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神学研究(神学・論文&教義学)

神学・論文 016

2023年11月24日改訂

中澤 洽樹

Non-Church Movement and Tradition

〖無教会と伝統〗

(1
- 無教会精神の継承 -

 

無教会と伝統〗    2          

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無教会入門石原兵衛内村鑑三と無教会​ ⑷

神学・論文宮田光雄無教会の源流と現​ ⑶

* * * *

無教会と伝統

(1)

〔1〕

 

〔1-①〕

宗教や信仰の世界において伝統が云々(うんぬん)されるのは、今に始まったことではありませんが、最近いろいろな方面で〈伝統〉ということが問題になってきております。

 

これは世の中が落ち着いてきたせいでもありましょうが、一面において世の移り変わりが激しく、〔人々が、〕さまざまな異質的なものと​〔内面的に〕対決し、自分の足下をしっかりと見つめることが必要になったからではないかと思われます。

 

もちろん単なる復古調、リバイバル・ムードの表れにすぎぬ場合もあるでしょうが、やはりそこには、今日における歴史的必然性があるように感じられます。

​〔2


〔2-①〕

ところで一体、「伝統とは何か」ということになりますと、具体的にその実体をつかむことは、なかなか難しいのであります。

 

しかし一応それは、古くからの様式や精神を受け継ぐこと、あるいは受け継がれた様式や精神である、というように辞書的に説明することができます。

 

したがって伝統は、〔われわれとは無関係に〕すでに作られてわれわれの前にあるものであるが、同時にそれはまた、われわれが〔主体的に向き合って〕作るもので〔も〕ある、というような性質のものであります。

 

〔2-②〕
イギリスの詩人T・S・エリオットは、彼が若い頃に書いた「伝統と個性」(Tradition and the Individual Talent)という評論の中で、次のように申しております。


もし伝統ということがただ、前の世代のやり方に追従し、その成果を盲目的に、あるいは臆病に固執(こしつ)するにすぎないならば、いわゆる伝統なるものは断乎として退けられねばならない。・・・

 

伝統は〔棚からぼた餅式に〕相続されるべきものではなく、願うならば非常な努力をして獲得すべきものである」。

 

〔2-③〕
これはたいへん含蓄の深い言葉でありまして、私が考えている事柄の一つのポイントをまさしく言い当てているのですが、私は、私なりの言い方で〈伝統とその継承〉ということについて、しばらく〔の間、〕述べたいと思います。


無教会と伝統については、〕原理的にはすでに、多くの人の書いたもの〔の中〕で言い尽くされており、私〔自身〕も内村〔鑑三〕先生12周年記念の時に出〔版され〕た『無教会主義論集』の中に書いたことがありますので、今日はなるべく実際的な話をしたいと思います。

〔3〕

 

〔3-①〕
伝統とは空気や水の流れのようなものである、と言えましょう。

 

それが豊富にあり、また澄み切って静かに流れている時には、〔その存在は〕あまり意識されません。ところが、伝統が希薄になったり、あるいは何かに掻(か)き乱されて濁(にご)ってきたような時には〔かえって〕、意識され〔るようになり〕ます。

 

最近の東京の空気や水のように余り感心しない状態であっても、それがなければ生きることができないように、何らかの伝統なしには、われわれは生きることができないのです。

〔3-②〕

現に今、みなさんの血の中にも、伝統は脈々として流れています。

 

今日、われわれが昭和38年、〔つまり〕1963年の3月31日というこの時点において、昨日から引き続いてこのような〔内村先生〕記念講演会を持つということも、何らかの〈伝統〉なしには考えられないことです。

 

それは極めて日本的であり、またキリスト教的な伝統であり、具体的には〈無教会の伝統〉にほかならないのです。


すでに30年以上、毎年のようにくり返されるこの〔記念〕講演会は、その時々の講師としては「これを最後」と思って話すかも知れませんが、大体同じような人が同じような事を語り継いでいくことによって、この講演会自体がすでに一つの〈伝統〉となり、ひいてはそれが〈無教会の伝統〉〔の一面〕を形作っていることは事実です。

〔4〕

〔4-①〕

私自身、講師としてこの講演会でお話しをするのは、30周年の時と今日のわずか2回ですが、この場に立つと1/3世紀の伝統の重みを〔ひしひしと〕両肩に感じます。

 

もっと自由な気持ちで楽に話をしたいと思うのですが、なかなかできません。慣れないからでもありましょうが、どうもこの会場の空気が〔他と〕少し違うように感じられます。

 

