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聖書に学ぶ 017

2022年5月15日改訂

原著:藤井 武

現代語化:タケサト・カズオ

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詩篇研究

虐げられる者の叫び⑴

詩篇 第10篇

 

Psalm study

Cry of the oppressed ⑴

Psalm 10

 

Takeshi Fujii

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泣きながらポーランド国境に向かって歩くウクライナの少年 01_edited.jpg

泣きながら一人、

ポーランド国境に向かって歩く

ウクライナの幼い少年(注1)

Small Ukrainian boy cries as he walks

to Poland border

* * * *

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虐げられる者の叫び

詩篇第10篇

​

(改訳)

1.〔神〕ヤハヴェよ、なにゆえ遠く離れて立ち、
 困窮
(なやみ)の時に、姿を隠されるのですか。


2.悪(あ)しき者は高ぶり、苦しむ者をひどく痛めつける。
 自ら企
(くわだ)てた謀略(はかりごと)に彼らが捕(と)らえられますように。

​

3.じつに悪しき者は、自らの野望を誇り、

 貪欲な者はヤハヴェを棄(す)てて侮(あなど)る。


4.悪しき者は高ぶって言う、「神は追及しない。神などいない」と。これが、彼の思いのすべてである。

​

5.彼の道は常に栄える。

 あなたの審判(さばき)は彼から高く離れている。彼はすべての敵を吹き倒す。


6.彼はその心の中で言う、わたしは動かされない。わたしは代々、

 災いに遭(あ)うことはない、と。

​

7.その口は呪詛(のろい)と欺きと暴虐(しいたげ)に満ち、

 その舌のかげには禍害(わざわい)と邪悪(よこしま)がある。

​

8.彼は村里の待ち伏せ場に座り、
 陰密の場所で罪なき者を殺す。


9.彼は茂みに潜む獅子(しし)のように隠れて待ち伏せする。

 苦しむ者を捕らえるために待ち伏せし、網にかけて苦しむ者を捕らえる。


10.彼はうずくまり、彼はかがんで、その爪に寄る辺なき者は陥(おちい)る。

​

11.彼はその心の中で言う、「神は忘れているのだ。そのみ顔を隠し、永遠にご覧にならない」と。

​

12.ヤハヴェよ、起(た)ち上がって下さい。神よ、聖手(みて)を上げてください。

 苦しむ者たちを忘れないでください。


13.なにゆえ、悪しき者は神を侮り、心の中で言うのか。

 あなたは追及しない、と。  

​

14.あなたは禍害(わざわい)と憂愁(うれい)をしかと見ておられる、
 これを眼に留めて、聖手
(みて)によって報(むく)いるために。
寄る辺なき者はあなたに身を委ねる。
 あなたは孤児
(みなしご)の助け手となられる。

​

15.不法な悪しき者の腕を折ってください。
    彼の悪を追及してください、もはや何一つ残らなくなるまでに。

​

16.ヤハヴェこそ、代々とこしえに王。
 諸国民は、その地から滅び失せた。

​

​17.苦しむ者たちの願いを、ヤハヴェよ、あなたは聴いてくださった。
 あなたは彼らの心を確かなものとし、耳を傾けてくださった。

​

18.孤児と虐げられる者のために審判(さばき)を行い、
 この地の人がふたたび、脅
(おびや)かされることがないように。

(藤井武訳を現代語化。参考資料:関根正雄訳、月本昭男訳、聖書協会共同訳)

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​

                                     

Ⅰ 解しがたい摂理


〔1-①〕                                

1.〔神〕ヤハヴェよ、なにゆえ遠く離れて立ち、
 困窮
(なやみ)の時に、姿を隠されるのですか。


2.悪(あ)しき者は高ぶり、苦しむ者をひどく痛めつける。
 自ら企
(くわだ)てた謀略(はかりごと)に彼らが捕(と)らえられますように。

​

〔1-①-ⅰ〕
人生に大きな謎がある。

 

それは、悪しき者の傲慢(たかぶり)のために苦しむ者が脅(おびや)かされて、その心がひどく痛めつけられていることである。

 

〔また、〕前者の企てた謀略(はかりごと)の網に、後者が獲物(えもの)のように捕らえられて苦しんでいることである(注1)。

 

至る所にこの事実が見られる。

虐(しいた)げる者たちと、虐げられる者たち。社会は常に、この二つの階級から成り立っている。

​

〔1-①-ⅱ〕
どうして、このような不公平が許されるのか。

自身、虐げられる者の中にいる者は、神に向かって叫ばずにはいられない。

 

