<各地の集会だより

集会だより 004-②

キリスト証言集会

2016年6月13日改訂

しまざき

『証言』 2016年6月号(通巻401)

〖国家の暴走〗

安倍政権の世論操作術②

 

国家の暴走

〔5-④〕
13本の矢・その4

「集団的自衛権の行使容認」

これまで日本政府は、米国から一緒に戦争に行ってくれと頼まれるたびに、「我々もぜひ行きたい。しかし、憲法9条があるから行けないのです」と説明してきた。

 

その「たが」がやっと外れて、米国から「一緒に行こう」と言われた時、「集団的自衛権は行使できるようになりましたが、いろいろ事情がありまして、今回は遠慮させてください」とは非常に言いにくい。

 

米国からすれば、「あれだけ『行きたい』と言っていたのに、結局、日本は我々をだましたのか」ということになる。


そうした事態を回避するために、結局は、いやいやでも米国に従わざるを得なくなる。

そして、たとえ日本が直接攻撃を受けていなくても、同盟国である米国のために戦争をすることになる。

 

〔5-⑤〕
13本の矢・その5

「集団安全保障」
これを認めれば、戦争の機会は激増する。

我々国民から見ると、集団的自衛権は、日本と同盟関係にある国などが対象となるので、誰のために戦うのかがイメージしやすい。

 

しかし、集団安全保障になると、日本とあまり関係ない国のために戦争することも起こり得る。

 

アフリカの名前も知らないような国が近隣国から不当な攻撃をされていて、その被害者に当たる国が、たまたま欧米の国にとって大事な国である場合は、多国籍軍を派遣しろということになる。

しかし、日本人は、そんな国のことはほとんど知らない、ということが起こり得るのである。


幸いにして、集団安全保障に対する公明党の拒否反応は強く、集団的自衛権の閣議決定には明記されなかったが、政権党は諦(あきら)めていないから、自衛隊の軍事活動の範囲は、際限なく拡大していくであろう。

我々国民には、なおいっそうの用心が必要だ。


一方、集団的自衛権が安全かというと、もちろんそうではない。

集団的自衛権は、国連安保理の決議がなくても発動できる。軍隊の出動にブレーキをかける国がないので、国際世論と関係なく軍事行動を起こせるという大きな危険性をはらんでいる。

しかも、米国は弱体化しているので、日本が米国の思惑によって動かされる可能性も否定できない。

 

その先に待っているのは報復だ。
日本もイラク戦争を支持したが、平和憲法を堅持して戦闘に加わらなかったため、テロの犠牲者を出さずに済んだ。

 

これまで日本はそういう国だったのに、集団的自衛権の行使容認によって、自ら進んでテロの恐怖にさらされようとしているのだ。

 

〔5-⑥〕
13本の矢・その6

「富国強兵時代さながらの産めよ増やせよ政策」
これまで政府は、「国が個人の選択に囗を挟(はさ)むべきではない」との理由から、出生率などに関して数値目標を設定してこなかった。

 

しかし安倍総理は、政府の有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」に対して、合計特殊出生率や出生数の数値目標を設定するように指示した。


政府の「選択する未来」委員会は、「50年後も人口1億人レベルを維持するために、合計特殊出生率を2・07に引き上げる」という数値目標を立ててしまった。


産めよ増やせよ」政策には、「富国と強兵両面で、人口増加は大事な要素だ」との思惑がにじみ出ている。いくら言い訳をしても、「女性は産む機械」と言ってクビになった大臣と同じ発想なのは明らかだ。


とりわけ、集団的自衛権行使容認で、将来の自衛官募集に赤信号が灯(とも)りつつある。

 

自衛官をリクルートする現場では、高校生などから、「これからは、日本以外の国のために外国の人を殺さなければいけないのですか」という質問が出て、リクルーターが答えに困る場面が出始めているという。


自衛官のリクルートを円滑に進めるために一番有効なのは、分母を増やすこと、つまり子供を増やすことだ。分母を増やしておいて、最後は徴兵制を敷(し)けば数の確保はできる。

