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信仰と人生

詩歌 063

2022年5月28日更新

クリスマスキャロル

作詞作曲:ジェスター・ハリストン

日本語訳:サカマキ・タカオ

メアリーズ・ボーイ・チャイルド

Mary's Boy Child

〔-マリアの御子-

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女性独唱

At Norwegian Television in 1987.

Sissel Kyrkjebø Mary's Boy Child - 1987YouTubeへ

男性独唱

Jim Reeves Mary's Boy Child YouTubeへ

少年合唱

Libera:Mary's Boy Child YouTubeへ

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* * * *

Mary's Boy Child

〔- マリアの御子 -〕


Music: Jester Hairston, 1956

Lyrics: Jester Hairston, Harry Belafonte


1.                                        
Long time ago in Bethlehem,
So the Holy Bible say;
Mary's boy child, Jesus Christ,
Was born on Christmas day.

ずいぶん昔のこと、クリスマスの日に

ベツレヘムでマリアの御子(みこ)

救い主イエスがお生まれになった」。
そう聖なる書は告げる。

Hark, now hear the angels sing,
"A new king 〔was〕 born today,
And man will live for evermore,
Because of Christmas day.
"

今こそ聴け、天使たちが〔こう〕歌うのを。
今日、新しき〔まことの〕王がお生まれになった。


そして人は、クリスマスの日のゆえに
キリストと共に〕永遠に生きるようになる」と
(注1)

Trumpets sound and angels sing,
Listen to what they say,
That man will live for evermore,
Because of Christmas day.

ラッパは響き渡り、天使たちは歌う。
彼らの
言葉に耳を傾けよ。

人は、クリスマスの日のゆえに
永遠に
生きるようになる」〔との言葉に〕。

2.
While shepherds watched their flocks by night,
They see a bright new shining star,
They hear a choir sing 〔a song〕,
The music seemed to come from afar.

羊飼らが群れを見守っていた〔その〕夜
彼らは(きら)めき輝く新しき星を見、

天使の大軍の讃美を聴いた。
その調べは、はるか遠く〔天〕から響くかのよう。


Now, Joseph and his wife Mary,
Come to Bethlehem that night,
They find no place to born the child,
Not a single room was in sight.

さてその夜、ヨセフと〔身重の〕妻マリアは
ベツレヘムにやって来た。

だが、〕彼らには子供を産む場所が見つからなかった。
一人部屋さえも・・。
   

                     

Hark, now hear the angels sing,
"A new king 〔was〕 born today,

And man will live for evermore,

Because of Christmas day."

今こそ聴け、天使たちが〔こう〕歌うのを。
今日、新しき王がお生まれになった。

そして人は、クリスマスの日のゆえに
永遠に生きるようになる」と

 

Trumpets sound and angels sing,
Listen to what they say,
That man will live for evermore,
Because of Christmas day.

ラッパは響き渡り、天使たちは歌う。

彼らの言葉に耳を傾けよ。

人は、クリスマスの日のゆえに
永遠に
生きるようになる」〔との言葉に〕。

 

3.
By and by they find a little nook,
In a stable all forlorn.
And in manger cold and dark,
Mary' s little boy was born.

ようやく二人は、わびしき馬小屋に

わずかな一隅(いちぐう)を見つけた。

そして、冷たく暗い飼い葉桶の中に
マリアの小さな男子
(おのこ)は生まれた
(注2、3)

 


Long time ago in Bethlehem,
So the Holy Bible say;
Mary's boy child, Jesus Christ,
Was born on Christmas day.

ずいぶん昔のこと、クリスマスの日に

ベツレヘムでマリアの御子(みこ)

救い主イエスがお生まれになった」。
そう聖なる書は告げる。

Hark, now hear the angels sing,

"A new king 〔was〕 born today,

And man will live for evermore,

Because of Christmas day."

今こそ聴け、天使たちが〔こう〕歌うのを。
今日、新しき王がお生まれになった。

そして人は、クリスマスの日のゆえに
永遠に生きるようになる」と

Trumpets sound and angels sing,
Listen to what they say,
That man will live for evermore,
Because of Christmas
day!

ラッパは響き渡り、天使たちは歌う。

彼らの言葉に耳を傾けよ。

人は、クリスマスの日のゆえに
永遠に
生きるようになる!」〔との言葉に〕。

 

♢ ♢ ♢ ♢

1 キリスト降誕(クリスマス)永遠の生命

聖書が「永遠に生きる」と言うときの《永遠》とは、時計で計ることのできる単なる物理的な時間(ヒトとして生きる時間の長さ=寿命)の永続を意味しない。

むしろそれは、生命(いのち)の質的な転換(神・キリストと共にある生命=新しい生命への飛躍)を意味する。

永遠》は、神とキリストにのみ属する。われら被造物(ひぞうぶつ)自体に、《永遠》は無い。

 

永遠の《神の御子(みこ)》イエスは、われら被造物との無限の距離(無限の質的差異)を乗り越え、しかも最も貧しい姿でこの世に降誕された。そして彼は、《十字架の道》を歩み、われらに神の愛》を示された(詩歌017八木重吉十字架)。

