イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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インターネット教会「ネットエクレシア信州」の開設のキッカケは、信仰の恩師・杉山好(よしむ)先生との出会いに遡(さかのぼ)ります。
(1)杉山好先生との出会い
杉山先生(当時、東京大学教養学部教授、注1)と出会ったのは、1978年、私が22歳の時です。
私は、18歳の時に韓国の福音宣教団(善隣基督教団)の伝道所(千葉県野田市)で洗礼を受け、その後、日本基督教団の教会(大田区田園調布)、さらに福音派のホーリネス教会(品川区)に通っていました。
大学3年の頃、私は、誘われて大学自治会に加わりました。
自治会の仲間から、しばしば、社会の問題について問われました。しかし私には、キリスト者として社会や世界の問題についてどう考えたらよいか分かりませんでした。
当時通っていた福音派の教会は、私的な「信仰」の領域のみに生きることを良しとする雰囲気が濃厚で、教会で信仰と社会との関わりが話題になったことは無かったからです。
23歳の時、古書店で偶然、内村鑑三の弟子である矢内原(やないはら)忠雄(元・東大総長)の預言者的著作、『マルクス主義とキリスト教』(角川文庫)に出会いました。
この本を通して私は、個人の救済を含みつつ、歴史と世界の完成、《神の国》を待望する、透徹した無教会のキリスト教を知りました(注2)。
今まで聞いたことも考えたこともないキリスト教の救済観、歴史観を知り、本当に驚きました。
私はぜひ、矢内原の下で信仰を学びたいと考え、矢内原が既に召天していることも知らず東京・自由が丘の矢内原宅を訪ねました。
そこで、矢内原恵子夫人から「杉山好さんを紹介しましょう」と言われ、杉山先生主催の百合ヶ丘聖書研究会に加えて頂くことになったのです(杉山先生は、矢内原忠雄の弟子です)。
(2)百合ヶ丘聖書研究会で学んだこと
初めて参加した百合ヶ丘聖書研究会は、福音派教会のような高揚した「宗教的」雰囲気は皆無(かいむ)でした。
また、そこで語られる《聖書講義》は当時の私には難しかったですが、先生の口から語り出される《真理のことば》に畏(おそ)れにも近い想いを抱きました。
参加当初は、集会から帰宅すると、よく聖書講義をノートに清書していました。
その後、長野に転居するまでの14年間、集会で先生のお世話になりました。
その間、聖書の信仰のほか、夏(長野県軽井沢等)、冬(神奈川県城ヶ島)の聖書合宿で先生翻訳のキルケゴールの著作からキリスト信仰のあり方について学んだことも、大きな感謝です。
杉山先生から教えられたことは、真理への畏敬(いけい)、神様に真剣に向き合うこと、己(おのれ)を低くして神の恵みの告知(福音)に心耳を傾けることでした。
先生の教えは、濁流(だくりゅう)渦巻く現代にあって、私をキリストにある確固不動の《希望》へと導いてくれました。
(3)G.フリードリッヒ教授の来日
1983年4月、ドイツ・エアランゲン大学神学部留学時代の杉山先生の恩師、G.フリードリッヒ教授(新約聖書学者)が来日して、名古屋聖書研究会で聖書講義を、静岡県三方原(みかたばら)の聖隷(せいれい)三方原病院で「老いることと生きること」という講演をされたことがあります。
当時、浜松の職場に出向していた私は、両方とも杉山先生の通訳によって聴講することができました。
また講演後、杉山先生、フリードリッヒ先生ご夫妻を箱根の荒井献(ささぐ)先生の別荘まで車でお送りしたことを、感謝と共に思い起こします。
(4)放蕩息子の感謝
1992年、私は長野県に転居し、現在に至っています。
先生のもとを離れて24年、実に色々なことがありました。信仰の危機を何度も経験しました。
神様に対しても、先生に対しても、私は本当に《放蕩(ほうとう)息子》でした。
しかし、神様の導きと先生の祈りによって、今、在(あ)るを得ています。ただ感謝あるのみです。
(5)「ネットエクレシア信州」開設の経緯
2011年9月10日、敬愛する杉山先生が天に召されました。
その後3年が経過したとき、私は、ふと考えました。
自分は、神様から、具体的には杉山先生を通して溢(あふ)れるばかりの恩恵を受けたが、受けるばかりで良いのだろうか。
信仰の感謝を自分なりに社会に、また次世代に伝えるべきではないか、と。
そして、神様に《感謝の捧げ物》をしたいとの願いが与えられました。
私は恩師・杉山先生に対して、二つの思いを抱きます。
一つは、「恩師を超えることはできない」という思い。
つまり、先生によって神、キリストに導いていただいたというご恩、感謝は一生、超えられない。超えるべきでもない、という思いです。
もう一つは、「恩師を超えなければいけない」という思い。
