― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
■上の「ネットエクレシア信州」タッチでホーム画面へ移動
Move to home screen by touching “NET EKKLESIA” above.
最終更新日:2024年10月9日
■サイト利用法はホーム下部に記載
〔1-①〕
参議院選挙が近づいている。
政権党は衆議院で3分の2超の議席を既に保有しているが、しかし参議院ではまだ、憲法改正のための発議に必要となる3分の2以上の議席を確保していない。
憲法改正は安倍総理の悲願だから、今度の選挙はまさに正念(しょうねん)場となる。政権党にとってのみならず、国民にとっても正念場となる。
もちろん国会発議がなされても、国民の2分の1の賛同を得なければ憲法改正はできないから、憲法改正のハードルは高い。
それで総理は、憲法96条を改悪して、憲法改正の突破口にしようとした。しかし良心的学者がそれは「裏口入学」だと批判したから、総理は黙り込んでしまった。
それでも政権党は、憲法改正をあきらめず、緊急事態条項という危険な条項を持ち出して、国民をだまそうとしている。
〔1-②〕
国民は、緊急事態条項は大災害などのために必要だと思うかもしれない。
しかしそうではない。
これは内閣が緊急事態だと認定した瞬間に、三権分立と地方自治と人権保障を停止するというもの。だからこれは実に危険な条項。これは日本国憲法を停止させ、独裁国家への道を切り開く条項なのである。
だから国民はだまされてはならない。政権党は、切り崩せそうな外壁の1ヵ所に小さな穴をあけ、そこから本丸に攻め込もうとしている。
だからいまこそ国民は政権党の陰謀(いんぼう)を鋭く見抜き、奈落(ならく)の谷底へ突き落されないように戦わなければならない。
〔1-③〕
どのようにして戦うか。
もちろん選挙である。国民には選挙権という武器がある。これを正しく行使すれば、無血革命さえ起こすことができる。
天皇制を消滅させようと思えば、選挙でそれができる。八咫鏡(やたのかがみ)を消滅させようと思えば、選挙でそれができる。軍隊を消滅させようと思えば、選挙でそれができる。原発も同じ。
軍備や原発に投入されている莫大な国家予算を全額、福祉や農業や弱者救済などに回せば、日本は新しくよみがえる。
しかし国民は、選挙で革命ができることなどすっかり忘れ、闇に飲み込まれ、闇の中で呻吟(しんぎん)している。国民を覆(おお)っている闇は深い。
〔1-④〕
それで以下、日本を覆う闇がどこまで進んでいるかを考える一助になることを願い、古賀茂明氏の労作『国家の暴走』(角川書店、定価800円)によってどこまで闇が迫っているかを明らかにしたい。
すると当然、なぜ古賀氏の本を選んだのかという問いが生まれる。
時局の問題を取り扱った本は、山ほどあるが、しかし古賀氏の本は特別に優れている。
なぜ優れているか。なんといっても氏は高級官僚として日本の中枢にいた。
2008年には、国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任し、数々の急進的な改革を提言した。
2011年には、日本ではじめて東京電力の破綻(はたん)処理策を提起したが、氏の提言は陰湿な官僚機構の抵抗にあって、退職勧奨を受けた。
闇は光を恐れた。しかし闇は光に勝たなかった。それはどういうことか。
氏は退職勧奨を受けたので、今度は思想界に転身し、国民を救うための戦いを始めた。
退職後、氏は激しい言論活動を展開し、国民に光のありかを指し示す戦いを展開している。
まことにそうである。
氏は高級官僚の地位にありながらもそこに渦(うず)巻く闇に飲み込まれることなく、あくまでも人間としての良心を貫き通してきた。
そればかりでなく、闇の勢力の心底までも鋭く見抜く力を培(つちか)ってきたから、氏の発言は重くかつ鋭い。それで以下氏の発言に耳をかたむけつつ、闇の真相を明らかにしたい。
以下の文はすべて『国家の暴走』という本からの引用。しかし煩瑣(はんさ)を避けて引用符は略す。
§ 加速する暴走
〔2-①〕
2014年7月1日、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更が閣議決定された。
安倍総理は「限定行使」と強調しているが、閣議決定に盛られた武力行使の要件は曖昧(あいまい)な表現にとどまっている。
閣議決定後の記者会見で総理は、「集団的自衛権が現行憲法の下で認められるのか。そうした抽象的、観念的な議論ではありません」と述べた。
憲法9条を拡大解釈した重大な閣議決定であったにもかかわらず、抽象的、観念的という言葉で憲法論議を切り捨てたのだから、民主国家のリーダーとしてその資質に疑念を覚えざるをえない。
総理は異論を拒絶する。自分に同調しない意見には、「空疎(くうそ)な議論」などというレッテルを貼(は)って切り捨てる。
