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<信仰と人生

信仰に生きる 045

2026年1月31日

2026年2月17日改訂

いしい・たかこ

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死の陰の谷から光の中へ
「エクレシア信州」に導かれて

From the valley of the shadow of death into the light

Guided by God to "Ecclesia Shinshu"​

by TAKAKO ISHII

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夜明けの風景 ウクライナ カルパティア山脈_edited.jpg

春の夜明けウクライナ・カルパティア山脈

Spring dawn in the Ukrainian Carpathian Mountains

* * *

​​プロローグ​

Prologue​

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主はわが羊飼い。
私は乏しいことがない。


主は私を若草の野に伏させ、
憩いの汀
(みぎわ)に伴われる。


主は私の魂を生き返らせ、
御名にふさわしく正しい道へと導かれる。


たとえ死の陰(かげ)の谷を歩むとも、
私は災いを恐れない。

あなたが私と共におられるがゆえに。


あなたのむちと、杖が私を慰める。・・

           (詩篇 23:1~4)

​​

旧約の詩人は、神を〈羊飼い〉に、自分を羊飼いに飼われる〈羊〉に喩(たと)えて、神と共に歩む人生の幸いをうたった。


かつてパレスチナでは、羊飼いは羊たちを率(ひき)いて、緑地と水流を探しつつ〈荒れ野〉を渡った。時に一行は、狼や熊などが潜む〈死の陰の谷〉を通らねばならなかった。

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羊は戦うための武器を持たず、全く無力な存在である。

しかし、羊たちは何ら恐れることなく、〈死の陰の谷〉を通り過ぎた。

 

羊飼いが常に羊たちと共にあって野獣の来襲から彼らを守り、若草の野、憩いの汀(みぎわ)へと導いたからである。

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人生の〈荒野〉にあって、人間もまた無力な存在である。

しかし詩人は羊飼いに飼われる〈羊〉のごとく、人生の〈荒野〉、〈死の陰の谷〉を神によって守られ、神に信頼しつつ歩む。

約束の地を目指し、歓喜と希望に溢れて。

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2,500年余り前にうたわれたこの詩の真実は、一人の女性の歩みによって確かめられた。


彼女もまた、古(いにしえ)の詩人と同じく、《死の陰の谷》を主と共に歩み、主の守りによって光の中へと生還した。

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以下の文章は、《インマヌエル》の主に対する彼女の感謝と讃美の記録である。

* * *

「エクレシア信州」に導かれて

​いしい・たかこ

​​

1

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」
(マタイ11:28a、イエス・キリストのことば)

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「心の中の空洞は、神によってしか埋められません」

(アウグスティヌスのことば)

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聖書のみ言葉と牧師の言葉に導かれ、2016年2月、私は長野県の小さな教会で洗礼に与(あずか)りました。ときに、54 才でした。

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洗礼式の朝、前夜に降り積もった白い雪を踏みしめながら、厳(おごそ)かな気持ちで教会に向かった事を今でもはっきりと覚えています。

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このとき私は、「この雪の白さのように罪赦され、今日から清廉潔白な人生を歩んで行こう」と心に決め、また、そうなる事を信じていました。
純粋な思いの中に慢心さを残したまま、教会生活が始まったのです。


讃美歌にこころ癒(いや)され、時に牧師の言葉に涙し、これまでとは違うクリスマスを喜びました。

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しかし、順調に思えた教会生活は、5 年目を迎えた頃より、大きな苦悩へと変わっていったのです。

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当時私は、仕事、義母と父の介護、母の入院、教会の奉仕と多忙な日々を送っていました。

加えて、「義(ぎ)なる信仰=正しい信仰が救いをもたらす。教会の重荷を負う事が主に喜ばれること」と信じていた私は、疲れた身体を奮(ふる)い立たせ、今できる事を何とか全うしようと奮闘していました。
 

「あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28b)というイエス様の招きの言葉は、もう心に響かなくなっていたのです。

​

そうした日々が長く続くはずもなく、尋常(じんじょう)でない疲れと共に精神的にも追い詰められ、不眠、食欲不振、倦怠感に襲われて、生きる気力さえ失っていきました。

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しだいに教会に通う事もできなくなり、日を追うごとに自責の念も強くなっていきました。


2

「神さま。これ以上、もう一歩も前に進むことができません。この小さき者を赦して下さい。」

涙と共に祈る日々。

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振り返ると、この時が「信仰のどん底」であり、このどん底こそが神さまを知る一歩であったと思います。

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心身とも疲弊(ひへい)する日々の中で、ふと聖書の〈み言葉〉が心をよぎりました。


「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します」(マタイ7:7 )。

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この聖句を頼りに、私は魂の救いを願い求めつつ、ありのままの自分を迎え入れてくれる居場所を探し求めたのです。

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ある日、教会堂を持たない「無教会集会」の存在を知ることとなりました。
「内村鑑三により提唱され、教会組織を持たずに全国各地で集会がもたれていること。儀礼を中心とした教会制度から離れ、キリストの十字架を重んじる信仰であること。」


