3月<内村鑑三「一日一生」現代語訳

 

3月26日~3月31日

(2018年5月28日更新)

 

 

このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。

 

【3月29日】内的生命

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、

何の得(とく)があろうか。

自分の命を買い戻すのに、どんな代価が払えようか。

(マタイ16:26 キリストの言葉)

人には、外的生命のほかに内的生命がある。肉体の生命のほかに、霊魂(れいこん)の生命がある。


この世の何ものによっても〔、人に〕与えることのできない生命がある。そして、この生命があるから人は特別に貴(とうと)いのである。

財産を奪われ、名誉を剥(は)ぎ取られ、たとえ健康を失っても〔、つまり外的生命を失っても〕、なお、残るものがある。それが内的生命である(注1)。
この生命を
(え)て初めて、人は歓喜と満足の人となるのである〕。

そして、この内的生命を〔人に〕与えるものが、〔真の〕宗教である。それゆえ〔真の〕宗教は、この世に存(あ)りながら、〔しかも〕この世に属するものではない。

内的生命は、神から直接、人の霊魂に臨(のぞ)ものである。

政府(政治)も学校(学問)も、また〔世の〕教会や寺院〔等、いわゆる宗教でさえ〕も〔、神に代わってこの生命を人に〕与えることはできない。


イエス・キリストの福音(ふくいん)に触れるとき、人は内的生命が何かを知る。そして、イエスと共に生きるとき、人はこの生命に生きるようになるのである。〕

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(原著「本当の宗教」1922年、信140・15~19からの抜粋を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足)

注1  内なる人(内的生命)
「それゆえに私たちは、失望することはない。

むしろ、たとえ私たちの外なる人(外的生命)は朽(く)ち果てても、しかし私たちの内なる人(内的生命)は、日ごとに新(あら)たにされるのである。〔コリント第二 4:16  岩波訳。( )内は補足〕。

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【3月30日】義の僕

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