
イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2025年11月4日
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ウィリアム・バークレー
さかまき・たかお
略 歴
ウィリアム・バークレー(1907-1978)は、20世紀英国の代表的な新約聖書学者の一人。
すぐれた説教者・著述家でもあり、広い学殖(がくしょく)に裏付けられた著作は80冊を越え、全世界で広く読まれている。
「英国の内村鑑三」とも評される。
1907年12月5日、スコットランド北東部(ハイランド北端)の町ウィックに生まれる。
1913年、バークレー一家、スコットランド中央部の鉄工業地帯の町、マザーウェル市に移住。
バークレーは、この町で人生の形成期を過ごし、この町のダルジィール高等学校を卒業。彼はこの町をホーム・タウンと呼び、生涯、愛した。
1925年、グラスゴー大学人文学部に入学。古典学を専攻し、卓抜(たくばつ)な成績を残して文学修士号を取得。
1929年、グラスゴー大学神学部(トルニティー・カレッジ)にて新約聖書学を専攻し、神学博士号取得。
1932年、ドイツのマールブルク大学に遊学。
1933年から1946年まで13年間、グラスゴー郊外の鉄工業の町レンフリューのトリニティ(三位一体)教会の牧師として牧会伝道に従事。
1946年、母校グラスゴー大学の新約学と「新約聖書言語と文学」(新約聖書ギリシャ語と古典ギリシャ語)の講師に就任。
1963年、グラスゴー大学の神学および聖書批評学教授に就任。
1966年、同大学の神学部長に就任。
1975年、ストラスクライド大学の客員教授となり、理工系学生に神学を講義。エディンバラ大学から神学博士号授与。
1976年、退職。
1978年1月24日、死去。
邦訳著作:
大島良雄訳『イエスの生涯』1966年(The mind of Jesus,1960)、大島良雄訳『信仰のキリスト』1967年(Jesus As They Saw,1962)、大島良雄訳『イエスの弟子たち』1967年(The Master's Men,1959)、大隅啓三訳『新約聖書の多様性』1968年(Many Witnesses,One Lord,1963)、松村・柳生・大隅ら訳『聖書注解シリーズ』全17巻、1967-70年(The Daily Study Bible)、滝沢陽一訳『奇跡の人生』1976年(The Testament of Faith,1975)、大隅啓三・恵子訳『明日に向かって』1978年(Daily Readings for Younger Peaople,1974)など。
バークレー略伝:
The New English Bible(NEB、新英訳聖書)の翻訳委員。主著は、聖書注解シリーズ('The Daily Study Bible' 〔邦訳『聖書註解シリーズ』ヨルダン社〕全17巻、5,110項、各国語に翻訳)、その他、イエス研究等、80冊におよぶ著作や'The British Weekly, Expositionary Times' への寄稿など、バークレーの業績は多方面にわたっている。
これらの著書の多くは、多くの国の言葉に翻訳されている。
バークレーの父ウィリアム・デュガルド・バークレーは銀行支店長であった。
彼は高等教育は受けなかったが、信徒としては最もすぐれた蔵書を所有し、有名な信徒説教者だった。
バークレーは、父親から人間味と人生を楽しむことを学んだ。
母親は美しく優しい、また高貴な女性だったが、1932年、脊椎の癌で苦しみつつ亡くなった。
これを間近に見たバークレーは、死の信仰的・神学的な意味を真剣に考えるようになった。
母親が死んだ年は、バークレーが25歳、説教者の資格を与えられた時であった。彼が母親からもらった最後の贈り物は、柔らかい皮革製の説教原稿入れであった。
以来40年、バークレーはこの原稿入れを手にしないで説教壇に上ったことはなかった。母親を敬愛し、その形見を大切にした。彼は母親から優しい心を学んだ。
バークレーの著作には、暖かい人間愛に根ざした知性が輝いている。
これは、彼のキリスト教信仰が父と母の愛から学んだものであることのあらわれと言えよう。
また、バークレーは、北アイルランド沖の水死事故で愛娘を失っている。
この大きな打撃と深い苦しみによって、彼は人間の悲しみを知り、苦しんでいる人々を真心をもって慰めるようになった。
バークレーは、大学での研究と教育のかたわら、神学部学生の合唱団の指揮者として活躍し、また、ラジオやテレビの説教者として敬愛され、信徒のための夜間講座、聖日礼拝の説教などに奉仕した。
バークレーは、現代聖書学、教父の諸文書、ユダヤ、ギリシア、ラテンの古典から現代の著作、歴史・文学・心理学に至るまで、広範な学殖(がくしょく)を有し、信徒のための平易な書物を書き、とりわけ著作活動によって文書伝道に大きな貢献をした。
また彼は、青少年に深い関心を抱いた。
バークレーは、自伝の中でアンセルムスの有名な言葉を引用している-「私は信じるために知解することを求めない。むしろ私は知解するために信じる」。
バークレーにとって、キリスト教信仰は知性を犠牲にした承認でも、理性への全面的な依存でもない。
キリスト教信仰は人知が発見したもの(つまり神概念)から始まるのでなく、神の啓示(神から人への語りかけ)から出発する(注1)。
信仰は、啓示された真理に土台を置く。キリスト者は、神の啓示〔による導き〕を信じる。
まず、彼は神が啓示されたものを受け入れる。
次に、自己の理性を啓示にあてはめることを試みる。
それは、自らが信じた信仰内容を理性的に自己検討することにより、聖書の信仰を人々に証言すると共に、主観的な思い込みと独善を避け、開かれた対話の道を歩むためである。
バークレーはアンセルムスに従って、キリスト教信仰の(啓示による)経験と(理性による)思索とが手を取り合って進むべきである、と考えた。
付 記
①W・バークレーは、上述したように信仰の敬虔と知性と人間愛にあふれた著作を多数、残した。
サイト主宰者にとって、バークレーは頼りになる、またかけがえのない書物上の恩師の一人である。
②上記の邦訳著作のうち、滝沢陽一訳『奇跡の人生-わが生涯と信仰の歩み』について一言。
この書の原題は、「The Testament of Faith(信仰の遺言)」である。
原題通り、本書はバークレーがその晩年に、自らの「一生を振り返り、自分が何によって生きてきたかを問い直してみる」ために書いたものである。
邦訳の目次は、以下の通り。
1 思い出の人々
2 自画像
3 われ信ず
4 私の仕事
5 信仰の遺言
バークレーはこの小さな本(全200ページ)で、彼の生い立ちと学びの日々、聖書学者・大学教授・説教者、また伝道者としての仕事、そして自らの信仰について語っている。
読者はこの書によって、バークレーの信仰者としての歩みと信仰のエッセンスを学ぶことができる。
特に終章の「信仰の遺言」には、彼の信仰の核心が率直に語られており、しかもその深さと分かりやすさは、特筆すべきである。
バークレーの多くの著作を読む余裕のない方々には、特にこの一書を反復・熟読することをお勧めしたい(古書としてネットで購入)。
♢ ♢ ♢ ♢
(参考文献:『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年。W.バークレー『新約聖書のギリシア語』日本基督教団出版局、2009年。W.バークレー『使徒信条新解』日本基督教団出版局、1970年。W.バークレー『バークレーの新約聖書案内』ヨルダン社、1985年の各「あとがき」。大隅啓三「ウィリアム・バークレーの著書目録」。( )、〔 〕内は補足)
注1 哲学者の神と啓示の神
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