<人物・評伝

人物紹介 008

2019年2月6日改訂

タケサトカズオ

 

ウィリアムバークレー

William Barclay

一日一生4月27日〖救済の希望-万人救済〗注6

* * * *

W.バークレーは、20世紀英国の代表的聖書学者の一人、すぐれた説教者、著述家。

1907-1978年。スコットランドのウィックに生まれる。


1925年から32年まで、グラスゴー大学で古典と神学を学ぶ。

その後、ドイツのマールブルク大学で研鑽(けんさん)を重ね、


1933年から1946年まで、13年間、レンフリューのトリニティ(三位一体)教会の牧師をつとめる。


1947年、母校グラスゴー大学の新約聖書学、新約聖書ギリシャ語(コイネーギリシャ語)および古典ギリシャ語の講師となり、


1964年、神学および聖書批評学の教授となる。


1966年秋、同大学の神学部長に就任。


1978年、死去。

 The New English Bible(NEB、新英訳聖書)の翻訳委員、主著・聖書注解シリーズ('The Daily Study Bible' 全17巻、5,900項、各国語に翻訳)、またイエス研究等、80冊におよぶ著作や'The British Weekly, Expositionary Times' への寄稿など、その業績は多方面にわたっている。

父親のウィリアム・デュガルド・バークレーは、高等教育は受けなかったが、信徒としては最もすぐれた蔵書を所有し、有名な信徒説教者だった。

バークレーは、父親から人間味と人生を楽しむことを学んだ。


母親は美しく優しい、また高貴な女性だった。

彼女は、1932年に脊椎の癌で苦しみつつ亡くなったが、これを間近に見たバークレーは、死の信仰的・神学的な意味を真剣に考えるようになった。

 

母親が死んだ年は、バークレーが25歳、説教者の資格を与えられた時であった。彼が母親からもらった最後の贈り物は、柔らかい皮革製の説教原稿入れであった。

 

以来40年、バークレーはそれを手にしないで説教壇に上ったことはなかった。母親を敬愛し、その形見を大切にした。

彼は母親から優しい心を学んだ。


バークレーの著作には、暖かい人間愛に根ざした知性が輝いている。これは、彼のキリスト教信仰が父と母の愛から学んだものであることのあらわれと言えよう。


また、バークレーは、北アイルランド沖の水死事故で愛娘を失っている。

この大きな打撃と深い苦しみによって、彼は人間の悲しみを知り、苦しんでいる人々を真心をもって慰めるようになった。


バークレーは、研究と教育のかたわら、神学部学生の合唱団の指揮者として活躍し、また、ラジオやテレビの説教者として敬愛され、信徒のための夜間講座、聖日礼拝の説教などに奉仕した。


バークレーは、現代聖書学、教父の諸文書、ギリシア、ラテンの古典から現代の著作、歴史・文学・心理学に至るまで、広範囲にわたる学殖(がくしょく)を有し、信徒のための平易な書物を書き、とりわけ著作活動によって文書伝道に大きな貢献をした。また彼は、青少年に深い関心を抱いた。


バークレーは、自伝の中でアンセルムスの有名な言葉を引用している-「私は信じるために知解することを求めない。むしろ私は知解するために信じる」。


バークレーにとって、キリスト教信仰は知性を犠牲にした承認でも、理性への全面的な依存でもない。

 

キリスト教信仰は人知が発見したもの(神の概念)から始まるのでなく、神の啓示(人への語りかけ)から出発する(注1)

信仰は、啓示された真理に土台を置く。

 

キリスト者は、神の啓示〔による導き〕を信じる。先ず彼は、神が啓示されたものを受け入れる。

 

次に彼は、自己の理性を啓示にあてはめることを試みる。

それは、自らが信じた信仰内容を理性的に自己検討することにより、聖書の信仰を人々に証言すると共に、主観的な思い込みと独善を避け、開かれた対話の道を歩むためである。

 

バークレーはアンセルムスに従って、キリスト教信仰の(啓示による)経験と(理性による)思索とが手を取り合って進むべきである、と考えた。

 

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(参考文献:W.バークレー『新約聖書のギリシア語』日本基督教団出版局、2009年、W.バークレー『使徒信条新解』日本基督教団出版局、1970年、W.バークレー『バークレーの新約聖書案内』ヨルダン社、1985年の各「あとがき」、( )、〔 〕内は補足)

​注1 哲学者の神と啓示の神

神学・論文001ブルンナー〖キリスト教とは何か①〗

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