 

〔5-⑦〕
13本の矢・その7

「戦争遂行に不可欠な日本版CIA」
これまでの流れを踏まえると、安倍総理にはやらなければならないことがある。
それは、「日本版CIA」を作ることである。

 

集団的自衛権の行使が容認されたからには、「戦争をするには正しい情報の収集・分析が不可欠だ」との議論がますます高まっていくことは必至。

だから、この法案が提出されれば比較的簡単に通ってしまう可能性がある。


米国CIAには、捏造(ねつぞう)情報に基づいてイラク戦争を起こした前科がある。日本もその轍(てつ)を踏む可能性は否定できない。

 

〔5-⑧〕
13本の矢・その8

「ゆくゆくはODAで外国軍を支援」
ODAとは、政府開発援助のこと。

安倍政権は、ODAの基本原則を定めたODA大綱(たいこう)を改定する予定だ。

 

現行のODA大綱は「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する」と定められ、途上国の軍事支出や兵器開発の動向にも十分注意を払うことが明記されている。

 

これらの規定を見直し、ODA資金による外国軍支援を可能にすることに、政府は意欲を示している。抜け穴的なことから始めて、軍事支援を既成事実化し、本格的な軍事使用の解禁にもっていく魂胆(こんたん)である。


そうなれば、ODA援助の性質はがらりと変わる。

たとえば、武器を買わせるために、他の目的で巨額の援助をする。それで浮いたおカネで日本の武器を買ってもらう。

 

ゆくゆくは、ODAの軍事使用が日本の武器輸出を強力にサポートするようになるであろう。

 

〔5-⑨〕
13本の矢・その9

「国防軍保持が憲法上の義務になる」
自民党の憲法改正草案を読めば、戦時下の日本に逆戻りさせるような恐ろしい矢が込められている。

 

それは、自民党の改正草案に「国防軍を保持する」という文言が入っていること。

 

この改正草案には、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」とある。

 

これだと、国防軍の保持が「憲法上の義務」となる。つまり、国防軍を持たなければ憲法違反になってしまうのだ。


この憲法改正が通ってしまうとどうなるか。

 

たとえば、中国の軍事力がどんどん強くなってきた。日本の軍事力をそのままにしていると、中国にやられてしまう。それは憲法違反だから、増税をして、あるいは社会保障を削ってでも、日本の軍隊をどんどん強くしなければならない。それが憲法上日本政府の義務なのだということになる。


残念なことに、「国防軍保持」の意味を正しく理解している国民は非常に少ない。正しく解説している新聞もない。

 

日本国憲法の意味を真逆(まぎゃく)にする改憲が行われようとしているのに、本質的議論はまったくなされていないのが現状だ。

 

〔5-⑩〕
13本の矢・その10

「軍法会議という名の治外法権」
自民党の憲法改正草案の「第9条の2」の第5項には、「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に裁判所を置く」とある。

 

これは軍法会議の設置のこと。軍人(自衛隊員)が市民に対して非人道的行為をした場合軍法会議にかけ、そこで無罪にする。

 

軍事国家にとって軍人は貴重な存在だが、市民など虫けらに等しい。軍人は陛下の赤子であり、いずれ靖国に祀(まつ)られて軍神(ぐんしん)となる。


だから軍人が非人道的な行為をしても、軍法会議にかけて無罪にできる法律、つまり非人道的行為処罰法が必要になる。

 

捕虜の場合も同じ。軍人が捕虜を残酷に取り扱い、殺してしまった場合、普通の刑法を適用すると殺人罪に問われてしまうので、そうならないように「戦争だからやむを得ない」という規定を捕虜収容法に入れる。


日本はこれまで長く平和主義を貫いてきたから、いざ戦争になったら出動命令を拒否して、逃げ回る人も出てくるだろう。その場合の罰則は、逆に極めて厳しくなろう。

 

