信仰と人生

信仰に生きる 010

2016年4月24日改訂

矢内原忠雄

 

 

罪の意識について

放蕩(ほうとう)息子の帰還

(ルカ福音書15:11~32)

ムリーリョ(1617‐82年、スペイン)

《その1》

先日、〕一人の学生が私に面会を求め〔てき〕た(注1)

彼の語るところによれば、彼はこれまで自己の理性に信頼し、自分は理性的に行動する能力をもっていると思い、また実際、理性的に行動して来た〔つもりである〕。

 

今度の〔教養学部〕学生スト(注2)に際しても、彼はストに反対し、万難(ばんなん)を排して試験を受けた。

ころが試験の終った後、彼は思いがけない罪を犯し、自己の理性に対する信頼を失ってしまい、大変困惑している。どうすればよいだらうか、教えていただきたい、と言うのであった。


この困惑した青年の顔を前にして、私の心は愛に満ちた。私は〔心中、〕この青年を祝福さえした。

言うまでもなく私は彼に向かい、罪の赦し主(ぬし)であるイエスを信ずべきことを教えて、彼を帰らせた。
 

罪の自覚は、求めて得られるものではない。〔この学生のように〕求めないのに、やって来るものである。

我々(われわれ)自己の理性、道徳、正義感等によってこの世〔の悪〕に対し立派に戦い、その戦いに勝利を得た瞬間、そういう時に往々ちょっとした事から思いがけない過失を犯して、自己の立つ道徳的基盤が足下(あしもと)から崩壊してしまう。


確かに、〕これは悲惨な自己発見である。しかし、それはそのまま、新しい自己発見のいとぐちなのである。

 

人間の理性や道徳的能力や正義感に依(よ)り頼(たの)むのではなく、神に依り頼む信仰にこそ、人の生きる真の基盤がある。

イエスによって罪を赦された者の立つ信仰的基盤は、決して崩壊することはない。大風が吹き、大水が出ても、倒壊することはないのである〔マタイ 7:24~27参照〕。

 

 

《その2》
ある青年から長い手紙を受け〔取っ〕た。〔手紙によると、〕キリスト教の生命は罪の自覚にあると思うが、自分にはその罪の自覚が不十分である。もっともっと深刻な罪の自覚をもちたいと思って努力しているが、どうすれば罪の自覚がもてるか、教えていただきたいと言うのである。


これもまた、愛すべき青年であって、私はこの青年を慈(いつく)しみの眼(め)をもって見た。

しかし罪の自覚は、持とうと努力しても持てるものではない。かりに自己の意識を駆(か)り立てて、自己を罪人(つみびと)であると概念し〔、思い込もうとし〕ても、そんな〔頭だけの〕概念的な罪意識はすぐに色あせて、かえって反動的に〔なり〕信仰から離れてしまう恐(おそ)れがある。


信仰の生命は、自己の罪意識にあるのではなく、キリストに依り頼む信頼の意識にある。

自分の力ではどうにもならぬ自分の救い―生命の自由と歓喜と希望をば、キリストによって与えていただくという〔謙虚な〕信頼こそ、我々をキリストに結びつけ、キリスト者(しゃ)と為(な)すものである。

 

我々がキリストに依り頼む〕その理由は、個人個人の事情で一様(いちよう)でなく、また一様である必要もない。

ある人は、自己の犯した罪の行為が良心に堪(た)え難(がた)い苦痛を与えたからであろう。
ある人は、足腰(あしこし)立たぬ中風(ちゅうぶう)患者のように、長年病気に悩んだからであろう。

ある人は、愛する者と死別した、人生の悲哀(ひあい)からであろう。

 

事情は人によって異っても、キリストを信じないでは心に救いがないという人々は、すべて神の喜ばれるキリスト者〔なの〕である。


この中、罪の自覚は、すべての人に普遍的であり、キリストの救いの現われる最も貴重な部面である。

 

しかし罪の自覚の程度は人によって一様でなく、罪を自覚する仕方もまた、人によって一様でない。〔そして、〕罪の自覚を深くするための、〔人為的、〕意識的方法というものはないのである。

 

たとえ〕修道院に入って苦行(くぎょう)しても、図書館に入って神学書を研究しても、すべて人為的〔、自力的〕方法により信仰を増すことはできない。

 

罪の自覚もまた、神が与えてくださるものであるから、それが欲しければ、神を信じて静かに待つのが一番よい。〔そして〕罪の自覚が乏しいということ自体が、〔実は、〕罪の自覚〔なの〕であり、神なくしては生きて行けない自己〔について〕の自覚〔なの〕である。


罪の自覚の深い浅いで、信仰の程度が測(はか)られるのではない。神に信頼する信頼の深浅で、信仰は測られるのである。

 

罪の自覚は、その人の事情に応じて、必要な時に、最善の方法で、神がその人に与えてくださるであろう。

その時まで、あせらないで、自由に、自然に、神を信ずる生活を続ければよいのである。
   

 

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(矢内原忠雄「罪の意識について」『嘉信』第13巻第11号・1950(昭和25)年11月。一部表現を現代語化。〔 〕、( )内は補足)

 

注1 戦後の東京大学における矢内原忠雄の働き

戦後、東京大学に復帰した矢内原は、1946(昭和21)年8月から社会科学研究所長、1948(昭和23年)年10月から経済学部長、1949(昭和24)年5月から教養学部長、1951(昭和26)年12月から1957(昭和32)年1月まで総長の要職を託された。

 

注2 教養学部試験ボイコット運動

レッドパージ(いわゆる赤狩り)が東大においても行われるのではないかとの不安と懸念から、矢内原が教養学部長であった1950(昭和25)年9月、学生たちによる試験ボイコット運動が起こった。

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