イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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現代の青年に、三種類ある。
第一は、国家社会の事に関心のある者であるが、信仰を持たないから、真理と虚偽(きょぎ)とを識別する〔直感的な〕勘(かん)が〔働か〕ない。
〔そのため〕彼らは容易(たやす)く〔、政治的な思想〕宣伝教育(プロパガンダ)の餌食(えじき)となり〔マインド・コントロールされて〕、政府の言うように言い、政府の考えさせる通りに考え、それ以外に道はないかのように盲信する(注1)。
彼らの無知は、憐(あわれ)むべし。〔また、〕彼らを無知〔な人間〕にする者は、実に禍(わざわ)いだ。
第二は国家社会の事を考えず、自分自身の利益のみを考える利己的享楽(きょうらく)主義者である。
現代のように思想・言論の自由がなく、真理の探求者が迫害され、正義の声だけがあって感覚の鈍麻した社会にあっては(注1-3、6)、多少、思想ある者も思想することを馬鹿(バカ)らしく感じ、〔また〕元来、無思想な者はその無思想を一層、助長される。
まして、いわゆるインフレ景気による通貨の膨脹(ぼうちょう)は(注1-1)、思想なき者を益々、物質的享楽生活に駆り立てるのである。
第三に、時局の問題については興味を持たず、むしろ自己の内面に沈潜(ちんせん)して、根本的な人生観を省察(せいさつ)する傾向の者がいる。
これは、〔「国家の非常時」をわめきたてる、〕あまりに作為(さくい)的な〔政府の〕宣伝教育が、純真な青年の心に訴え〔るものが〕なかった結果である。
この部類の青年は、真面目(まじめ)ではあるが何となく無気力であって、〔真理の敵に対する〕戦闘的気魄(きはく)に乏しい憾(かん)がある。
それは、彼らが罪〔のもたらすもの〕に対する恐れと神を愛する熱情とを持たずに、ただ思索的〔、自省的〕に人生を考えるのみだからである。
要するに根本問題は、〔天地・宇宙万物を創造し、人類の歴史を支配し、導かれる神に対する〕信仰の有無である。
〔まことに、〕信仰は、正しき人生観ならびに国家観の根底であり、〔同時に〕自己の罪と国家〔社会〕の罪に対する〔預言者的〕戦闘力の根源である。
ただし、〔神の義と愛とが統(す)べる《神の国》を目指して歩む《神の民》という自覚と視点を欠き、〕自己〔の救いにだけ関心を向け、そ〕のために信仰を求める者は、〔私的領域に閉じこもって、公的な〕国家〔社会〕の問題について興味を抱(いだ)かない。
これに反し、〔個人を救い、かつ人類の歴史を導き《神の国》を実現される〕神を愛する信仰をもつ者は、ただ自己の救いだけでなく、国家〔社会〕の救いについても必然的に関心を持つ〔に至る。このような信仰に生きる青年が、現代にも残されている〕。
この種の青年は〔、時至(いた)れば〕大なり小なり、すべてが〔神の御心(みこころ)を民に告げ知らせる〕預言者(よげんしゃ)として召(め)し出される。
あるいは田舎(いなか)道において、あるいは電車の中において、ある時、彼は神の〔召命(しょうめい)の〕声を聞くであろう(注2)。
〔神と深く交わり、神への真実と信従(信仰の服従)に生きた、偉大な預言者〕エレミヤは〔もともと〕、このような部類の青年の一人であったにすぎないのである。
〔青年エレミヤを預言者として召し出した神は、信仰に生きる現代青年をも用いられるであろう。〕
♢ ♢ ♢ ♢
(矢内原忠雄「青年」『嘉信』第3巻第3号・1940〔昭和15〕年3月を現代語化。〔 〕、( )内は補足)
注1 1940(昭和15)年前後の日本の時代状況について
−戦後恐慌から太平洋戦争勃発まで−
1.第一次世界大戦後の戦後恐慌の慢性化に加え、1923(大正12)年に起こった関東大震災による不景気、1929(昭和4)年、アメリカから起こった世界恐慌の影響を受け、日本経済は混乱し、行き詰まっていた。
