信仰と人生

信仰に生きる 008

2018年1月3日改訂

矢内原忠雄

 

救いについての断想

放蕩(ほうとう)息子の帰還

(ルカ福音書15:11~32)

ムリーリョ(1617‐82年、スペイン)

われわれは、どのような病気を神から与えられるか分からない。あるいは思いがけなく、それが神経中枢(脳)の病気でないと誰が言えるだろうか。

 

もし、神が〔その〕一指をわが脳神経の中枢に触れるならば、われわれはたちまち意志のコントロールを喪失(そうしつ)して、恥ずべき内心の状態がそのまま外に現れるであろう。

そのことを想像するだけでも、われわれは不面目、赤面、羞恥(しゅうち)の感に堪(た)えない。

しかしながら、〔それにもかかわらず〕キリストを信ずる信仰によって〔神から〕戴(いただ)いた新たな生命(いのち)は、永久にわれわれのものであるだろう。


それゆえ、われわれは平生(へいぜい)の生活を〔十分、〕慎(つつし)まなければならない。

かつ、それにもまして、われわれの骨髄に徹〔し、無意識に浸透〕するまでに、イエス・キリストの救いを信じていなければならない。

 

罪人(つみびと)は、キリストを信じて救われる。

 

罪人でなくて、どうして十字架〔による罪の赦し〕を〔心底から感謝して、〕信じることができるだろか。

そして〔事実、〕彼の罪が大きければ大きいほど、赦された感謝は大きいのである。


ところが、彼がキリストを信ずるに至る前の罪の生活の結果が、数年の信仰生活の後に、彼の肉体に〔病気として〕現れたとすれば、どうだろうか。


われわれは、〕神の愛を疑うべきであろうか。〔あるいは、〕神の救いを疑うべきであろうか。

いや違う。両方とも誤りである。

 

確かに、〕罪の〔支払うべき〕値(あたい)は死である。

罪人である〕彼の肉体は一度は死ぬべきものであって、そのことは彼が信仰の入る前も、入った後も変わらない。

死ぬべきものに、死ぬべき者〔、罪の肉体〕を葬(ほうむ)らせよ。

 

しかし、〕神は、〔彼の罪をすべて赦し、〕彼に新しい生命(いのち)を与えてくださった。

その〔新しい〕生命は、永遠に輝き、彼の朽(く)ちる〔べき〕身体をも復活させ〔、栄光の復活体(ふっかつたい)に変えてくださ〕る〔神の〕力である。


彼が肉体において払いつつある罪の値(病気の苦悩)を見て、彼を審(さば)く者は、冷酷な律法(りっぽう)主義者である。

 

神はキリストによって、彼〔の罪〕を赦された〔のだ〕。

それにもかかわらず、一体、〕誰が〔神の前に〕彼を訴えるのか。〔一体、〕誰が彼を審(さば)くのか。

今や、〕彼の義(ぎ)は、キリストである〔。それゆえ、もはや誰も彼を訴えることも、審くこともできない〕。

罪を赦してくださった神に〔、ひたすら〕感謝せよ

 

人は誰でも、自分の過去を問われたならば、人前に顔を出せ〔るものでは〕ない。

いや、〔過去と言わず、〕自分の現在の心の状態を曝(さら)け出され〔たとし〕ても、大きな顔ができるものではない〔。それが人の実態ではないか〕。

 

だから、〔人は、すべてを見通される〕神を畏(おそ)れ、十字架〔による罪の赦し〕を固く信じ、そして人を審いてはならない。

 

十字架の〔贖罪しょくざい〕信仰を体験するためには、〔人は〕頭が割れるほどの苦しみを経(へ)なければならない。

しかし、その救いが〔魂の底から〕分かったとき、〔人は、その嬉しさ、ありがたさに、〕恥も外聞(がいぶん)も無く、感謝しつつ神に向かって生きて行く(注1)


ドイツの詩人〕ゲーテ〔の信仰〕は必ずしも、福音(ふくいん)的であるとは言えないそうだ。

しかし、〔ゲーテの戯曲ぎきょく〕『ファウスト』の終局において、あの、誘惑に陥(おちい)って罪を犯したグレッシェンが狂気しながら死んでいくとき、〔悪魔〕メフィストが ”Sie ist gerichtet !” (彼女〔の罪〕は審かれた!)と嘲(あざ)笑った声の未(いま)だ終わらないうちに、天から ”〔Sie〕 Ist gerettet  !” (〔彼女は罪赦され、〕救われた!)と〔の声が響き〕、幕が下(お)りる所は、確かに信仰の分かった人の作品だと〔わたしは〕思う。

 

 

♢ ♢ ♢ ♢

 

(原著:矢内原忠雄「救いに就いての断片」 『嘉信』第10号、1933〔昭和8〕年10月。一部表現を現代語化。〔 〕、( )内は補足)

 

注1 救い主(ぬし)への感謝を歌った讃美歌

讃美歌第Ⅱ編167番「われをもすくいし(Amazing Grace)(クリックしてYouTubeへ)

(私さえも救って下さった)

 

1.我(われ)をも救いし 奇(く)しき恵み(*)、

迷いし身も今 立ち帰りぬ。

 

2.恐れを信仰に 変え給(たま)いし

(わ)が主の御(み)恵み げに尊(とうと)し。

 

3.苦しみ悩みも 奇(く)しき恵み、

今日(きょう)まで護(まも)りし 主にぞ任(まか)せん。

 

4.我が主の御(み)誓い 永久(とわ)に堅(かた)し、

主こそは我が盾(たて)、我が生命(いのち)ぞ。

 

5.この身は衰(おとろ)え、世を去る時、

喜び溢(あふ)るる 御国(みくに)に生きん。

 

*奇(く)しき

人知(じんち)では計り知れないほど、すぐれていること。

 

 

英語の素晴らしい独唱ヘイリー(Hayley Westenra)の「アメイジング・グレイス(Amazing Grace) (You Tube)へ

 

1.Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

(意訳)

驚くばかりの神の恵み(" アメイジング グレイス ")
それは何と麗
(うるわ)しい響き、
〔その恵みは、〕惨
(みじ)めな私をも救ってくださった。
私は、以前はさ迷っていた、
しかし、今は神に見出された
以前は闇の中にいた、
しかし、今は光の中にいる。

 

2.'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

 

3.Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

 

4.The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

 

5.Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

 

6.The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

 

7.When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

 

【ご注意】

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