それは、この〔会場の〕中に、〔無教会の〕諸先生・諸先輩が語ったこと、〔また〕語り継いできたことが、33年の厚い層をなして立ちこめているからでしょう。

 

塚本〔虎二〕、矢内原〔忠雄〕、あるいは金澤〔常雄〕というような先生方の姿はもはやここには見えませんけれども、それらの先生方の声は、この机、この壁の中に泌(し)み込んでいるからです。

 

〔4-②〕
いわゆる三代目の末席を汚す私のような者がここに立って、このような伝統の重さを感じるのは何故でしょうか。

 

それは、だんだんと速度を増してきた歴史の流れの中にあって、自分が〔無教会の〕先代から何を受け継ぎ、何を次の代に伝えるべきかということを、吟味しなければならない時期に、私も今、差しかかったからであります。

〔5〕

〔5-①〕

その際、運動会のリレー〔競技〕のバトンのように、〔渡されたものを〕そのまま次の選手に渡してよいのであれば、問題は簡単です。

 

ところが、〈伝統〉のバトンを渡すことはそう簡単にはいかないし、またそのようにいってはならないと〔私は〕考えます。

 

リレーの場合でも各走者のコースは前〔走者〕のコースとは違いますが、〈伝統〉のリレーでは〔各走者の〕コースが違うだけでなく、渡すべきバトン〔自体〕の内容が、走っている間に変わってくることがあるからです。

 

その理由は、伝統のバトンは物質ではなく、精神であり生命であるからです。

 

われわれ〔無教会〕の場合は、その生命・精神はむろん、《キリストの福音》ですが、それを盛る器(うつわ)が西洋の教会的なものと少し違うのです。

そこに、無教会における〕伝統とその継承という事柄が、特に問題となる理由があるのです。

〔6〕

〔6-①〕

さきほど、「伝統は水や空気のようなものだ」と申しましたが、伝統は決して無色透明、無形・無限定なものではなく、〔具体的な〕色と形があり、風土と民族性による場所的限定を持ったものであります。

 

また、「伝統は生命・精神である」と言っても、それは決して単に、いわゆる精神的な、目に見えないものではありません。

 

伝統は〕必ず、何らかの〔具体的な〕形を取って現れるものであります。

〔6-②〕

「〔制度教会には伝統があっても、無教会には伝統など〔というもの〕はない。われわれ〔無教会〕は霊のごとく自由に語り、風のように形はないのだ」と言われる方があるかも知れません。

 

しかしそれは、そう思うだけ〔のこと〕です。

なるほど風は自由に己(おのれ)の好む所に〔向かって〕吹いているように見えますが、風にはやはり風の〔吹く〕道があり、水にも水の〔流れる〕道があります。同じように、客観的に見れば、無教会には〈無教会の道〉があります。

〔6-③〕
最初は、その〔無教会の〕道たるや、まさに端倪(たんげい)すべからざるものだったかも知れませんが、二代〔目〕三代〔目〕となりますと、いつしか林の中の踏み固められた道にように、はっきり〔足〕跡(そくせき)が付いてまいりました。

 

内村先生の言葉を借りるならば、しだいに「無教会は有教会になり」つつあります

 

それは必然的な成り行きであり、好むと好まざるとにかかわらず無教会は〔制度〕教会に〔相〕対立する一つの歴史的存在、〔つまり〕〈新しいキリスト教の形態〉として、日本のプロテスタント史上に明確な位置を占めつつあります。

 

〔7〕  

                     

7-①〕

もちろん無教会には、〔制度〕教会のような組織も信条(信仰箇条・信仰告白)もなく、また儀式(礼典)もありません

したがって、〔制度〕教会のようなやり方で伝統を受け継ぎ、あるいは伝えるということはありません

 

けれども、無教会の集会や個人〔伝道〕雑誌、もしくは〈信仰のみ〉、〈十字架のみ〉というような合い言葉によって、〔無教会なりの〕かなりハッキリした形が出来あがっています。

7-②〕
そんなものは、いつでも変えられるのだ」と〔人は〕申しますが、このような講演会の開催法一つにしても、なかなか変えられない所に、伝統の力、さらに言えば〈コンベンショナル conventional 〉(慣例)になった伝統の圧力とでもいうべきものが、はっきりと感じられるのです。


