日々のかて006〖聞いてくださる神〗


神は、わたしたちすべての祈りを、同時に聴く(き)ことのできる方である。

どんな時でも、神はわたしたちの祈りを聴いてくださる。

わたしたちが人を訪問する時は、早朝や夜遅く、また相手の仕事中は遠慮するものである。相手の邪魔(じゃま)になるのではないか、仕事を妨(さまた)げるのではないか、多忙で面会してくれないのでないか、と考えるからである。

しかし神は、決して、そのようなことはない。朝早くでも、夜遅くでも、真昼の忙しい時でも、いつでも神は私たちの祈りを聴いてくださるのである。

神に祈るのに、人物の大小は関係ない。

神の目には、重要人物と、そうでない人の区別はない。人物の大小に関係なく、誰でも、いつでも、神に近づくことができる。神の目には、大も小もないからである。

神に祈るのに、年齢は関係ない。幼すぎるとか、年をとりすぎているとか、いうことはない。

わたしたちは、しばしば、子供や青年たちに「君たちは黙って、聞いていなさい」と言う。しかし、イエスは、「子供たちをわたしのところに来させなさい(ルカ16:16)」と言われた。神に祈るのに、小さすぎるという子供はいない。

また、家族や友人をすべて失い、話をする相手がいない孤独な老人がいる。 孤独は、老年期の最大の問題である。世から忘れ去られた老人だから神と話すことはできない、などということはない。

幼少年期の「怖れ」、青年期の「問題」、壮年期の「疲れ」、老年期の「孤独」―これらはみな、神に訴えることのできるものであり、また神は耳を傾けてくださるのである。 ●だから、祈りは、人生の危機や危急(ききゅう)の時だけでなく、すべての人の「日々の生活」のためのものである。

神は、わたしたち一人ひとりの語る(祈る)ことを、まるで話を聞く相手が一人しかいないかのように、耳を傾けて聴いてくださる。神は、本当にすばらしいお方である。

■神は、祈りに耳を傾けてくださる。世界の祈りに、そしてあなたの祈りに。

祈り《主よ、どうかわたしを、喜びの時も失意の時も、成功の時も挫折(ざせつ)の時も、いつもあなたに向かって呼ばわり、祈る者としてください。アーメン》

(参考文献 D.Duncan: Through the Year with William Barclay Devotional readings for every day,1971)

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