聖書に学ぶ 015

2021年10月21日改訂

原著:藤井 武

現代語化:タケサト・カズオ

詩篇研究

朝の祈り

詩篇 第3篇

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* * * *

 

1. わが敵のいかに多いことか

〔神〕ヤハヴェよ、わが敵のいかに多いことか!


数多(あまた)の者がわたしに向かって起ち上がり、
数多の者がわが霊魂
(たましい)について言いつのる、
神の許
(もと)には彼の救いなどありはしない、と。

(詩篇 3:2、3  関根正雄訳、月本昭男訳参照

〔1-①〕
アブサロムは父ダビデに対する叛逆
(はんぎゃく)を決意した(注1)

彼は策を弄(ろう)して人心を掌握し、ヘブロンへ赴(おもむ)いて事を挙(あ)げた。

 

謀反(むほん)(くわだ)てた者たちは力があり、多くの者が次第にアブサロムに加担した」(サムエル記下15:12)。

 

ダビデの相談役アヒトペルを始めとして、叛徒に加わって、ダビデに向かい起ちあがる者が多くいた。

〔1-②〕
ダビデは
(あわ)てて起ち、王宮を棄てて逃げた。アブサロムは大軍を率いて彼を追った。

 

ダビデ一行が〕逃げてバフリムまで来ると、サウル家の一族の出でシムイという者が現れ、呪いの言葉を発しながら出て来た。


さらに彼は、ダビデとその家臣〔全員〕に石を投げ〔つけ、〕塵(ちり)を揚(あ)げながら、呪いの言葉を発して、こう言った、

 

出て行け、出て行け。血にまみれた者、ならず者よ。

サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、ヤハヴェは報復されたのだ。〔だから〕ヤハヴェはお前の息子アブサロムに〔王〕国を渡されたのだ。

見よ、お前は血にまみれた者だから、禍(わざわ)いが降りかかったのだ」と。

〔1-③〕
ダビデは振り返り、迫り来るものがいかに多いかを見た。

 

この数多の者はみな、自分に向かって起ち上がり、自分を撃(う)とうとする者であることを思った。

 

また彼らは、単に自分の肉体を悩ませるばかりでなく、霊魂(たましい)にまでも迫ることを知った。

つまり彼らは、神と自分の関係さえ〔も〕傷つけようとするのである。自分を神に詛(のろ)われた者であると言って、誹謗するのである。

この(いたま)しい真情をダビデはまず、そのまま神に訴えた。

〔1-④〕

このようにダビデに敵が多かったのは、なぜか。

 

それは、彼を詛う者が言ったように、彼の罪に対する神の審判であった、とも言うことができる。

 

すでに神は預言者ナタンを通して、彼に予告し〔てい〕た。

すなわち、

きみが〔神である〕私を侮(あなど)ったゆえに、剣(つるぎ)はいつまでも、きみの家を去らないであろう」と(サムエル記下12:10。関根正雄訳)。

 

しかしながら注意すべきは、この予告と同時に、「ヤハヴェもまた、あなたの罪を〔取り〕除かれる」との宣告が与えられていることである(同12:13)。

 

罪は〔すでに取り〕除かれたのである。そして、その後に禍(わざわ)いが臨もうとしているのである。

 

もし、罪が〔今〕なお除かれなかったならば、おそらく災いも未(いま)だ臨まなかったであろう。

換言すれば、もしダビデが悔い改めて義(ただ)しき人とならなかったならば、おそらくアブサロムは彼に叛(そむ)かなかったのであろう(サムエル記下12:23、31参照)。

〔1-⑤〕
いずれにせよ、一つのことは確かである。
それは、神に従う者には敵が多いということである。

 

なぜかと言えば、この世は全体として神の敵であるからである。

 

イエスは言われた、

「〔この〕世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前に私を憎んだことを覚えておくがよい。

 

もしあなたがたが世から出た者であるならば、世はあなたがたを自分のもの(=仲間)として愛するだろう。

 

だが、あなたがたは世から出た者ではない。私があなたがたを世から選び出した〔のだ〕。だから世は〔「己(おのれ)をないがしろにする者」として〕あなたがたを憎むのである。・・・

 

〔弟子は、師に勝(まさ)る者ではない。〕人々が私を迫害したなら、あなたがたをも迫害するだろう」と(ヨハネ15:18~20)。

まことにイエスの生涯ほど、敵多き生涯はなかった。

 

数多の者が彼に向かって起ちあがり、ついに彼を十字架に釘づけた。また十字架の上で、彼の霊魂について嘲(あざけ)り〔、かつ〕謗(そし)った。

 