コンベンショナルという語の元の言葉である〕コンベンション(convention)という英〔単〕語は、元来は「便宜(べんぎ)的な取り決め」という意味であり、「時と場合によっては、〔柔軟に〕変えることができる」という含みをもっていたのですが、徐々にその含みが失われて「なかなか変えられない」、いわゆる「因襲」(=現在に弊害を残すしきたり)と〔いう意味に〕なってしまうのです。


この講演会が因習的になってしまったというのではありませんが、本来の含みをもたせ〔、期待を込めて〕てコンベンショナルと申した訳であります。

〔8〕

〔8-①〕

それはともかく、内村先生は、無教会が有教会(=一定の形を有する、イエスを中心とした兄弟愛キリスト共同体。注1)になり、さらに〔、そこから化石化して〕いわゆる教会(=教会制度・法により運営・統制される法制度的組織体)となったならば、〔自ら〕それを破壊して前進することが無教会主義の本領である、と申されました(注2~4)。

    
果たしてわれわれに、その前進のエネルギーがるかどうか

これが世代の交代という現在の時点において、われわれに厳しく問われている問題である、と私は思います。

〔8-②〕
福音の生命が〈無教会〉という独特な器に盛られ、内村鑑三という強烈な日本的個性の刻印を押されて、われわれの前にあります。しかもそれは、すでに半世紀の歴史と伝統をもって今日に伝えられてまいりました。

 

われわれはこの伝統をどのように評価し、いかなる姿勢で受けとめるか

 

これが今日の〔大きな〕問題であります。    

 

〔9〕 
 

〔9-①〕

これに対して、三つの姿勢、三様の生き方があろうかと思います。

すなわち〔、次の三つです。〕-


第一は、このような歴史的現実の中に自らを没し、伝統そのものを生きていて、歴史とか伝統をあまり意識しない、ひたむきな姿勢であります。

 

第二は、伝統を明確に意識し、受け継ぎ、さらにこれを乗り越えようとする姿勢であります。

 

第三は、伝統に惰性的に従い、あるいは反動的に伝統を拒否しようとする姿勢であります。


この三つの姿勢なり生き方なりを、世代に即して考えてみると、内村先生と同時代の者および直弟子たち、つまり初代と二代目の大部分の者は、だいたい第一の部類に属し、三代目・四代目の大部分は、第二、第三の部類に属するのではないかと思います。

〔9-③〕
むろん、これは一般論であり、男女によっても違い、例外はかなりあるでしょうが、とにかく伝統の意識は歴史〔についての〕意識であり(注5)、〔伝統と自分の間の〕距離のパトス(熱情)ですから(注6)、〔伝統のただ中を〕対象にぴったり寄り添って生きている人々(つまり、初代と二代目の大部分の者)には、〔伝統の意識は起こりえません。それは誠に幸福な状態です。

〔9-④〕
ところが、時間的にも空間的にも対象と距離ができ、あるいは距離を設けて、対象を客観的に見ざるをえなくなった三代目以下の世代は、〔対象との距離を自覚し、向き合い方が改めて問われるという意味で〕一応、不幸な状態にあると言わざるをえません。

〔9-⑤〕
しかしながら、伝統の意識は、「明治は遠くなりにけり」といったような回顧的・感傷的な情緒ではありません。

それは、遠くなりつつある過去が〔まさに〕現在に生きていることの認識、またそれを〔なんとしても現在に〕生かそうとする意志です。

 

そうしてそれは、二代目の先生方からわれわれが語られたところであって、その典型的な告白は、一昨年(1961年)ここで矢内原忠雄先生がされた講演の結びであります。

 

すなわち、「今やわれわれは、内村鑑三の霊に対して申し上げる-われわれは無教会の精神を、その精神と信仰を、純粋に守ってゆきます。受け継いでゆきます」。

 

これはまさしく、〈無教会〉の伝統を生き、それを後代に伝えようとする激しい魂の息吹(いぶき)であり、今日われわれに新しい覚悟を迫るものであります。

〔続く〕


♢ ♢ ♢ ♢

(出典:1963年 「内村鑑三先生記念キリスト教講演会」記録・鈴木俊郎編『内村鑑三の遺産』山本書店、1963年収載「伝統について 中澤洽樹」の7~13項。読みやすくするため一部表現を改変。ルビおよび( )、〔 〕内、《 》、〈 〉、下線は補足)

