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日々のかて002〖強さと優しさ〗

強さと優しさを兼ね備えることは、神の大きな恵みの賜物である。 次のことを心にとめたい。 ■強い意志をもちつつ、頑固でないこと 強い意志を持つことと頑固一徹は、別のことである。 偏見と主義を混同してはいけない。自分は主義を大切にしていると言いながら、その実、偏見に固執しているだけということが多い。 首尾一貫ということは、大きな徳目ではない。確かに、安易に持論を曲げないことは、立派である。しかし、自分の意見を変えるべき時に潔(いさぎよ)く変え、譲るべき時に謙虚に譲ることも、同様に立派である。 ■明確な目的意識をもちつつ、寛容であること 人生の大きな危険の一つは、自分の知らないこと、分からないことは何でもけなし、信仰のあり方も物事のやり方も、自分だけが正しいとする不寛容の危険である。これは、特に教派主義者の陥りやすい危険である。 わたしたちは、自分と意見の違う人をけなす前に、まず、その人の声に虚心に耳を傾けるべきである。 ■強い信仰をもちつつ、独善的でないこと 他の信者を見ると、すぐに、その教義は間違っている、聖書をもてあそんでいる、自分勝手に解釈していると非難し、また、自分と違った信じ方をする者は本物の信仰者ではないと主張する独善的な人が、信仰の強い「福音主義的」な信者に多い。 しかし、感謝すべきことに、神に至る道は一つだけではない。信仰であれ、体験であれ、誰も、これを独占することはできない。 神の共同体(エクレシア)に必要なのは、強さと優しさを兼ね備えた人である。 祈り 《主よ、あなたは、わたしたちが好きになれない人、考え方の違う人のためにもご自身の生命を捧げてくださいました

日々のかて001〖本当の友〗

この世で最も貴重なのは、本当の友である。いつ行ってもイヤな顔をしない友である。 必要な時は、いつでも相談に乗ってくれる友。何でも話すことのできる友。夢のような話を決して笑わない友。自分の失敗を決してあざけらない友。そのような友である。 反対に、誰でも次のような人に会ったことがあるだろう。 会っている間中、時間ばかり気にしている人。5分だけだよといった顔をする人。話をしている間にも、次の用事ばかり気にしている人。こちらをジャマ者、厄介(やっかい)者としか見なさない人。 イエスの生涯の素晴らしい出来事が、聖書にしるされている。 群衆が癒やしと救いを求めてイエスのもとに押し迫り、イエスと弟子たちは食事をする暇(ひま)も無かった。疲れ切ったイエスは、静かなところで休息をとるため、弟子たちと一緒に湖の向こう岸へ舟で渡ろうとした。 これを見た群衆は、走って、先に向こう岸へ周り、イエスたちを迎えた。 普通の人であれば、群衆たちをジャマ者扱いし、群衆たちも敏感にそれを感じ取ったはずである。 しかし、イエスは群衆を見て、〈飼い主のいない羊〉のような彼らの有りさまを深く憐れんだ。イエスは、疲れて空腹であった。静けさを求めていた。しかし彼は、決してご自分を必要とする群衆を厄介者扱いしなかった(マルコ福音書6:31~43)。 神もまた、そのような方である。 「私を見た者は、父〔なる神〕を見たのである」(ヨハネ福音書14:9~10) 祈り《いつくしみ深い友なる主イエスよ、弱い私たちを憐れみ、わたしたちの隣人に対して良き友とならせてください。アーメン。》 (参考文献 D.Duncan: Through

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