかない。
そう考えるとき、生きること自体が、耐えがたい苦痛〔となるの〕である。
だが、動揺(どうよう)きわまりない世の荒海(あらうみ)の上を、神の子〔イエス〕は静かに歩まれる。
そして、信仰の眼をイエスに注ぐ時、われらは彼と共に〔苦難の荒〕海の上を歩くことができる。
〔それゆえ、〕われらは〔ひたすら〕イエスを仰(あお)ぎ見るべきである。周囲に目をくばるべきではない。
そうすれば、〔たとえ〕千人はわが右に倒れ、万人はわが左に倒れても、イエスに頼るわれらは安全である〔。
神はわれらに、苦難に対する勝利を与えてくださるからである〕。
(信8・165、1909年)
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