あるいは徴兵制を拒否して山奥に逃げ込む若者も出てくるだろう。その場合には、軍法会議にかけて〔懲罰のための〕重営倉(じゅうえいそう)にぶち込まなければならない。

 

軍法会議の設置は、軍隊が日本社会の一般的法制度から隔絶した世界を形成することにつながっていく。いわば、ある種の治外法権である。

 

〔5-⑪〕
13本の矢・その11

「基本的人権を制限して、国家総動員体制を敷く」
自民党の憲法改正草案には、基本的人権の条項のところに、「公益及び公の秩序のためには基本的人権が制限される」という趣旨の文言があちこちに入っている。

 

それは、「公益」と「公の秩序」を基本的人権の上位に置き、それによって基本的人権を制限することを意味する。

 

それではどうか。

誰が「公益」と「公の秩序」を判断するか。もちろん政府だ。


現行憲法とは方向性がまったく逆で、これは極めて危険な条項である。

 

なぜか。

いざ戦争という時を想定し、国が自由に国民の権利を制限できるようにしておこうという意図が隠されているからである。

 

日本国民のさまざまな権利を今まで通り守っていたら、戦争がやりにくい。

昔の国家総動員法のように、戦争の時は有無(うむ)を言わさず「国家の言うことを聞け」と強制できるようにしておかなければならない。

 

自民党の改正草案には、戦争批判の言論を封殺(ふうさつ)し、戦時徴用を可能にする条項がみられる。

 

〔5-⑫〕
13本の矢・その12

「徴兵制の導入が近づいている」
憲法が改正されれば、「強力な国防軍の保持は憲法上の要請だ」という理屈で、日本は軍拡に走る。

 

その場合、装備品の調達はカネで解決できるが、若い兵力の確保は至難(しなん)の業(わざ)だ。

 

現場の若い隊員の中には、「もう自衛隊にはいられない」と考えている人もいる。そういう人たちは、おそらく増えていくだろう。新たに隊員を募集しようとしても、反対する家族は増えるだろう。

 

その上、いつ戦争するかもしれない状況になれば、大量の隊員離脱も起こりかねず、自衛隊員不足はさらに深刻度を増すだろう。


自衛隊を強くするという安倍総理の構想からいけば、これは由々(ゆゆ)しき事態だ。そこで必要になるのが徴兵制である。

 

もちろん今の段階では来るべき参院選で勝つことが大事だから、総理は「徴兵制はありえない」と否定している。

 

しかし国を守るためには強い軍隊は必要だという論理からは、少子化で兵士の数が足りなくなることは許されないはずだ。

徴兵制を絶対に導入しないというのでは、安倍理論は破たんしてしまう。


序章でみたとおり、安倍総理は世界中に向かって堂々とウソをつける人間だ。

そういう人間がいくら否定しても、他のさまざまな要因から考えるならば、列強を目指す安倍路線の先には、徴兵制導入が待っていることを、国民はよく理解しておかなければならない。

 

戦争というものは、現場で死んでくれる若者をリクルートしなければ遂行できない。

 

〔5-⑬〕
13本の矢・その13

「核武装で総仕上げ、列強の仲間入り」
核保有国の米国、ロシア、中国、フランス、イギリスは覇権(はけん)主義国家である。

この他に、かつてイスラム帝国が世界をリードした歴史を考えると、イランやイラクなど中東のいくつかの国やトルコも、潜在的には覇権主義的性格を持っている。

 

こうした国々は国際社会の仕切り役になるために「核兵器を持ちたい」と願っている。


覇権主義国家の仲間入りをしたい安倍総理も、核兵器保有を熱望しているであろうことは、容易に想像がつく。

日本にはいま、44トンのプルトニウムが存在する。これがあればいつでも核武装ができる。

 

安倍政権が原発の再稼働や核燃料サイクルの維持に強くこだわる理由は、核武装である可能性が高い。

 

 

〔6-①〕

以上『国家の暴走』という本から引用につぐ引用を重ねてきたが、それではどうか。

国家の暴走は13本の矢で終わるのか。(いな)である。


古賀氏が指摘するように、恐らく国家の暴走はいずれ、徴兵制や核武装まで進むだろう。

 