神よ、なにゆえ遠く離れて立たれるのですか。

何ゆえ困窮(なやみ)の時に、われらが最もあなたを必要とする時に、かえって姿を隠されるのですか、と。

 

この叫びを挙げない者は、つまるところ、虐げる方の階級に属する者に他(ほか)ならない。

​

​

〔1-②〕

3.じつに悪しき者は、自らの野望を誇り、

 貪欲な者はヤハヴェを棄(す)てて侮(あなど)る。


4.悪しき者は高ぶって言う、「神は追及しない。神などいない」と。これが、彼の思いのすべてである。

​

悪しき者、すなわち虐げる者の品性の特徴は、傲慢にある。

 

彼は自分の利己的で憎むべき霊魂の欲望を恥じる〔という〕ことを知らない。彼、貪欲(どんよく)な者は神を思うことなく、かえって神を侮り私慾(しよく)をほしいままにする。

 

彼の顔には、傲慢の心が表れている。

すなわち彼は思うのである、「神、神と言っても、かつて神は、私の非法を追及したことはないではないか。

所詮(しょせん)、神はいないのである。〔たとえ〕いても、いないのと同じである」と。

 

実にこの道徳的無神論こそは、彼の思想の総括、その人生観の要約である。

​

​

〔1-③〕

5.彼の道は常に栄える。

 あなたの審判(さばき)は彼から高く離れている。彼はすべての敵を吹き倒す。


6.彼はその心の中で言う、わたしは動かされない。わたしは代々、

 災いに遭(あ)うことはない、と。

​

したがって彼の眼中〔に〕、神なく人なしである。

 

彼は思う、自分の道はいつでも栄える。自分の企(たくら)みはいつでも成功すると。

神の審判だと? そんなものがある〔という〕のか。たとえあるとしても、それは高い天上のこと。自分には〔何の〕関係〔も〕ないと、彼はうそぶく。

 

神に〔対して〕すでに、こうである〔。まして、人に対しては言うまでもない〕。

 

自分に敵対する者は、どこにいるか〔。どこにも、いはしない〕。

「何が〔やって〕来ても、私は動かされようもない。不幸というものは、私に〔とって〕は永遠の未知数である」。

そいうふうに彼は、心中に独語するのである。

 

そうしてわれらは知る。すべてこの世に蔓延(はびこ)る悪者たち、虐げる階級の人々の思想は所詮(しょせん)、この外に出ないことを。

​

​

〔1-④〕

7.その口は呪詛(のろい)と欺きと暴虐(しいたげ)に満ち、

 その舌のかげには禍害(わざわい)と邪悪(よこしま)がある。


彼の品性に次いで、彼の行為はどうか。

 

まずその口から聞くものは、あらゆる悪言である。

すなわち、弱き者に対する呪詛(のろい)と、そしてこの呪詛を実現するための欺き、暴虐。

 

すでに欺きがあるからには必ず、甘言(かんげん)がある。しかしそれはもちろん、舌の上だけのこと。

 

〔その〕かげに潜(ひそ)むものは、何か。禍害と邪悪。

 

蜜のような見せかけで弱き者を誘(いざな)い〔、襲いかかり〕、そして蝮(まむし)のような毒をこれに注ぐ。

​

​

〔1-⑤〕

8.彼は村里の待ち伏せ場に座り、
 陰密の場所で罪なき者を殺す。


9.彼は茂みに潜む獅子(しし)のように隠れて待ち伏せする。

 苦しむ者を捕らえるために待ち伏せし、網にかけて苦しむ者を捕らえる。


10.彼はうずくまり、彼はかがんで、その爪に寄る辺なき者は陥(おちい)る。

​

〔1-⑤-ⅰ〕
その言葉に劣らず、その所業の〔何という〕悪辣
(あくらつ)さよ、陰険さよ。

 

例えば、村里の待ち伏せ場に座す追い剥(は)ぎのように、彼は人に気付かれない陰密の場所で、罪なき者の血をすするのである。

 

見よ、その眼は怪しい青光を発しながら今も、物陰に隠れ待ち伏せしている。


また、たとえば獲物の前に網を張る猟師(りょうし)にも比べ〔られ〕ようか。

 

