<神学研究(神学・論文&教義学)

神学・論文 006

2018年3月24日改訂

E.ブルンナー

 

キリスト教とは何か

ブルンナー「キリスト教とは何か」

神学・論文E.ブルンナー〖キリスト教とは何か〗  ①   ③  

人物紹介006〖E.ブルンナー〗

§  §  §  §

義とされるのは信仰のみによる〔―信仰義認論―〕


パウロ神学のこの命題(信仰義認(ぎにん)論)は、〔M・ルターら〕宗教改革者たちの中心な教えであるが、〔これは〕内村鑑三の「動揺する考えの静止した極」で〔も〕あった。

この命題は、特にわれわれ現代人にとって、どのような意義をもつ〔のだろう〕か。


もちろん、これ(この命題―信仰のみによって義とされる―)は現代の言葉に表現し直す必要がある。そうしなければ、〔この命題は、現代人の魂に届くことのない〕一片の死んだ言い伝えに終わるからである。
 

そこで、人間の最も根深い自然の本能は何かと問うならば、〔それは、〕自己の安全を確保しようとする意志である、と答えねばならない。

 

これ(自己保全の意志)は、それ自体、悪いことでは全くなく、むしろ〔人間にとって〕当然の権利である。

 

われわれは、家屋(かおく)によって悪天候から自分を守り、法律と国家の権力〔秩序〕によって、人間の粗野な貪欲(どんよく)や暴力から〔身を〕守り、また〔肉体的、社会的〕生命のあらゆる危険に対して《保険》を付ける。

ある意味では、文明全体が《生命保険》である〔とも言える〕。


ところがわれわれ〔人間〕は、〔自らの創造主である〕神ご自身に対して〔さえも〕、すなわち聖なる神による〔罪の〕弾劾(だんがい)と〔良心の〕不安に対しても、自分に保険を付けようとする〔のである〕。
 

神に対する、この保険を《道徳》という。そして、これ(自己保険としての道徳)は、次のような高慢(こうまん)な自覚として現われる

私は道徳― 人としての行動規範(きはん)・ルール ―に従って生きている。だから私は〕神の前に正しい〔人間だ〕」、「私には〔道徳的に、〕神に非難されることは何一つない〔。やましいところは、何一つない〕」〔と〕。
こうしてわれわれは、自分が〔神の前に〕罪人(つみびと)である〔という〕事実を隠蔽(いんぺい)〔しようと〕する。

 

神に対するこの自己保全〔の態度〕は、大(おお)いなる虚偽、最も不快な自己欺瞞(ぎまん)なる。

 

そしてその裏には、驚くべきことに、神から独立しよう、神と等しい者になろうとする〔、人間の不遜(ふそん)な〕意志が隠〔さ〕れている〔のである〕。

神から独立しようとするこの意志の、最も強く、また危険な顕(あらわ)れが、現代人の《自律》意識で〔あり〕、その〔終〕極が無神論(むしんろん)である。


しかし、自分が〔神の前に失われた〕罪人であることを承認するや否や、この自己保全の働きはやむのである。
 

罪人は自ら〔の力で、自分を神の前に〕義(ぎ)とすることはできない。〔人間は、自分で自分を救うことはできない。〕


では、〔一体、〕どうしたらよいのか。

罪人の前には〕ただ、二つの道がある〔のみである〕。〔つまり、〕絶望するか(絶望は現代無神論につきまとっている)、あるいは信ずるか、すなわちキリストを通して与えられる神の赦しの恩恵を信じるか〔のいずれか〕である。


信仰によって義とされる》ということは、自分で自分を義とすること(自己義認・自己正当化)をやめ、神の赦しによって生きることである。

パウロと〔宗教〕改革者たちは「〔神の前に〕義とされること(=救われること)」を次のように考えた。
私は自分が〔救われる〕望みなき罪人であることを知っている。にもかかわらず、私は喜びに溢(あふ)れ、また平安に満たされている。

なぜなら、十字架につけられたイエス・キリスト〔の贖罪(しょくざい)〕によって、私の罪にもかかわらず〔私は罪赦されて〕、〔自分が〕《神の子》とされたことを知っているからである。