信仰の迷い子になってしまった私に、一筋の光が射した瞬間でした。

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近隣の無教会集会を探していたところ、「ネットエクレシア信州」のサイトにたどり着きました。

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トップページに書かれていた内村鑑三のことば-
「神の造
(つく)られた宇宙であります。天然であります。これが、私ども無教会信徒のこの世における教会であります・・」。

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このことばは、信仰生活につまずき身動きできなくなっていた私の心に深く沁(し)み入りました。

 

3

2021年4月、「ネットエクレシア信州」の主催者であるT先生に導かれました。神さまからのお導きとしか思えないこの出会いが、私の人生の上で大きな転機となりました。


私は自分の抱(かか)えていた信仰の迷いや疑念を、メールで率直に、先生にお話させていただきました。

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折しも、新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)の状況下にあり、医療従事者である先生は、不眠不休で未知なるウイルスと戦われていた時期です。

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にも関わらず、先生は心あたたまる励ましの言葉をメール、手紙、電話、何冊もの本、祈りを介して伝え続けてくださいました。

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また、ホームページ「ネットエクレシア信州」では、先達(せんだつ)のクリスチャンの歩みを通して、信仰の真理を提示してくださっていました。

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それらの一つ一つの言葉もまた、私にとって大きな励ましとなり、弱められていた心は徐々に気力を取り戻していったのです。


先生ご夫妻との交流を与えられてから1年、心は平安で満たされていました。

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4

その一方で、身体に不調を感じるようになりました。何度か総合病院を受診したのち、2022 年5 月、悪性リンパ腫と診断され、その後の精密検査で、現在の医学では治療法が確立されていない「希少がん」のタイプであることが分かりました。

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「悪性リンパ腫」の診断を受けて、確かに不安や戸惑(とまど)いはありましたが、それと同時に、「体調不良の原因がやっと判明した」という妙な安堵(あんど)感もあったのです。

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その後に待ち受けている厳しい治療を知る由(よし)もなく、家族や先生にどう伝えたらよいだろうかと考えました。

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家族には、淡々と簡潔に伝えたことを記憶していますが、病名を知らされた子供たちは動揺して涙し、元来明るいはずの夫も言葉少なになりました。

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遠縁を含め、親族の中でクリスチャンは私だけです。先生との交流の中で教えて頂いたキリスト教の真理を、現時点での理解をもとに家族に伝える必要があると感じ、皆に宛てて手紙を書きました。

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「神さまとイエスさまに支えられて今の私があり、これからの人生も神さまが私と共にいてくださることを信じ感謝して、全てをお委ねして治療に専念したい」こと、また、「この病(やまい)もまた、神さまからのお導きであると信じているので、過剰な心配はせず、それぞれの仕事や家庭を大切にし、良く食べ睡眠をしっかり取り、感謝の一日を過ごしてほしい」こと・・・。

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1 年前ではとうてい伝えられなかった神さまからの深い愛を、拙(つたな)いながら書き終え、感謝と同時に、私の心も定まっていきました。

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5

病気の診断を受けてから、今年(注、2025 年時点)の5 月で満3 年が経過しました。その間、入退院を繰り返し、7 か月の抗がん剤治療→再発→3 か月の抗がん剤治療を経て、昨年6 月に自家造血幹細胞移植を決断しました。

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決断時にはすでに、体力・体重とも落ちていましたが、移植を勧めて下さった主治医と神さまにすべてをお委(ゆだ)ねしました。

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自家幹細胞移植は、大量の抗がん剤を投与して極力、がん細胞をゼロの状態にした上で、〔血液の〕赤ちゃん細胞である造血幹細胞を取り出して保存する治療から始まります。

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その後、2か月の体力回復期を経て、再び大量の抗がん剤を投与し、がん細胞を含め、すべての血液細胞を死滅させた後に、保存していた造血幹細胞を体内に戻すという大がかりな治療でした。

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かなり厳しい治療であったため、記憶が途切れている期間もあります。今から思うと、一人では到底(とうてい)、乗り超えられない療養の日々でした。

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しかし、それらの日々、主治医・看護師・病棟スタッフ、友人、家族たち、また出会いから4年間、ずっと励まし続けてくださった信仰の師であるT先生、そして孤独な無菌病室の中で共にいてくださった神さまとイエスさま・・・、実に多くの方々の励ましと支えがありました。

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療養中、T先生が送ってくださった励ましの言葉の一部を、ここに記したいと思います。

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「信仰の先達たちも、天から石井さんの歩みに声援を送っています・・。

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イエス様の福音は、イエス様から弟子へ・・さらに次の世代の弟子へと伝えられ、現在の私たちの所まで、リレー競技のように伝えられてきました。

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ですから、私たちが先達からバトンを受けて、自分の馳(は)せ場をしっかり走り切ってこそ、初めて先達たちの走りもムダにならないのです。