猟師のように彼はうずくまり、獅子のように彼はかがむ。そして、やがてその網に、その爪に、寄る辺なき者たちは陥るのである。

​

〔1-⑤-ⅱ〕
ああ、これは痛ましい〔、この世の〕事実ではないか。

​

罪なき乙女(とおめ)がこのようにして売られていくではないか。物心のつかない幼児が、このようにして拐(かどわ)かされて〔、連れ〕去〔られ〕るではないか。無知な労働者がいわゆる監獄部屋に放り込まれ、実直な農民が代議士や地方有力者の食物に供される。

みな、これではないか。

 

そのほか家庭において、兵営において、病院において、工場において、警察と裁判所において、市町村と国家とその議会とにおいて、〔寄る辺なき者に対し〕いかなる圧制が行われているかを、知る人ぞ知る。

 

ことにまた、真実に神に〔依り〕頼む者を迫害し、虐げる〔悪の〕手が絶えたことはない。

実に、あらゆる姿の追い剥ぎと獅子は、〔この〕世に満ちている〔ではないか〕。

​

われらは、義憤(ぎふん)と同情の涙なしに、人間社会〔の実相〕を正視することができない。

​

​

〔1-⑥〕

11.彼はその心の中で言う、「神は忘れているのだ。そのみ顔を隠し、永遠にご覧にならない」と。

​

このような悪辣(あくらつ)、陰険〔なこと〕を行いつつ、虐げる者は心の中で言うのである。

 

神は忘れているのだ。神は顔を隠したのである。神は人間社会の実相を見はしないのだ、と。

 

この道徳的無神論はもともと、彼の思想の総括であるが、それがまた甚(はなは)だ不幸にも、彼の〔現〕実〔の経〕験によって確かめられるのである。

 

実際、虐げる者の存在を見るとき、神は何をしているのだろうかと、誰もが疑わざるを得ない。

​

​

〔1-⑦〕

12.ヤハヴェよ、起(た)ち上がって下さい。神よ、聖手(みて)を上げてください。

 苦しむ者たちを忘れないでください。


13.なにゆえ、悪しき者は神を侮り、心の中で言うのか。

 あなたは追及しない、と。  

 

​

〔1-⑦-ⅰ〕
虐げる者の嘯
(うそぶ)きに対して、虐げられる者には、ただ祈りあるのみである。

 

彼はただ神に向かって叫んで言う。

神よ、いつまでも打ち棄(す)て置かずに、〔われらのために〕速(すみ)やかに起ち上がって下さい。力あるみ手を上げて、虐げる者たちを撃(う)ち下してください。虐げられて悩む、憐れむべき者たちを忘れないでください、と。

​

しかし実際においては神は、そう速(すみ)やかに起ち上がってくださらない。彼は容易にみ手を上げず、あたかも苦しむ者たちを忘れたかのごとくに、放任される。

 

彼の支配下にあるはずのこの世界に、憎むべき圧制、耐えがたい暴虐が、公然、隠然と行われることは、残念ながら、事実である。

この大きな罪悪の絶えた日は、昔から一日もない。

​

〔1-⑦-ⅱ〕
ここに至り、虐げられる者の叫びはまた、元に戻らざるを得ないのである。すなわち、疑問である。「なにゆえ・・」〔の悲痛な叫び〕である。

 

「なにゆえ、悪しき者は神を侮り、心の中で言うのか。あなた(神)は追及しない」と。

 

これは先の言葉(3、4節)を引いてまた、最初の疑問を繰り返したに他ならない。

​

〔1-⑦-ⅲ〕
〔これに〕よって、われらは一つの事実を学ぶ。

人生とは、このようなものである。

 

圧制が絶えない。柔和な者は踏みつけられ、正しき者は虐(しいた)げられる。そうして、神はそれを放任されるのである。少なくとも放任するかのようにされるのである。

 

神は、寄る辺なき者の祈りをただちに〔は〕聴いてくださらないのである。神は、苦しむ者の境遇を必ずしも改めてくださらないのである。

 

神は通常、人が想像するよりも冷淡である。聖書はそのように教え、われらはそのように実験する。

 

神に信頼すれば〔たちまち、〕この世の幸福に与(あずか)ることができると考えるほど、大きな誤解はない。

​

〔1-⑦-ⅳ〕
それならば、なにゆえだろうか。

 

なにゆえ神は不義を放任されるのだろうか。なにゆえ彼は苦しむ者、ことに彼に依り頼む者たちを見棄てられるのだろうか。

 

不思議なことである。神にふさわしくもないことである。

 