イエスは、地〔上〕に平和を投じるために来なかった。

いやそうではない〕、かえって剣のためであった。

 

イエスのゆえに、人はその父から、娘はその母から、嫁はその姑(しゅうとめ)から分(わ)かたれた。人の仇敵(あだ)は、その家の者であった。

 

イエスは〔世に〕来て、火を地〔上〕に投じた。

〔1-⑥〕
誰が争いを好むだろうか、誰が敵を求めるだろうか。

 

しかし残念ながら、「今〔の時代〕は悪(あ)しき世」である。「〔この〕世の友となることは、神に敵対すること」なのである。

 

われらは〔まず、〕神に〔聴き〕従わなければならない。それゆえ、〔この〕世〔本位〕の人々を敵とせざるを得ない〔のである〕。

 

およそ二心(ふたごころ)なしにキリストを信じようとする者(=キリストに忠誠を誓う者)は、必ず〔や〕骨肉(こつにく)から、友人から、社会から分かたれることを覚悟しなければならない。

これは、動かすことのできない鉄則である。

 

人情としては、実に〕辛(つら)い。苦しい。

しかしやむを得ない。この世にあっては、敵のないところに神はおられない

2. あなたこそ、わが盾

しかしあなた〔こそ〕は、ヤハヴェよ、わたしを囲む盾(たて)

​ わが栄光、わたしの頭をもたげ給(たも)うお方。

わが声をあげ、ヤハヴェに向かってわたしは叫ぶ。

 彼はその聖なる山から、わたしに答えられる。

(詩篇 3:4、5)

〔2-①〕

謀叛による数多の敵に追われて、ダビデは身をもって王宮から逃れ出た

 

彼は(こうべ)を包み、裸足(はだし)で進んだ。キドロンの谷を渡って、オリーブ山の道を登るときに、彼は泣いていた。従って行く民たちも、みな泣きながら登っていった(サムエル記下 15:23、30)。

 

憐れむべき限りの境遇である。

 

しかし、彼の世界はそれだけではなかった。ダビデには、今ひとつの隠れた世界があった。

そこには他のものは見えない。ただ、一人の者がいる。彼が一切である彼の存在がすべての問題の解決〔の源〕である。

〔2-②

敵は四方から〔私に〕立ち向かう。

しかしヤハヴェがおられる。ヤハヴェこそ、私を囲む盾である。

これこそ、〕最強の盾。いかなる剣、いかなる火矢(ひや)が、この盾に敵(かな)うだろうか〔。決して敵いはしない〕。

 

(う)つなら撃て、突くなら突け。ヤハヴェは〔私に〕代わって応じ、代わって斥(しりぞ)けられる。

私としては、ただヤハヴェの陰(かげ)に隠れさえすればよい。ただ彼を信じて、彼に委(まか)せさえすればよい。そうすれば、絶対に安全である

敵は、〔私を〕嘲(あざけ)り辱(はずかし)める。

 

しかし、私の真実の栄光(さかえ)は何か。

それは、この世の〕地位ではない。勲功(くんこう)ではない。所有〔物〕ではない。〔神〕ヤハヴェである。〔救い主〕キリストである

 

ただ彼を私は誇りとする。

彼こそは、心の底から讃(たた)えるべき〔わが〕名誉(ほまれ)。彼と一体のものである限り、私自身はどんなに嘲られ、辱められてもよい。

その時、〕私は常に彼を指〔差〕して答える。「見よ。〔彼こそ、〕わが栄光〔!〕」と

数多の敵に囲まれ、〕私の頭はうなだれる。

しかしひとたび、ヤハヴェ-キリストを思うとき、さながら夜寒にうたれた花が太陽に遇(あ)ってふたたび、茎の上に直立するように、それは起きあがる。

キリストこそは、わが頭をもたげ給(たも)うお方彼によって癒されない傷はない

〔2-③

私はここにいる。ヤハヴェはかしこにおられる。

ここ〕窮迫(きゅうはく)の谷底、かしこ〔は〕聖(きよ)き山。

ここから声をあげて、私は〔ヤハヴェを〕呼ぶ。かしこから、こだまのように彼は答えられる。

みだれた私の声、確かな彼のみことば。絶えざる呼びかけ、絶えざる応答。

必ずしも祈りが、常にそのまま聴かれるというのではない。人格者としての反響のことである。

とにもかくにも神は、死せる者のようではなく、生ける者らしく、われらの要求(もとめ)に何らかの手応(てごた)えを与えて下さるのである。

われらは触れてみて、知っている。神は生きておられることを。そして、それで十分なのである。

そうだ〔確かに、〕神は生きておられる!