注1 エクレシア:神の教会

Ecclesia: Church of God

「〔ヨハネ伝17章21~23節に記されているように、〕父〔なる神〕が〔御子〕イエスを愛された愛、すなわち・・〔御〕子に対する愛がイエスを信じる者たちの中にある時、彼らはこれによって、神の子とされた者の愛の共同体となり、したがってイエスも彼らの中にいて〔その〕長子となられるのである。


イエスを信じるすべての者は、イエスによって一体とされた生命共同体・栄光共同体・愛共同体〔、すなわちエクレシアを形作る

 

このような一体として、われらは父とイエスの一体の中にいて、父と一体であるイエスはわれらの中におられる。

 

イエスは父〔の中〕におり、父がイエス〔の中〕におり〔、そして〕、《エクレシア》は三〔位〕一〔体〕の神〔の中〕におり、三〔位〕一〔体〕の神はエクレシア〔の中〕におられる。


ああ、生命と栄光と愛の共同体である《神の国》の光輝の、なんと豊かなことか!

 

この御国が〔地上に〕成ることを、イエスは父のため、ご自身のため、弟子達のため、また信徒すべてのために父に願われて、世に決別されたのである。

 

その願いの、何と高いことか。その愛の、何と大きいことか。

 

イエスが〕祈り終えられた後には、永遠の真理の荘厳な輝きと永遠の愛のかぐわしい香りがわれらをつつみ、われらの心を天の高みに引き上げて、父と子と聖霊の〔三一の〕神に対する讃美と感謝に溢れさせ〔る。

 

そして〕、地にあっては御言葉のために受ける艱難をものともしない戦闘精神が、〔われらの〕内にみなぎるのを感じさせるのである」。
(出典:矢内原忠雄著『聖書講義Ⅳ ヨハネ伝』岩波書店、1987年、337項より現代語化し引用。(  )、〔  〕内、下線は補足)

注2 制度教会:法制度的組織体の発生

Institutional Church: The Emergence of the Legal Institutional Organization

以下、神学・論文〖恩寵義認と無教会の無条件救済論からの引用

「10. 洗礼・聖餐の祭儀化と制度教会の発生

ところが、その後の教会史の展開において、洗礼が教会への加入儀礼として儀礼化(祭儀化)されて《洗礼》となり、また聖餐が統合儀礼として祭儀化されて《聖餐》となったとき、新たな事態が発生した。

洗礼が洗礼に、聖餐が聖餐となり、しかも、これらの儀礼によって聖霊や恵みが分与され、また救いが授与されるとなると(=儀礼の呪術化)、儀礼の「有効性」が大きな問題となった。

そして儀礼の「有効性」を担保するために、儀礼執行者の「正統性」が要求されるようになり、その結果として、教団によって「正統性」を保証された《聖職者》階級が誕生した(《使徒的継承》《教会的伝統》など、「人間の戒(いまし)め・言い伝え」(マルコ 7:7,8)による「正統性」の保証)。

たとえば現在の日本の基督教団では、《牧師》はさらに、洗礼式と聖餐式を司(つかさど)ることが教団によって認定された「正教師」と、認定されていない「伝道師」に分かれている。

また、教会に集う人々(信徒)の中にも、聖餐式への参加資格を有する者(教団では「陪餐会員」と称する)と、洗礼を受けていないために参加資格のない者(「未陪餐会員」と称する)という信徒区分と序列が生まれた。

同時に、正統とされる洗礼・聖餐式等の儀礼の要件や聖職者の資格、儀礼への参与資格その他、教会の法的・組織的秩序を規定する法制度(教会法、教会憲法)が必要となった。

 

これらの法制度の整備と共に、教会は次第に法制度的組織体としての体制を整え、最終的に教会の運営と活動は、全体として法制度によって政治的に統制されるに至った(日本基督教団・教会準則 第5章 「教会総会」の規定:「この教会は、教会総会を最高の政治機関とする」。カトリック教会の場合、「司教総会」がこれに相当)。

つまり、洗礼・聖餐の祭儀化を起点として、生けるイエスを中心とした霊的・人格的共同体(キリストの体)としての教会(エクレシア)は、法律的(=律法的)・制度的統制の下(もと)に立つ《制度教会》へと変貌(へんぼう)を遂(と)げたのである」。

注3 無教会の前進

Progress of Non-Church Movement 


教会は進んで有(ゆう)教会となるべきである。

 

しかし、在来の教会に還(かえ)るべきではない。〈教会〉ならざる〔真の〕教会(=エクレシア)となるべきである。

 

すなわち制度〕教会を必要としない者の霊的〔・人格的〕共同体となるべきである。

 