イエスの愛は、凍(こご)えた、われらの魂に愛と信頼の灯(ひ)を点(とも)す。

そればかりかイエスは、彼を愛し慕う者に《永遠の生命(いのち)》を約束される。

キリストの愛(まことの命)に包まれ、われらは、儚(はかな)き生を超えて溌剌(はつらつ)と、そして永遠に成長を続ける

私たちの外なる人が朽(く)ちるとしても、私たちの内なる人は日々、新たにされています。

 

このしばらくの軽い苦難は、私たちの内に働いて、比べものにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」。

(コリントⅡ 4:16~17、パウロの言葉)

これが、われらに啓示(けいじ)された《永遠の生命》の意味である。

 

この生命は、キリストの十字架によって、すべての人に等しく差し出されている。

どのような境遇にあろうとも、万人(ばんにん)この《新生命》に与(あずか)るべく招かれている。

神の恵みは(あまね)く、すべての人に及ぶ。​

教会人か(いな)かにかかわらず、また洗礼を受けたキリスト教徒であるか否かにかかわらず、すべての人に

​さあ、われらもベツレヘムの厩(うまや)に急ぎ行こう。

2 沈黙して静かに崇拝する
      
一人の嬰児
(みどりご)がわれらのために生まれ、
一人の男子
(おのこ)がわれらに与えられた。


支配(まつりごと)はその肩にあり、

その名は、「奇跡を行う助言者、力ある神、永遠(とこしえ)の父、平和の君」ととなえられる。

(イザヤ書 9:5,6)


天と地が歓喜するのは、一体、誰が誕生したからなのであろうか。

 

この子供が誰であるか言葉で表現しようとするなら、次の言葉が矢継ぎ早に出てくる。

奇跡を行う助言者」、「力ある神」、「永遠の父」、「平和の君」。


奇跡を行う助言者」ー とこの子供は呼ばれている。

彼の内に、あらゆる奇跡の中の最大の奇跡が起こった。すなわち、神が人間となり、〔神の〕言葉(ロゴス λόγος)が肉体となるという奇跡が起こったのである〔ヨハネ 1:14〕。

 

この神の御子が〔神の子としての根源的な〕奇跡を行うただ一人の助言者なのであるから、この子供はあらゆる奇跡と、あらゆる助言の源泉なのである。


力ある神」ー とこの子供は呼ばれている。

飼い葉桶の中で生まれた子供は、まさに神以外のいかなる方でもない。マリヤの子供の中に、全能の神が宿っている。

 

ここで神は、われらのように貧しくわれらのようにみじめで、無力であり、われらのように肉体や血を持った人間であり、われらの兄弟である。

しかも、彼はまさしく神であり、力である。

 

この子供のどこに力があるのであろうか。

それは、この子供がわれらに等しい者とな〔ってくださ〕ったという愛の中に神の愛があるのである。

われらの低さまで降られた〕飼い葉桶の悲惨さこそが、神の子の〔愛の〕力である。

そしてこの愛の力によって、この子供は神と人間の間の亀裂を〔つなぎ合わせ、〕克服するのである。

永遠(とこしえ)父」ー どうして、これが「子供」の名前になりうるのであろうか。

それはこの子供の中に、神の永遠の父性愛が現れているからであり、この子供が、地上に、父〔なる神〕の愛以外の何ももたらそうとしないからである。


平和の君」ー 神が愛ゆえに〔、無限の隔(へだ)たりを超えて〕人間のもとに来る時、神と人間の間、〔人間と自然界、〕そして人間と人間の間に平和が結ばれる。

 

もしあなたが〕神の〔義しき〕怒りを恐れるなら、飼い葉桶の子供の前に行き、そこで〔赦しを得て、〕神の平和を手に入れなさい。

 

もしあなたがあなたの兄弟との間に、争いや憎しみがあるなら、神がどんなに大きな愛からわれらの兄弟になったか、そして神がわれらとどんなに和解しようとしているかを、来て、実際に見なさい。

 

この世には暴力が支配している。しかし、この子供こそは平和の君であり、この子供のいるところには、平和が支配しているのである。


奇跡を行う助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」ー われらはベツレヘムの飼葉桶の傍(かたわ)らでそう言い、イエスという名にどのような意味があるのかを理解しようかと試みる。

 

しかし、これらの言葉でこの子供が誰であるのかを理解しようとすることは、本質的には、言葉で表現することのできない方の前で、すなわち、人のかたちをとった神の前で、沈黙して静かに崇拝すること以外のことではない。

(出典:村椿嘉信訳『主のよき力に守られて-ボンヘッファー1日1章』新教出版社、1986年、636~638項より引用。一部、表現を変更。( )、〔 〕内、下線は引用者による補足)

詩歌054 J.S.Bach馬槽のかたえにわれは立ちて

 

3 飼葉桶の中にある神の低さ

われらは、飼葉桶の中にある神の低さ以外のどこに、すべて不真実なる者、すべて信仰薄き者〔すなわち、われらに対する〕、またすべての拒絶に対する〔神の〕恩寵(おんちょう)を探し求めるべきであろうか」。

(小池創造訳・マンフレート・ヴェーバー編『信じつつ 祈りつつ ボンヘッファー短章366日』新教出版社、1997年、114項「12月18日」、〔 〕内は補足。原題:Dietrich Bonhoeffer Worte für jeden Tag〔ボンヘッファーの日々のことば〕,1995,Kaiser Taschenbücher)

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