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信仰と人生

詩歌 024

2016年3月27日

竹内英子

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〖土の器に〗

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土の器(縄文土器)

鹿児島県上野原遺跡

もろくて弱い土の器(うつわ 注1

こんな私が愛されているのは

神がこの世に私を造られたからです

 

みにくく卑(いや)しい土の器

こんな私が生かされているのは

こんな私のために

イエスが死なれたからです

 

私をこの世に生かすもの

それは神の御手(みて)です

私をこの世に支えるもの

それは神の愛・イエスの愛

唯一(ただひと)つの同じ愛です

 

世の創(はじ)めより備えられた

神の愛の確(たし)かさが

私の心を深く打ちます

 


♢ ♢ ♢ ♢

 

竹内英子『希望』浜松聖書集会、溝口正編集、1990年)

 

注1 土の器(つちのうつわ)

わたしたちは、この宝(神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝き)土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。

 

わたしたちは、四方から患難を受けても窮(きゅう)しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。

いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。

 

わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。」(コリントⅡ 4:7~11 口語訳)

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