このような共同体が直(ただ)ちにまた、〔いわゆる〕〈教会〉となりやすいことは、私も充分認めるところである。しかし、その場合にはまた、直ちにこれを壊(こわ)すべきである。

 

教会は生物の身体(からだ)と同じく、〔新陳代謝、つまり〕永久に壊し、永久に〔新しく〕築くべきである。

 

教会もまた生物と同じく、恐るべきは結晶〔化、すなわち新陳代謝の停止〕である〔。それは、生物にとって死を意味する〕。

 

無教会主義はその一面においては、結晶化した教会の破壊である。他の一面においては、生ける教会(エクレシア)の建設である。

 

そうして無教会が結晶化してまた、いわゆる〈教会〉となる時には、無教会主義によってこれを壊すべきである

 

生ける〕キリストの王国は、このようにして発達〔・成長〕する。〔それゆえ、〕われらは安心して、大胆に前進すべきである

とは言え、無教会主義〔者〕もまた、ジェントルマン(紳士)的でなければならない。

 

彼は在来の教会の自由と平和とを妨げてはならない。ゆえに彼は、その道を教会内で説いてはならない。

 

彼は制度教会を離れて、《異邦人の使徒》〕パウロのように〔新天地、すなわち〕〈異邦人〉の中に行くべきである。・・・」
(出典:内村鑑三「無教会主義の前進」、『内村鑑三信仰著作全集 18』教文館、1962年、102項より現代語による引用。(  )、〔  〕内、下線は補足。初出:内村鑑三主筆『聖書之研究』、1907年3月)

注4 無教会の歴史

History of Non-Church Movement 

「ⅰ.

無教会》という言葉そのものが初めて現われたのは、『基督(キリスト)信徒の慰め』(1893年)においてのようだ。

この言葉の意味する内容については、たとえば『無教会』というタイトルをもつ内村の小さな雑誌の中で、彼は、「教会の無い者の教会・・すなわち家の無い者の合宿所とも言うべきもの」というように説明している。

彼は、日本人の多くが教会によって幻滅を味わい、その後、キリスト教そのものから遠ざかっていくのを見た。

​・・・

内村は、《教会》という言葉のもとに、本来、客観的な施設を理解した。

そこでは、聖職者、礼典、信条、そしてなかんずく教会組織に所属することが救いにとって不可欠であるという排他性要求をもって、自己の歴史的連続性を保証しようとつとめられている。

内村によれば、これは、けっして《キリストの教会》、つまり、新約聖書におけるエクレシアではない。

それに代わって、彼は「真正(ほんとう)の教会」を建設しようとする。しかし、この真の教会の固有性は何か。

それは、二人あるいは三人〔が〕キリストの御名のもとに集められ、その只(ただ)中にキリストが立ちたもう「霊的団体」にほかならない。


それは、キリストの御心(みこころ)をわがものとして、キリストの御足(みあし)の跡(あと)に従うために、キリストによって召し集められたものの団体(共同体)である。

ⅱ.
内村は、マタイによる福音書第16章18節のイエスの言葉を「われ、わがエクレージヤを家庭として建てん」と訳し、次のように注釈している。

規則によるにあらず、法律によるにあらず、・・愛の信仰を基礎として」家庭に類する信仰者の「兄弟的団体」を建てよう、と。

すでに原始キリスト教は、個人の家庭にエクレシア(家の教会)が存在した多くの実例を知っていた

そればかりではなく、キリストの教会は、この世の中に広がり、じっさい、目にみえない「霊的有機体」として《宇宙的》拡がりをももっている。

そのかしらはすでに天にのぼって父〔なる神〕の右に座し、その身体もまた彼と共に死んでよみがえったものである(「エクレージヤ」1910年)。

.
これこそ、まさに《無教会》であり、「教会ならざる教会」(「無教会主義の前進」1907年)と呼ばれる。この言い方は、いわゆる教会ではなく、真の教会が問われていることをわれわれに教える。

それゆえ、この定義の方が、「教会の無い者の教会」という当初の〔無教会の〕定義よりも、批判的=革新的意味をもち、いっそう積極的な契機をふくんでいる。

.
内村は、伝統的な教会にたいして、それほど破壊的であろうとはしなかったように思われる。

彼は、在来の教会の自由と平和とを妨げてはならない、また無教会運動を教会内で説いてはならない、と忠告している。「彼はパウロのごとくに異邦人の中に行くべきである」(「無教会主義の前進」)。