また、その結果、〔神からの逃走としての〕すべての自律がやむのである。

キリストの十字架による贖罪と和解の〕恩恵によって義とされた人は、全く神に信従(しんじゅう)する。それゆえ、〔彼は自己執着、自己の欲望の支配から解放されて、〕真に自由〔とされたの〕である。


4 信仰
 《信仰》は、新約聖書の最も重要な語の一つであるが、同時に最も誤解され〔てき〕た語の一つで〔も〕ある(注1)


すでに2世紀の初めには、〔信仰の〕誤解は、ギリシャ哲学とグノーシス思想の影響によって始まった。

 

ギリシャ哲学においては、信仰(ピスティス、πιστις)とは、主観的な見解、正しい基礎づけのない〔思い込みとしての〕確信〔のこと〕であった。

それゆえ信仰は〕知識あるいは認識に較べて低級なもの、と解されていた〔のである〕。


もちろんキリスト教会は、この見解を〔全面的に〕受け入れたことは、一度もなかった。新約聖書における《信仰》の位置づけが、あまりに高かった〔からである〕。


だが〔教会は〕、ある程度まで、それ(ギリシャ哲学の主知主義的な見解)を受け入れた〔のである〕。

その結果、〕今や信仰とは、神の霊感を受けた教師の権威に立脚する、ある明示された教義〔体系〕の〔知的〕承認〔、確信のこと〕である、とされるようになった。

つまり、〕使徒または預言者がこのように教えるのだから、私は〔彼らの教えを〕信ずる。預言者または使徒〔という権威者〕の言うことであるから、私は〔教会の言い伝えを〕信ずる、というのである。


そこでは、〕信仰は〔、外的権威に従って教義体系・信仰箇条(かじょう)を承認するという〕他律的な態度〔のこと〕であり、教権きょうけん、注2)への服従である、との極印を押された。

そして、この教権が〔制度〕教会であるか、法王であるか、あるいは使徒、預言者、聖書であるかには、何ら根本的な違いはなかった。


M・ルターら、16世紀の〕宗教改革者たちによって初めて、聖書の《信仰》の正しい意味が再発見された。

すなわち〕《信仰》とは、キリストにおいてわれわれに〔人格的に〕出会ってくださる神に対する信頼の関係〔のこと〕である。


信仰とは、教義〔体系や信仰箇条を承認すること、つまり《教理信仰》〕ではなく、〔神と私の間の〕人格的なものである。信仰は、神の絶対的人格と人の被造的人格との間の〔真実な関係、出会い交わりの〕関係である(注3)

 

あるいは信仰とは、神がイエス・キリストにおいて、罪深く不真実な人間に示された、神の真実と憐れみと愛に信頼することである〕。

それゆえ〔必然的に〕、信仰と愛との間に密接な関係が生まれる。


しかし〔、制度教会の権威に従って教義体系や信仰箇条を受諾(じゅだく)する教義的信仰、すなわち〕教権信仰は〔、冷たい信念・確信であり〕、愛と何の関係もない〔。

むしろ、教義信仰はしばしば、自己の教義のみを正しとして(自己絶対化)他を断罪し、憎しみと争いの原因となった〕。

 

そして、〕聖書的な意味における信仰(神への信頼、帰依(きえ))は、直接、〔神への〕服従と結びつく(ヒュパコエ・ピステオス、υπακοη  πιστεως 信仰の従順:信頼をもって服従すること)。

イエス・キリストにおいて〕直接、神と出会った者、神の言葉〔すなわち救いの福音〕に直接〔、心〕うたれた者は、主の威厳ある意志に〔信頼し、〕服従するほかない〔からである〕。信仰は同時に、信頼であり畏(おそ)れである。

信仰の最も自然な表われは、〔神、イエス・キリストに対する真心からの〕礼拝である。

 

全能者である神が私に語りかけ、被造物である私は、私に呼びかける神の〔真実と憐(あわ)れみと愛の〕言葉を感謝をもって受けとめ、また信頼と従順によって神の言葉に応答する。

 

神の慈愛(じあい)に満ちた呼びかけに対する被造物〔である人〕の感謝の応答〔すなわち、信頼と服従〕、それが信仰である。

人は信仰によって救われる」というのは、この信仰のこと〔を言うの〕である。

〔つづく〕

♢ ♢ ♢ ♢

(塚本虎二主筆『聖書知識』1954年所収。一部表現を変更。〔 〕、( )内は補足)

