信仰と人生

信仰に生きる 034

2019年6月20日改訂

内村鑑三

〖 救済の確信 

* * * *

私に立派な行い〔や業績〕はない、しかし信仰はある(神の恩恵によって)。

私に聡明(そうめい)さはない、しかし信仰はある(神の恩恵によって)。


確かに、私に信じる〔力としての篤(あつ)い〕信仰はない。しかし、〔神の救済(すくい)の業(わざ)に〕お任(まか)せする信仰はある(神の恩恵によって)。

そして、この信仰、この〔救って下さる神に対する〕信頼があるがゆえに、私に立派な行い〔や業績〕がなく、聡明さがなく、また〔殉教をも恐れず〕焼かれるためにわが身を差し出すほどの〔強い〕信仰がなくとも、〔それでも〕私は神に受け入れられ、愛され、最終的に救われるに違いないと確信するのである(注1)。

そして、もし〔神に対する〕信頼〔だけ〕が救済(すくい)の唯一の条件でないならば、私は確かに救われ〔得〕ないのである。

(まこと)に、私だけでなく、世に救われる者は一人もいないのである。

しかしながら神が〔救い主〕キリストによって信頼を救済の唯一の条件として定めてくださったがゆえに(注2)、罪人(つみびと)の頭(かしら)である私もまた救われる資格を得たのであって、また誰であれ、この〔救いの〕資格にあずかることのできない者など一人もいないということを知るのである。

信頼が救済の唯一の条件となった時に、万人救済(きゅうさい)の希望が人類の間に到来したのである。


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(原著「救済(すくい)の確信」『聖書之研究』、1916〔大正5〕年6月10日を現代語化。〔 〕内、ルビ、下線は補足)

注1  信仰とは神を信頼すること
近代の預言三谷隆正〖現代教会の最大欠陥〗P4

注2  イエスが喜ばれる信仰
イエスが喜ばれる《信仰》は、神の愛を信頼すること、また神の救いをひたすらに求め、感謝をもって受けとるという、生きた、人格的消息
(しょうそく)としての信頼である。

福音書に(しる)された、キリストと人々との出会いの出来事(できごと)を見よ(マルコ 2:1~5「体の麻痺した人の癒し」等)。

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