いずれにせよ、無教会運動は、在来の教会と正面から対立し競争しようとするアンティテーゼではない

それは、むしろ、真のエクレシアとして在来の教会を止揚(しよう)するものであり、「こわすように見えて実は建てるもの」(「無教会論」)なのである。

.
内村は、その遺稿の中で、彼の《無教会》が古い主義​(​=教会主義)に対立する〔ための〕新しい主義、つまり、教会批判のための主義ではなかった、と記している。

むしろ、それは、人間の救いが律法のわざによらずキリストにたいする信仰によるという信仰の帰結として生まれたものであった。

それゆえ、彼は、「この福音が、教会をこぼつべきはこぼち、立て直すべきは立て直すであろう」ことを確信した。

彼にとって、十字架の信仰こそつねに第一のものであり、《無教会主義》は〔その結論としての主義であって、〕第二、第三のものであった。

じっさい、彼は、こう書くことさえできた。「教会は腐っても、・・私はその内にとどまりたもう聖霊のゆえに、教会を尊敬せざるを得ないのである」と。

.
彼がくり返し批判してやまなかったのは、《教会的精神》であった。

それは、生きた信仰よりも形式的制度を優先させ、「勢力団体」として社会の中で自己の影響力を拡大しようとするものである。ここでは、教会は「〔死せる〕信仰の化石」(「無教会主義について」1927年)である。

この点において、内村が自分の先駆者として、ブルジョア化した〔デンマーク国〕教会を激しく批判した〔思想家〕キルケゴールの名前をあげているのは、うなずかれるであろう。

.
このようにして、「無教会主義はその一面においては、結晶〔化〕せる教会の破壊である。他の一面においては、生ける教会の建設である」(「無教会主義の前進」)。

まさにそれゆえに、内村は、注目すべきことに、無教会運動の「前進」について、こう付言した。

無教会運動が自分の側でも教会的精神をもって自己の社会的勢力を拡大しようと考え、それによって一個のセクトに堕するようであれば、それは《無教会》精神をもって自己自身を批判し、破壊しなければならない、と。

.
内村は、きわめて現実主義的であり、「人は何びとも生まれながらにしてカトリック教徒である。教会的精神は人の天然性である」(「教会的精神」1930年)ことを、はっきり知っていた。

彼は、預言者的洞察をもって無教会運動の危険を見通し、かつ警告した。


それは、本来、真のエクレシアを実現するはずでありながら、いつの日か硬化した教会となりうるかもしれない、と。

.
しかし、無教会運が内村によって始められた一個のセクトであったならば、〔セクト存続の
ために〕おそらく彼自身が自己の後継者を指定したことであろう。

彼は、生けるキリストの教会においては〔本質的に、キリストご自身が信徒個人とエクレシアを教え導くのであって、固定化した無教会的〕教理の伝統の担い手を指定することは不可能であると考えた。

 

〔そして〕彼は〔すべてを神の御手に委ね〕、自分の後継者を指名することなく、神から受けとったすべてのものを神に帰して、この世を去った〔のである〕。・・・

(出典:『宮田光雄思想史論集 3 日本キリスト教思想史研究』創文社、2013年収載の論文「3 無教会運動の歴史と神学」85~89項。ルビおよび〔 〕内、下線は補足)

注5伝統の意識は歴史意識であ

"A consciousness of tradition is a consciousness of history"


この〈歴史意識〉という言葉の意味は、講演中の別の表現で、次のように述べられていると思われる


福音の生命が〈無教会〉という独特な器に盛られ、内村鑑三という強烈な日本的個性の刻印を押されて、われわれの前にあります。

 

しかもそれは、すでに半世紀の歴史と伝統をもって今日に伝えられてまいりました」。

注6伝統の意識は距離のパトス(熱情)である

“The consciousness of tradition is the pathos of distance.”


同じく〈距離のパトス〉についても、次のように述べられていると思われる


それは、遠くなりつつある過去が〔まさに〕現在に生きていることの認識、またそれを〔なんとしても現在に〕生かそうとする意志」であり、「〈無教会伝統を生き、それを後代に伝えようとする激しい魂の息吹」である。


そして、このパトス(熱情)の具体な表れの一つとして、中澤は矢内原の​決然とした言葉を取り上げている。


今やわれわれは、内村鑑三の霊に対して申し上げる-われわれは無教会の精神を、その精神と信仰を、純粋に守ってゆきます。受け継いでゆきます」。

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