信仰と人生

信仰に生きる 011

2016年5月10日改訂

矢内原忠雄

 

 

 〖現代青年と預言者〗

 原題:「青年」

 

評伝〖矢内原忠雄〗へ

若き預言者エレミヤ

現代の青年に、三種類ある。
第一は、国家社会の事に関心のある者であるが、信仰を持たないから、真理と虚偽
(きょぎ)とを識別する〔直感的な〕勘(かん)が〔働か〕ない。

 

そのため〕彼らは容易(たやす)く〔、政治的な思想〕宣伝教育(プロパガンダ)の餌食(えじき)となり〔マインド・コントロールされて〕、政府の言うように言い、政府の考えさせる通りに考え、それ以外に道はないかのように盲信する(注1)

彼らの無知は、憐(あわれ)むべし。〔また、〕彼らを無知〔な人間〕にする者は、実に禍(わざわ)いだ。

 

第二は国家社会の事を考えず、自分自身の利益のみを考える利己的享楽(きょうらく)主義者である。

 

現代のように思想・言論の自由がなく、真理の探求者が迫害され、正義の声だけがあって感覚の鈍麻した社会にあっては(注1-3、6)、多少、思想ある者も思想することを馬鹿(バカ)らしく感じ、〔また〕元来、無思想な者はその無思想を一層、助長される。

まして、いわゆるインフレ景気による通貨の膨脹(ぼうちょう)(注1-1)、思想なき者を益々、物質的享楽生活に駆り立てるのである。

 

第三に、時局の問題については興味を持たず、むしろ自己の内面に沈潜(ちんせん)して、根本的な人生観を省察(せいさつ)する傾向の者がいる。

 

これは、〔「国家の非常時」をわめきたてる、〕あまりに作為(さくい)的な〔政府の〕宣伝教育が、純真な青年の心に訴え〔るものが〕なかった結果である。

 

この部類の青年は、真面目(まじめ)ではあるが何となく無気力であって、〔真理の敵に対する〕戦闘的気魄(きはく)に乏しい憾(かん)がある。

それは、彼らが罪〔のもたらすもの〕に対する恐れと神を愛する熱情とを持たずに、ただ思索的〔、自省的〕に人生を考えるのみだからである。


要するに根本問題は、〔天地・宇宙万物を創造し、人類の歴史を支配し、導かれる神に対する〕信仰の有無である。

まことに、〕信仰は、正しき人生観ならびに国家観の根底であり、〔同時に〕自己の罪と国家〔社会〕の罪に対する〔預言者的〕戦闘力の根源である。

 

ただし、〔神の義と愛とが統(す)べる《神の国》を目指して歩む《神の民》という自覚と視点を欠き、〕自己〔の救いにだけ関心を向け、そ〕のために信仰を求める者は、〔私的領域に閉じこもって、公的な〕国家〔社会〕の問題について興味を抱(いだ)かない。

 

これに反し、〔個人を救い、かつ人類の歴史を導き《神の国》を実現される〕神を愛する信仰をもつ者は、ただ自己の救いだけでなく、国家〔社会〕の救いについても必然的に関心を持つ〔に至る。このような信仰に生きる青年が、現代にも残されている〕。

 

この種の青年は〔、時至(いた)れば〕大なり小なり、すべてが〔神の御心(みこころ)を民に告げ知らせる〕預言者(よげんしゃ)として召(め)し出される。

あるいは田舎(いなか)道において、あるいは電車の中において、ある時、彼は神の〔召命(しょうめい)の〕声を聞くであろう(注2)

 

神と深く交わり、神への真実と信従仰の服に生きた、偉大な預言者〕エレミヤは〔もともと〕、このような部類の青年の一人であったにすぎないのである。

青年エレミヤを預言者として召し出した神は、信仰に生きる現代青年をも用いられるであろう。〕

 

 

♢ ♢ ♢ ♢

(矢内原忠雄「青年」『嘉信』第3巻第3号・1940〔昭和15〕年3月を現代語化。〔 〕、( )内は補足)