注1 黒崎幸吉の《生命的信仰》
黒崎幸吉(
こうきち*)は《生命的信仰》を説いているが、黒崎の生命的信仰は、ブルンナーの《人格的な信仰》と深く共鳴している。


黒崎の生命的信仰とは、神・キリストとの出会い交わりによって新しい生命を受け、日々の生活を神の御旨に従って生きる信仰のことである。


黒崎によれば、聖書の中でイエスが《信仰》という場合、それはイエスの前に立った百人隊長や《罪ある女》がイエスに対して示した絶対的信頼の姿勢を指している。


また律法学者、ファリサイ人と戦ったイエスは、心が《生ける神》とのつながりを持たず、生命的一致(命と命の深い交わり)を持たない場合には、いかに神の御名によって多くの善行を積んでも、それはイエスと無関係であることを明白にされた。


神に対する人格的な信頼を基礎とする生命的信仰と、そこから流れ出る信従の行為のみが、神に喜ばれる。教理・教義を受容し確信するだけで、神に対する信従(服従)を伴わない《教義的信仰》であってはならない。


自己の古い命がイエスの死(十字架)と共に葬(ほうむ)られ、イエスの《復活の生命(いのち)》を受けて甦った新しい生命のみが、イエス・キリストにある新しい行為(信頼と服従の行為)を生み出すことができる。

*黒崎幸吉

大正-昭和時代の無教会のキリスト教伝道者、聖書学者。内村鑑三門下の一人。

1886(明治19).5.2-1970(昭和45).6.6 。山形県鶴岡町(現、鶴岡市)に生れる。

第一高等学校を経て、1907年、東京帝国大学法科に入学し、1909年、塚本虎二、藤井武らと共に柏会の一員として、内村鑑三の聖書研究会に出席。

1911年、東大卒業後、大阪の住友総本社に勤務したが、1921年、妻寿美子の急逝を契機に独立伝道を志して職を辞し、東京に出て内村の助手となる。

 

1922年より3年間、ヨーロッパ諸大学で学び、帰国後、1926年3月、月刊個人伝道誌『永遠の生命』を創刊し(1966年12月、第423号で終刊)、独立伝道に入る。

最初は郷里長岡で、その後1931年以来、大阪に移り、黒崎聖書研究会を主催。関西地方を中心に伝道を行い、人望を得た。

1958年5月、聖書による人間形成を掲げ、東都に遊学する大学生のために登戸学寮を創立、開寮した。

 

語学と文献学的聖書研究に優れ、旧新約聖書の注解に力を注いだ。

 

とくに『注解新約聖書』、『旧約聖書略注』は日本のキリスト教界で幅広く読まれ、長く用いられた。

その他、『新約聖書語句索引』、『新約聖書ギリシャ語文典』、『黒崎幸吉著作集』(全7巻、1972~73)、『続・黒崎幸吉著作集』(全3巻、1990)などがある。
(黒崎幸吉の人名項目の参考文献:『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年、『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2002年、『ブリタニカ国際大百科事典 第2版』、『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

 

注2 教権(きょうけん)
教導権、教導職とも言う。
宗教上の権威。特にカトリック教会での教会・法王の権威。


キリスト教の信仰と道徳に関して、正しく教え導く教会の権威とそれを担う〔救済〕機関のこと。

 

カトリック教会では、使徒の後継者としての司教たちが団体制指導において、また使徒ペトロの後継者、司教団の頭としての教皇(きょうこう)が全世界の教会への指導的役割において担うとされている。

教皇が最高の教導職を遂行し、教皇の座から全教会に向けて教義を宣言するとき、それは不謬(ふびゅう)であると見なされる。

 

これに対しプロテスタント諸教会では「聖書のみ」の原理のもとに、教会の〔救済〕機関としての教導職を否定している。

(注2の参考文献:『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2002年、292項)

