イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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3月<内村鑑三「一日一生」現代語訳
3月6日~3月10日
(2018年1月2日更新)
このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『続 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。
【3月6日】いわゆる伝道事業だけが
主〔ヤハヴェ〕が家を建てられるのでなければ、
建てる者の勤労はむなしい。
主が町を守られるのでなければ、
守る者のさめているのはむなしい。
あなたがたが早く起き、おそく休み、
辛苦(しんく)の糧(かて)を食べることは、むなしいことである。
主はその愛する者に、
眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。(詩編127:1~2 口語訳)
■いわゆる伝道事業だけが伝道〔なの〕ではない。神を信じて為(な)す、すべての事業が伝道である。
神を信じて為す農業が、伝道である。
神を信じて為す工業が、伝道である。
神を信じて為す商業が、伝道である。
確かに、神を信じて為せば、政治もまた罪悪ではなく、ある種の伝道である。
伝道を実践しようとして、〔神から〕与えられた職業〔、つまり天職〕を去り、専門の伝道者となる必要は少しもない。
パウロは言った。
「兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい」(コリントⅠ7:24 口語訳)と。
職業は何で〔あって〕もよい。
〔どんな職業にあっても、〕神と共にあ〔って、神の救いを確実に体験し、喜びに溢れて、心から神の力と愛を讃美す〕る時、人は誰でも神の光を放ち、〔まことの〕伝道者とならざるを得ないのである。
(原著「伝道と職業」。信17・131)
♢ ♢ ♢ ♢
【3月7日】人格は霊と体である
♢ ♢ ♢ ♢
【3月8日】事業ではない
♢ ♢ ♢ ♢
【3月9日】ことにわれわれは(真のキリスト信徒)
ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。
これがわたしの福音である。
(テモテ二 2:8 口語訳)
■ことにわれらは、学校の試験官が生徒の学力を試験するように、人の信仰を試験してはいけない。
「あなたは〔信仰箇条の〕この事を信じますか、あの事を信じますか」と〔いうように〕。
〔なぜなら、〕信仰は頭脳のこと〔、つまり教理や神学に対する知的承認〕ではなく、心情(ハート)のこと〔だから〕である。〔信仰は、生けるキリストと人格的に出会い、〕どれほどキリストを思うか、そのことである。
〔心の内に〕キリストに対する愛の思いが起こった者が信徒であって、起こらない者が不信徒である。
キリスト教〔の教義〕を〔頭で〕理解した者ではない。キリストを少しなりとも愛〔し、彼を信頼して、彼に従おうと〕する者である。
その人がキリストに愛される者で〔あり〕、真(まこと)の〔キリスト〕信徒〔なの〕である。
(原著「キリストは何ゆえ私を愛したもうか」1929年、信10・104)
♢ ♢ ♢ ♢
【3月10日】偉大でありなさい
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