 

 

注1 1940(昭和15)年前後の日本の時代状況について

戦後恐慌から太平洋戦争勃発まで−


1.第一次世界大戦後の戦後恐慌の慢性化に加え、1923(大正12)年に起こった関東大震災による不景気、1929(昭和4)年、アメリカから起こった世界恐慌の影響を受け、日本経済は混乱し、行き詰まっていた。


2.このような中、官僚・軍部・財閥が結託(けったく)し、満州(まんしゅう、中国東北部)での権益を確保するため、中国大陸進出の方向が強く打ち出された。


3.1928(昭和3)年6月、治安維持法が改正され最高刑が死刑となり、また特別高等警察(特高)を組織して、国民の思想弾圧が強化された。


4.1931(昭和6)年、関東軍は奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖(りゅうじょうこ)で南満州鉄道爆破事件(柳条湖事件)を起こし、関東軍はこれを中国側の仕業(しわざ)と発表した。関東軍は直ちに軍事行動を起こし、満州全域を占領した(満州事変)。
1932(昭和7)年、関東軍は傀儡
(かいらい)国家である満州国を建国した。


5.中国は満州の独立を認めず、国際連盟に提訴した。国際連盟はリットン調査団を派遣し、その報告に基づき、満州国の否認、満州からの日本軍撤兵などを勧告した。これに不満をもった日本は、1933(昭和8)年、国際連盟を脱退した。


6.1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で日中両軍が衝突し(盧溝橋事件)、日中戦争が始まった。
同年、文部省は『国体の本義』を発行し、また教学局を設置して『臣民(しんみん)の道』(1941年)を発行するなど、国民思想の教化をはかった。

また、政府・軍部は、国体国生み神話に基づく現人神〔あらひとがみ〕天皇が統治する国家体制の考え方)を強く押し出し、天皇の神格化に努めるなど、徹底的に国民の思想統制を行った。
同時に国民精神総動員運動を起こし、国民への国体観念の浸透と軍国主義・国家主義の鼓吹(こすい)に力を注いだ。
さらに同年内閣情報局が設置され、言論報道機関・出版物・演劇などに対する検閲
(けんえつ)が強化され、言論の自由が大幅に制約されるに至った。

 

7.1938(昭和13)年、政府は国家総動員法を定めて、国民や物資のすべてを戦争に動員できるようにした。


8.1939(昭和14)年、国民徴用令が出され、軍需産業に一般国民が動員されるようになった。


9.1940(昭和15)年、高度の国防国家体制をかためるため、政党を解散して大政翼賛会(たいせいよくさんかい)が作られ、戦争遂行に国民を総動員する体制が整えられた。


10.1940(昭和15)年9月、日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結んだ。


11.1941年12月8日、日本の陸軍がマレー半島を、海軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入した。(参考文献:『詳説 日本史研究』山川出版社、2008年。『新総括 日本史』数研出版、1975年)

 

注2 主の導きに委ねて歩む人生を歌った讃美歌

讃美歌285番「主よ、み手もて」(クリックしてYou Tubeへ)

 

1.主よ、御手(みて)もて 曳(ひ)かせ給(たま)え、
ただわが主の 道を歩まん。
いかに暗く 険
(けわ)しくとも、
御旨
(みむね)ならば 我(われ)(いと)わじ。

 

2.力頼(たの)み 知恵に任(まか)
(われ)と道を 選び取らじ。
(ゆ)く手はただ 主の随(まにま)(※)
(ゆだ)ねまつり 正しく行(ゆ)かん。

 

3.主よ、飲むべき わが杯(さかずき)
選び取りて 授
(さず)けたまえ。
喜びをも 悲しみをも、
満たしたもう ままにぞ受けん。

 

4.この世を主に 捧(ささ)げまつり
神の国と 成
(な)すためには、
(せ)めも恥(はじ)も 死も滅びも、
何かはあらん 主に任
(まか)せて。

 

主の随(まにま)

主の御心(みこころ)のままに、の意味。

 

 

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