〔2-④

ダビデは敵を見、〔そして〕自分を見て、泣いた。しかし、やがてヤハヴェを仰いで、彼は歌いかつ讃えた

彼の生命(いのち)は、ヤハヴェとの深き交わりの中にあった。

3.わたしは目覚めた

わたしは伏(ふ)して眠り、また目覚(さ)めた。

 ヤハヴェがわたしを支え給うから。

わたしは恐れない、わたしに向かって

 四方から襲いかかる数知れぬ人々をも、決して。

(6、7節)

〔3①〕

ヤハヴェがおられる。それで十分である。

何がどうなっても良い。〔たとえ、〕世界が壊れても良い。ヤハヴェさえ生きておられれば、問題はない〔。

ヤハヴェは最終的に人類の罪に勝利し、すべての問題、すべての争い、すべての痛みを根源的に解決して、この世界-宇宙-を完成させてくださるであろう〕。

〔3-②

猟師追われる獣(けもの)のようにダビデは〔、王宮を捨てて〕逃げた。一夜は、不安のうちに過ぎた。

 

しかし次の夕のめぐり来るまえに、大洋のよう〔に、広く大き〕な平安が彼の胸をおおった。

 

その夜(よ)ヨルダンの彼方(かなた)の野に、草を褥(しとね)に彼はうち伏した。

ただちに彼は眠りにおちいった。夢はエルサレムの宮居におけるよりも円(まろ)やかであった。

夜は明けた。ダビデは物忘れした人のように目覚めた。

そのとき、〕美(うる)わしき朝の野霧のほかに、彼の心にかかる曇りとてはなかった。

生まれた身かとばかりに、彼自身、不思議に思った。

ようやく想い起こしてみれば〔実は〕、恐るべき〔滅びの〕深淵の縁(ふち)に自分は横たわっているのであった。

この境遇における〔、この〕平安。

何という不思議な配合(コントラスト)であろう。

それも、そのはずである。ヤハヴェがいますからである。ヤハヴェの大いなる聖手(みて)が枕となって、自分を支えたからである。

 

この力強き支えの存(あ)るかぎり、一万一千の民が自分を囲んで立ち構えても、何の恐るべきことがあろうか

こうして前日の怯(おび)〔える〕者ダビデは一変して、〔今日〕ここに、恐怖(おそれ)を知らぬ勇者(ますらお)であった。

〔3-③

信頼する者は、〔すべてを〕委(ゆだ)ねる

 

ごとに私は一切の荷物を大風呂敷(おおぶろしき)に包んで彼の聖手(みて)にお預けし、自分は全く問題無しの裸の身となって寝床に横たわる。

 

(よい)越しの苦労は私にはない。

それゆえ、(あした)に目覚めるとき、讃美が私の〔想いを占める〕唯一の意識である。

 

私もまた、ダビデに声を合わせて言う、

「わたしは伏して眠り、また目覚めた。

 ヤハヴェがわたしを支え給うから」と。

♢ ♢ ♢ ♢

(原著:藤井武「朝のいのり(詩篇 第3篇)」『旧約と新約』第92号、1928年2月初出。「藤井武全集 第4巻』岩波書店、1971年、95~98項を現代語化。( )〔 〕内、下線は補足)

注1 ダビデ

​紀元前1,000年頃。イスラエルの第2代の王で、統一王国の確立者。

 

石投げ縄で投石してゴリアトを倒したこと、竪琴(たてごと)の名手で数多くの詩や歌を作ったことで知られる。聖書の詩篇の半数近くが、ダビデの作と言われる。

 

三男アブサロムが反乱を起こし、わずかな期間だったが、ダビデは逃亡を強いられた。

しかし、軍勢を再編したダビデが反攻に転じると、アブサロムの反乱は鎮圧された。

後の時代、イスラエルが存亡の危機に陥った時、神がダビデのような救済者を遣(つか)わしてイスラエルを救うという期待が生まれた(イザヤ 9:5,6)。これがいわゆる《メシア待望》である。

メシアは《第 2 のダビデ》として、ダビデの子孫、ダビデの故郷イスラエルから出ると考えられた(ヨハネ 7:42)。

ダビデについては長らく聖書外史料がなかったが、1993年にイスラエル北部のダン遺跡で発見されたアラム語の碑文に「ダビデの家」という語句があることが確認され、少なくともイスラエル王朝の創始者としてほぼ裏付けられた。

(参考文献:大貫隆ら編集『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2002年、725項。R.P.ネッテルホルスト『聖書人物記』創元社、2009年、86項)

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