神はいないというならばもちろん、それまでのこと。

しかし彼がおられる以上、〔しかも〕義であり愛であり、かつ全能の神がおられる以上、それは解しがたい謎であるにちがいない。


それゆえ、ただわれらの詩人〔一人〕だけではない。昔から多くの人がこの疑問をもって神に〔応答を〕迫った。

​

けれども神はついに、説明をさえ与えてくださらないのである(編注:古来、これを「苦難の神義論」と呼ぶ)。


神はご自身をわれらに了解させようとはされない。確かに彼は、不可解な存在である。

 

しかし、そのことのゆえに、われらは彼〔の義と慈愛〕を疑うべきだろうか。分からないからといって、理性で了解しえないからといって、われらは彼への信仰(信頼)を棄てるべきだろうか。

​

〔1-⑦-ⅴ〕 
否
(いな)、断じてそうではない。かえってその正反対である。

 

私は思う、もし神がわれら〔人間〕の小さき頭脳によって悉(ことごと)く了解しうるような者であるならば、その為(な)される所が悉くわれらの予想に適合するような者であるならば、「なにゆえ」という驚異の声をそれに向かって投げかける余地のないような者であるならば、そうであるなら私は、到底(とうてい)、神を信ずることはできないであろう、と。

 

なぜかと言えば、このような「神」は実は神ではなくて、わずかに人間に毛の生えた者〔、つまり人間の願望や恐怖の投影〕にすぎない〔からである〕。

 

鼻から息の出入りする者(=有限な人間)に悉く把握されるような、そんな「神」が何で真(まこと)の神であろうか。

​

〔1-⑦-ⅵ〕
神がもし〔真の〕神であるならば、彼は必ずや天が地よりも高いようにわれらを超越する者(=絶対的超越者)であるに違いない。

 

その審判は〔われら人間には〕測りがたく、その道は尋ねがたいものであるに違いない。

 

不可解であることは神にふさわしくない欠陥ではなく、かえって神らしさの条件である。

 

彼が為される所がなにゆえかは、われらには分からない。それほど〔に〕深き御心を彼はいだかれる。

 

ある極めて偉大な、今はわれらの到底了解し得ない理由によって、彼は憚(はばか)らず、その永遠の計画を実行される。

そこに言いがたき神らしさがある。


要するに、神のみこころである。彼のみわざである。

分かっても分からなくても、必ずや最善である。〔一体、〕誰がそのことを否定できよう。

​

〔つづく〕

​

♢ ♢ ♢ ♢

(原著:藤井武「虐げらるる者の叫び(詩篇 第10篇)」『旧約と新約』第93号、1928〔昭和3〕年3月。「藤井武全集 第4巻』岩波書店、1971年、142~150項を現代語化。( )〔 〕内、下線は補足)

 

注1 詩篇 第10篇とウクライナの人々 

Psalm 10 and the Ukrainians

この詩における「虐げられる者の叫び」は、ロシアの独裁者プーチンとその軍隊の激しい攻撃と暴虐に曝(さら)され、国家的規模で苦しみの中にあるウクライナの人々の叫び(祈り)そのものでもあると思われる。

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注2 詩篇研究 「虐げらるる者の叫び(詩篇第十編)」

Psalm Study "Cry of the oppressed  Psalm 10"

参考までに、以下に原文の一部を引用する。

​

​原 文

Original text

​

 1 解しがたき摂理

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1.何ゆゑエホバよ、はるかに立ちたまふか。困窮の時にかくれたまふか。

​

2.悪しきものの傲慢をもてなやめるものは燃ゆ。そのたくらめる謀略にかれらは捉はる。

​

​

人生に大きな謎がある。悪しきものの傲慢のために、悩めるものは脅かされてその心燃えをること是である。前者のたくめる謀略の網に、後者は獲物のごとく捉はれて苦しみをること是である。到るところにこの事実が見られる。虐ぐるものらと、虐げらるるものら。社会は常にこの二階級から成立つてゐる。

​

いかにして斯くのごとき不公平が許されるのであるか。自ら虐げらるる階級の中にあるものは、神にむかつて叫ばざるを得ない。神よ、なんぢ何ゆゑ遙かに離れて立ちたまふか、何ゆゑ困窮のとき、われらが最もなんぢを要するときに、却って隠れたまふかと。この叫びを挙げないものは、畢竟(ひっきょう)虐ぐる方の階級に属するものに他ならない。

​

・・・

(『藤井武全集 第四巻』岩波書店、1971(昭和46)年、「詩篇研究  虐げらるる者の叫び(詩篇第十編)」、144~145項より引用)

 

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