つまり、先生の教えを受け継ぎつつ、現代を真剣に生きること、すなわち、単なる先生の真似(マネ)や繰り返しではなく、先生から学んだことを現代に活用する、現代の課題に応えるべく自分なりに工夫すべきではないか、という思いです。
かつて内村鑑三は、《紙上の教会》構想を語り、実際に『聖書之(の)研究』誌等で日本中に《聖書の信仰》を伝え、読者のネットワークを作りました。
この活動から、日本各地に読者会、さらに《教友会》ができました。
今や、インターネットの時代。
私は、《紙上の教会》ならぬ「インターネット上の教会」を作るべく神様から示され、2015年5月、HP「ネットエクレシア信州」を開設しました。
教会の無い人、様々な事情で教会に通えない人、制度教会にこだわらない人々のための「ネット上の教会」です。
(6)「ネットエクレシア信州」の活動
能力的にも時間的にも制約がある中で、自分に一体、何ができるか。
現在行っている『ネットエクレシア信州』の活動の中心は、以下の二つです。
一つは、原点に立ち返ること。
つまり、《宗教》としての「キリスト教」からイエスの《福音》へ遡(さかのぼ)ることです(私は、イエスの福音は喜ばしい救いの訪れ・いのちそのものであり、いわゆる宗教ではない、と信じています)。
内村は、常に「個人と日本、世界を救うに足るキリスト教」を考えていました。
現代は、膨大な量の核兵器が蓄積された、人類滅亡と隣り合わせの時代です。
しかも核保有国の多くは、いわゆるキリスト教国です。
言うまでも無く、米国はプロテスタント、ロシアはロシア正教、英国は英国国教会、フランスはカトリックです。
現代の危機的世界に対し、キリスト教(界)は語りうるものを持ち合わせているだろうか。
むしろ、既成宗教としてのキリスト教こそ、現在の危機的世界に対し、その責を負っているのではないか。
歴史上、イエスの《福音》は、人間の手になる《宗教》(制度宗教としてのキリスト教)に変質し、また教会はしばしば、《宗教団体》となりました。
宗教団体は、その本能として、あらゆるものを利用して「数と勢力」の増大を求めます。
そして《宗教》勢力となった《制度教会》は権力を志向し、しばしば政治勢力と結託(けったく)しました。
その表れが、カトリックとプロテスタントの凄惨(せいさん)な宗教戦争(三十年戦争:1618-1648年)であり、西欧諸国による植民地支配とそれと連動した文化征服、またキリスト教国同士で戦われた人類史上初めての世界大戦(第一次世界大戦、1914-1918年)だったのではないでしょうか。
さらに、アフガニスタン紛争(2001年)やイラク侵攻(2003年)を始めたジョージ・W・ブッシュ米大統領(当時)は、これらの軍事侵攻を《十字軍》と呼びました。
その際、米国のキリスト教右派(教会)は、ブッシュの戦争を支持したのです。
ブッシュの始めた戦争は、その後の世界における憎悪(ぞうお)と殺戮(さつりく)の連鎖に深く関わっています。
このように、制度宗教としてのキリスト教は、現代世界に深い影を落としていると言えるでしょう(注3)。
キリスト教界は今こそ、悔い改めてイエスその人の《福音》に立ち帰ることを神から求められているのではないでしょうか。
キリスト教史の負の側面を凝視する時、私は、既成宗教としてのキリスト教(会)の在り方に捕らわれることなく、イエスの《福音》への原点復帰を目指す《無教会》の在り方を追求したい、と願っています(注4)。
(もちろん、独善を避け教会からも謙虚に学び、また教会の友人との主にある友情、対話と連帯を大切にしたいと思っています)
もう一つの活動の中心は、学んだことを現代に応用することです。
具体的には、内村ら多くの無教会の先達(せんだつ)が神から啓示を受け(インスパイアーされ)、血と汗と涙によって受けとめた真理の宝石の数々(遺産)に磨(みが)きをかけ、それらを現代に甦(よみがえ)らせることです(ヨハネ 14:26参照)。
その方法は、先達の文章を現代語に直し、補足、注を付け、それをHP《ネットエクレシア信州》を通して現代社会に届けることです。
それにより、無教会の《エクレシア》全体に仕え、ひいてはキリスト教界と日本社会にささやかな贈り物をしたいと念願しています。
以上が、私がインターネットの教会、「ネットエクレシア信州」を開設するに至った経緯(けいい)と目的、そして現在の活動の中心です。
「ネットエクレシア信州」が福音の前進のために少しく用いられることを祈り求めつつ、本サイトを神様の憐れみの御手(みて)にお委ねしたいと思います。
♢ ♢ ♢ ♢
(2016年10月10日「杉山好先生召天5周年記念会」東大教養学部(駒場)学際交流ホールでの話「私の近況報告」に加筆したもの)
注1 杉山好
注2 完全なる信仰
注3 無教会早わかり④の注2
注4 私のキリスト教
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