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信仰と人生

信仰に生きる 033

2019年5月4日改訂

内村鑑三

 

〖 恩恵と困難 

* * * *

​◆神を信じたからといって〕恩恵は、直(ただち)に〔信じる者のもとに〕来るものではない。〔むしろ恩恵は、〕困難を通して来るものである。

 

困難は、恩恵を〔われらの〕身に呼ぶための〔、無くてはならない〕中間物である。


燃料がなければ〔燃える〕火もないように、困難がなければ〔まことの〕信仰も歓喜もない〔のである〕。

 

火に先立つものは、煙である。

同様に、信仰に先立つものは、疑懼(ぎく、懐疑と恐れ)であり、煩悶(はんもん)である。

 

先ず〕これ〔ら〕があり、〔そして、〕これ〔ら〕に天からの火が点灯して始めて、天からの平安と喜悦(よろこび)とがわれらの心(霊魂)に臨(のぞ)のである。

 

困難を(へ)ずに深き信仰を得ようとするのは、まず煙を見ずに光と暖(だん)を得ようとするのと同様であって、〔きわめて〕難しいことである。
                                                                  

それゆえに、われら、神の心を知る者は、困難の到来を見て、決して驚いてはならない。

 

これ(困難の到来)は、恩恵の先駆けである。〔それは〕真(まこと)恩恵の始まりである。

 

今や光明(こうみょう)が潮(うしお)のごとくに〔われらの〕心に充(み)ち溢(あふ)れるのに先立って暗く見える天の使(みつか)〔すなわち、困難〕が来て、われらの頑固(かたくな)な心の水門を打ち破るのである。

 

しかし、〕われらは無知のゆえに、時に、この天使を拒(こば)み、彼が運んで来る恩恵までも斥(しりぞ)けようとする。

 

実に(あわ)れむべきは、〔イエス・キリストの父なる〕神の心を識(し)らない人である。

神は〔打ち〕砕(くだ)かれた心を喜ばれる」と〔聖書にある。注1〕。

 

なぜなら〔硬い土壌は〕、まず砕かれなければ〔蒔かれた〕種を受け〔入れ〕ることができないからである。

 

農夫は知っている。硬土の粉砕が深ければ深いほど、果穀の生長が良好となることを。

 

神もまた、知っておられる。〔人の〕心の粉砕が深ければ深いほど、神の道の生長が良いことを。


それゆえ、困難の中にある友よ。忍耐して、恩恵の神を待望しようではないか。〕


 ♢ ♢ ♢ ♢

(『聖書之研究』44号「所感」、1903〔明治36〕年9月17日を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足)

注1  心の打ち砕かれた者

「正しき者が叫ぶと、主は聞き

あらゆる苦難から助け出した。

主は心の打ち砕かれた者に寄り添い

霊の砕かれた者を救い出す。」

(詩編 34:18,19、聖書協会共同訳)

「あなたはいけにえを好まれません。

焼き尽くすいけにえを献(ささ)げても、あなたは喜ばれません。

神の求めるいけにえは砕かれた霊。

神よ、砕かれ悔(く)いる心をあなたは侮(あなど)りません。」

(詩編 51:18,19)

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