2.このような中、官僚・軍部・財閥が結託(けったく)し、満州(まんしゅう、中国東北部)での権益を確保するため、中国大陸進出の方向が強く打ち出された。
3.1928(昭和3)年6月、治安維持法が改正され最高刑が死刑となり、また特別高等警察(特高)を組織して、国民の思想弾圧が強化された。
4.1931(昭和6)年、関東軍は奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖(りゅうじょうこ)で南満州鉄道爆破事件(柳条湖事件)を起こし、関東軍はこれを中国側の仕業(しわざ)と発表した。関東軍は直ちに軍事行動を起こし、満州全域を占領した(満州事変)。
1932(昭和7)年、関東軍は傀儡(かいらい)国家である満州国を建国した。
5.中国は満州の独立を認めず、国際連盟に提訴した。国際連盟はリットン調査団を派遣し、その報告に基づき、満州国の否認、満州からの日本軍撤兵などを勧告した。これに不満をもった日本は、1933(昭和8)年、国際連盟を脱退した。
6.1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で日中両軍が衝突し(盧溝橋事件)、日中戦争が始まった。
同年、文部省は『国体の本義』を発行し、また教学局を設置して『臣民(しんみん)の道』(1941年)を発行するなど、国民思想の教化をはかった。
また、政府・軍部は、国体論(国生み神話に基づく現人神〔あらひとがみ〕天皇が統治する国家体制の考え方)を強く押し出し、天皇の神格化に努めるなど、徹底的に国民の思想統制を行った。
同時に、国民精神総動員運動を起こし、国民への国体観念の浸透と軍国主義・国家主義の鼓吹(こすい)に力を注いだ。
さらに同年、内閣情報局が設置され、言論報道機関・出版物・演劇などに対する検閲(けんえつ)が強化され、言論の自由が大幅に制約されるに至った。
7.1938(昭和13)年、政府は国家総動員法を定めて、国民や物資のすべてを戦争に動員できるようにした。
8.1939(昭和14)年、国民徴用令が出され、軍需産業に一般国民が動員されるようになった。
9.1940(昭和15)年、高度の国防国家体制をかためるため、政党を解散して大政翼賛会(たいせいよくさんかい)が作られ、戦争遂行に国民を総動員する体制が整えられた。
10.1940(昭和15)年9月、日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結んだ。
11.1941年12月8日、日本の陸軍がマレー半島を、海軍が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入した。(参考文献:『詳説 日本史研究』山川出版社、2008年。『新総括 日本史』数研出版、1975年)
注2 主の導きに委ねて歩む人生を歌った讃美歌
讃美歌285番「主よ、み手もて」(クリックしてYou Tubeへ)
1.主よ、御手(みて)もて 曳(ひ)かせ給(たま)え、
ただわが主の 道を歩まん。
いかに暗く 険(けわ)しくとも、
御旨(みむね)ならば 我(われ)厭(いと)わじ。
2.力頼(たの)み 知恵に任(まか)せ
我(われ)と道を 選び取らじ。
行(ゆ)く手はただ 主の随(まにま)に(※)
委(ゆだ)ねまつり 正しく行(ゆ)かん。
3.主よ、飲むべき わが杯(さかずき)、
選び取りて 授(さず)けたまえ。
喜びをも 悲しみをも、
満たしたもう ままにぞ受けん。
4.この世を主に 捧(ささ)げまつり、
神の国と 成(な)すためには、
責(せ)めも恥(はじ)も 死も滅びも、
何かはあらん 主に任(まか)せて。
※主の随(まにま)に
主の御心(みこころ)のままに、の意味。
【ご注意】
PC画面で、上記の紫字の曲名をクリックしてもYou Tubeが開けない場合
①上記の紫字曲名を右クリックし、
②表示されたメニューの中の「新しいウィンドウで開く(N)」を選択してください。
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