しかし実は、ここまで進んでも暴走はまだ、序の囗なのである。13本どころではなく、これからなおも数百本の毒矢が打ち込まれるだろう。


なぜか。なぜそうなるか。

人は「神と富(マモン)とに〔同時に〕仕(つか)えることができない〔。どちらか一方にしか、仕えることができない〕」からである(マタイ6:24)。

 

この聖句における〕神とは、聖書において自己を啓示(けいじ)する神のこと。

富とは強欲(ごうよく)の根源としての富のことだが、聖書におけるマモンとは、偶像(ぐうぞう)崇拝のことである。

 

日本には聖書の神がないから、国家も国民も偶像崇拝に飲み込まれるほかはない。

 

実は偶像には悪魔的破壊力がある。

だから日本はこれからも、悪魔に取りつかれ、13本どころではなく、際限(さいげん)なく毒矢を身に受けるだろう。

 

最終的には国家は破滅し、国民は瀕死の重態に陥るだろう。

 

〔6-②〕

それではどうか。毒矢とは具体的に何か。

それは、強欲と偶像崇拝のことである。

 

軍需産業は強欲のかたまり。だからそれは徴兵制や核武装など軽々と飲み込む。

そして偶像崇拝とは、天皇の神格化のこと。

 

偶像崇拝の悪魔的破壊力のことを教育に限定すれば、つぎのようなことになる。

 

天皇の神格化のために教育の全体を皇国史観(こうこくしかん)で塗りつぶす。

皇国史観とは日本は現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する神の国だとする史観だが、学校教育の全体をこれで塗りつぶす。


まず国定教科書を制定し、これをこの史観で塗りつぶす。

つぎに師範学校を設立し、教師の卵をこの史観で染め上げる。すると皇国史観のことしかわからない教師が製造される。子どもの心は白紙だから、先生の言葉が子どもの心に染み込む。

 

それだけでは足りない。

御真影(ごしんえい)教育勅語(ちょくご)謄本などを奉安する奉安殿(ほうあんでん)を全国の学校に設置する。

 

登校すると教師は皆、校庭に設置された奉安殿に深々と頭を下げる。生徒たちも同じ。教師にならって深々と頭を下げる。


学校だけでは足りない。学校の外の世界も皇国史観で塗りつぶす。全国民に宮城(きゅうじょう)遥拝(ようはい)を強制し、国の全体を国歌国旗で満たす。


十五年戦争期に皇国史観は、正統的史観として支配的地位を占め、国民の統合に大きな役割を果たした。

 

いまも偶像崇拝は戦前と同じ速度で進んでいるから、やがて日本の全体は皇国史観で塗り固められるであろう。


〔6-③〕

それではどうか。

十五年戦争期、偶像崇拝はどこまで進んだか。

 

1940年6月10日13時54分、天皇は現人神として伊勢神宮内宮の八咫鏡(やたのかがみ)に頭を下げた。

 

政府は臣民(しんみん)にも、天皇が頭を下げる同じ時刻に八咫鏡に低頭することを命じた。

これまで現人神なる天皇を遥拝していた臣民は、天皇を超えて君臨(くんりん)する八咫鏡に頭を下げた。

 

これは、この鏡こそが絶対神(ぜったいしん)であることが明らかになった瞬間である。

この瞬間、天皇は神器(じんぎ)という「物」によって支配される客体(注1)に反転した。

 

聖書にいかなる像も造ってはならない」とあるが、日本は神の戒(いまし)めを破り、〔偶〕像を造った。しかもこの像は、いまでも生きている。


伊勢志摩サミットで安倍総理は、各国首脳を伊勢神宮の内宮に導き、八咫鏡という像に頭を下げさせた。

 

大戦でアジアの民2000万人を殺し、同胞310万を殺したのはこの像である。

 

〔おわり〕

( )、〔 〕内は補足。

 

注1 客体

主体の認識・行為などの対象となるもの

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