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そのため、先達は天にあって、わが事のように私たちの信仰の走りを見守り、祈りをもって応援してくれているに違いないと私は思っています。

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歴代の無数の信徒に加えて、私たちの知る範囲でも、内村鑑三(かんぞう)先生、藤井武(たけし)先生、矢内原忠雄(やないはら・ただお)先生、杉山 好(よしむ)先生が天から私たちに声援を送っています。

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その事を覚えて、共に進みましょう。」

 
現在、私は1か月に1度通院し、足りない血液成分を補う治療を続けています。輸血も何度か経験し、たくさんの方々の助けがあり、今を生かされています。

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鳥のさえずり、木々のざわめき、野山の草花、そして夫の声。すべてが尊く、ひかり輝いています。

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神さまは、私たち人間には試練としか思えない出来事(できごと)を通して、私の心の深いところに語りかけ、かけがえのない大切な事を教えてくださいました。

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そして、《インマヌエル》(「神は私たちと共におられる」 注1)。

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どんな時にも、神さまが私たちと共にいてくださいます。これからも「父なる神さま、イエスさま」と呼び求めつつ、歩み続けたいと思います。

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最後になりましたが『みぎわ』誌への投稿を勧めて下さったT先生、編集に携わってくださる浜松聖書集会の皆様、全国各地で福音を伝えて下さっている同信の皆様方に心からの敬意と感謝をお伝えし、いつの日かお会いできる事を楽しみに、その日を待ちたいと思います。

2025年6月26日記

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〔 〕内は補足

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 ♢ ♢ ♢ ♢

(浜松聖書集会『みぎわ 65 2025』、2025年10月発行に収載)

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注1  インマヌエルの主​​​​

​以下、当サイト掲載の☆神学・論文022〖善恩寵贖罪論〗からの引用。

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6.十字架= イエスの生の帰結​

⑴ イエスの生涯- インマヌエル
イエスの十字架のできごとは、はるか昔、遠いローマ帝国の辺境・パレスチナで起きた「不幸な一事件」ではない。

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福音書を読むとき、イエスの十字架は彼の生涯の必然的帰結であった、またイエスの生きざま・彼の生が極点まで凝縮したもの、それがイエスの十字架であった、と言えるのではないだろうか。

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今日同様、イエス在世当時、彼の回りには多くの貧しき者、悲しむ者たちがいた。また、長き病(やまい)に苦しみ、ユダヤ民族の宗教(ユダヤ教)からも、社会からも、ときには家族からさえも忌(い)み嫌われ、遠ざけられた者たちがいた。

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そのような中、イエスは生涯、彼らの傍(かたわ)らに立ち続けた。彼らから始めて、すべての人を神の許(もと)に連れ帰るために。

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イエスは、当時の社会規範の根幹であった《ユダヤ律法》の規定(ユダヤ教の諸戒律)をあえて犯してでも彼らに癒(いや)しを与え、また彼らを苦しみから救い出して、《罪の赦し》を宣言した。彼らに《神の子》としての尊厳を回復した(マルコ 2:8b~12a、ヨハネ 5:1~18 参照)。

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またイエスは、人々の救済よりも暴利を貪(むさぼ)ることに腐心していたエルサレムの神殿宗教を批判し、これを粛清した(マルコ 11:15~18 参照)。

そればかりか、エルサレム神殿の崩壊さえ予告した(マルコ 11:15~18、13:1~2 、ルカ 21:5 参照)。

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インマヌエル(神、われらと共にいます)。

イエス・キリストは、〔何らかの救済の徴(しるし)ではなく〕まさにインマヌエルそのものであった。

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イエスの降誕から遡(さかのぼ)ること700 年余り、旧約の預言者イザヤは、《インマヌエル》の歴史的到来(=宗教的な救済原理や理念の啓示としてではなく、一人ひとりの人間を愛し・呼びかけ・招き・救う、そして人間の切なる祈りと心の叫びに応える、そのような生ける人格、《救い主》としての到来)を預言した(前734年頃、イザヤ 7:14、8:8,10)。

 

この《インマヌエル預言》は、イエスの来臨(らいりん)によって、預言者の思いをはるかに凌駕(りょうが)する形で成就(じょうじゅ)した(マタイ 1:23参照)。

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福音書によれば、イエス・キリストは《インマヌエル》として《神の愛》と《神の義》を体現すると共に、生ける《神の言葉》(ロゴス、λόγος )として独一無二(どくいつむに)の仕方で、神の御心(みこころ)を世に顕(あらわ)した(ヨハネ1:1~5、14~18)。

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​⑵ 十字架の道​​

しかしそのために、かえって彼はユダヤ民族の国体(=聖なるユダヤ律法とエルサレム神殿)の尊厳を破壊する者として、宗教指導者たち(サドカイ派、ファリサイ派、律法学者たち)の怒りを買い、彼らに憎まれ、告発され、命を付け狙(ねら)われたのである(マルコ 14:53~65、ヨハネ 5:1~18 参照)。

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