注3 キリスト教史と教理的信仰・生命的信仰
黒崎幸吉は、教理的信仰と生命的信仰という観点からキリスト教史を概観して、次のように述べている。


コンスタンティヌス帝以前のいわゆる初代キリスト教の時代には、キリスト者たちは周囲を敵に囲まれ、不断の迫害にさらされていた。

彼らは苦難の中から主を仰いだ。そして《生けるキリスト》と出会い、生命がけでキリストを信じ、心からキリストに依り頼み、キリストから生命の力を与えられた。

信徒たちは直接、聖霊に導かれて迫害と戦い、偶像崇拝と戦った。彼らは生命的信仰に生きた。


ところがキリスト教がローマ帝国に《公認》され、さらに《国教》の地位を獲得するにつれて迫害は止み、信徒はどのような社会的地位にもつくことができるようになった。

 

そして、普通一般のキリスト教道徳を守り、提示された教義を受け容れさえすれば、人は「立派な」キリスト者として通用するようになったのである(教理的信仰への凋落)。


とくにローマ法皇の権力が増大すると、法皇が認可した教理・信条さえ丸呑(の)みすれば、誰でも「公認」のキリスト者として扱われるようになったため、信徒は、教義的信仰-しかもその教義は聖書の中心をぼかした教会的教義-をもって満足するほかなくなった。


そこでは、聖霊による神・キリストとの交わりは消え、霊と真(まこと)によって神を拝すること(ヨハネ 3:24 口語訳)が消えて、代わりに礼典儀式によって礼拝することとなった。

信徒各人が聖霊によって神に導かれ、教えられることから、固定化した教理や信条によって僧職から教えられることになったのである(制度教会教理的信仰の確立)。


宗教改革の時代、ルターやカルヴァンは、旧(ふる)い教会主義や律法主義の殻(から)を破り、ふたたび霊の自由を獲得して、新生命の信仰に生きた(生命的信仰への復帰)。

 

しかし後の時代になると、新教(プロテスタント)教会は、改革者たちの教えの中でも、特に信仰義認論-信仰のみ(によって義とされる=救われる)-の教理に重心をおくようになった。

そしてプロテスタントは、信仰義認論の命題を逆転させて、神に義とされる(救われる)ためには人間の側の「正しい」信仰が必要であると誤解し、さらに「正しい信仰」とは「正しい教義の体系」を受容することである、と二重に誤解した(むしろ人の信仰そのものが、神からの一方的な《恵みの賜物(たまもの)》である)。

そのためプロテスタントは「正しい信仰」についての教義体系として《信条》、《信仰告白》を制定することに腐心(ふしん)した

その結果プロテスタント教会は、それぞれの信徒集団が固有の《信条》、《信仰告白》を立てて相(あい)争い、多数の教派が分立するに至った。

 

そればかりか、歴史上、制度教会はカトリック、プロテスタントの別なく、自らの教理・信条を絶対化して人々に迫り、これに従わない者たちに《異端》の烙印(らくいん)を押し、しばしば苛烈(かれつ)な《迫害》にのめり込んだ。

 

たとえば、「再洗礼派は、・・政治的暴動を起こすことを忌避(きひ)したが、彼らに対しては幾十年にもわたって容赦ない迫害が、しかもカトリック〔教会〕側からも福音主義〔プロテスタント教会〕の側からもひとしく加えられた。

無数の人々が火刑・四つ裂き・水死・絞首等の刑に処せられた。」(「 」内は、荒井献・加賀美久夫訳  カール・ホイシ『教会史概説』新教出版社、1966年、106項の引用)。


今日、多くのキリスト者にとって信仰とは、制度教会の教義や規則を受け入れ、教会の儀式(洗礼式、聖餐式等)に与(あずか)り、教会の指示に従うこと(奉仕活動)である。

 

信仰は多くの場合、生ける神・キリストと人格的に出会い、新たな生命を与えられて新生命に生きることではなくなってしまった。

 

その結果は、信仰からほとばしり出る新鮮な力の喪失(そうしつ)、信仰の生命、歓喜、希望の枯渇(こかつ)であった。
(注1、3の参考文献:『黒崎幸吉著作集第4巻』新教出版社、1973年、「教義的信仰と生命的信仰」180項、無教会論研究会編『無教会論の軌跡』キリスト教図書出版社、1989年、109~116項、〔 〕、( )は補足)

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