〔2-②〕
たとえば、集団的自衛権をめぐる議論の中で、総理の私的諮問(しもん)機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の人選に偏(かたよ)りがあると追求されたとき、総理は「空疎な議論をされている方は排除している」(衆院予算委員会)と答えた。
この諮問機関には、標準的な考え方をもっている憲法学者はおらず、安倍氏の考えに近い人々だけが選ばれた。「空疎な議論」とは、自分の意に沿わない議論のこと。
このような独善的な姿勢で、安倍政権はゴリ押しの政治を続けている。しかしどれだけゴリ押し政治が行われても、国民も野党もどうすることもできない。
政権党は数の力でゴリ押しするのだから、野党が結集してゴリ押しの事実を指摘しても、政権党は微動(びどう)だにしない。無力な国民が新聞の声の欄でゴリ押しを指摘しても、その発言は虚空(きょくう)に消えてゆく。
§ 堂々とウソをつける男
〔3-①〕
2013年9月にブエノスアイレスで開かれたIOC総会で総理は、
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証いたします。状況は統御されています(The situation is under control)。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」「汚染水は、福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に、完全にブロックされています」と演説した。
世界中が注目するプレゼンテーションの舞台で、日本の総理は大ウソをついた。
汚染水がコントロールもブロックもされていない惨憺(さんたん)たる状況に蓋(ふた)をした隠ぺい発言をした。しかしこの大ウソは、オリンピック誘致成功の騒ぎにかき消されてしまった。
国民は純朴だから誘致成功に歓喜し、総理のウソなど追求しない。そしてマスコミも追求せず、自分のウソよりも誘致成功の騒ぎを大きく報道するはずだと総理は読んだ。
実際に総理の読み通りになった。
〔3-②〕
集団安全保障の場合も同じである。
この問題でも中国や北朝鮮への敵意を煽(あお)り、感情に訴えれば国民は簡単にだませると総理は読んだ。その通りになった。
こうして憲法解釈によって集団的自衛権の行使が容認された。
集団的自衛権とは、アメリカの戦争に全面的に参画(さんかく)するというもの。日本から遠く離れたところで戦争が起こっても、そこへ自衛隊を派遣するというものである。
§ 世界の先進国とは正反対の道を進む日本
〔4-①〕
世界の先進国の多くは、高齢化などに対応するための経済改革や資源を枯渇(こかつ)させずに持続可能な社会を構築するために途上国との間で協調の枠組みを作ろうとしている。
ところが日本は「列強国」になることを最優先課題にしている。
列強国とは、軍事力を背景に経済的、外交的、文化的に世界規模の影響力を持ち、小国に対して支配的な力を行使する国家のことである。
列強国になるとは、戦争ができる国になることではない。「戦争なしには生きられない国」になってしまうことである。
表では「自衛のため」と銘(めい)打って、実は自国の利権のために戦争をする。
戦争が起これば武器が売れ、軍需産業は巨利を得ることができる。すると世界中で武器を売り歩く「死の商人」が暗躍することになる。
日本を列強国にしたい人たちは、「国民の命を守る」との名目で若者を戦場に送り込む。
若者などいくら死んでも仕方ない。彼らは儲(もう)かりさえすればそれでよい。
彼らは武器や原発を世界中に輸出し、日本の軍事的・経済的影響力を高めようとする。
するとその周囲に利権を貪(むさぼ)る官僚や軍事産業がはびこる。そういう人たちが現在の政権を支える。これに応えて政権は暴走を加速させている。
〔4-②〕
以上の引用は、序章からの引用。
序章のあとに目次が出てくる。だからこれまでの引用は、序の口なのである。
第1章から本文が始まるが、第1章から引用を重ねるとそれだけで紙数が尽きてしまうので、以下直ちに第2章に入る。
第2章からの引用を重ねれば、戦争のための準備がどこまで進んだかがよくわかると思うからである。
§ 戦争をするための13本の矢
〔5-①〕
13本の矢・その1
「国家安全保障会議(NSC)設置法」
これは、特定秘密保護法の陰に隠れてほとんど大きな混乱もなく、2013年11月27日に成立した。
NSCでは、外交・安全保障政策の中長期的戦略を決めるだけでなく、首相が指定する閣僚らによる緊急事態会合も行われる。
つまり戦争をするかしないかというような、国民の命に直接かかわる事項も取り扱われる。
特に「戦争を効率的に遂行する」というところに、非常に大きな意味がある。
今までの仕組みでは、日本が戦争をやろうとしても、最終的に閣議で20人近い大臣を集め、議論をして決める方法しかなかった。
しかしNSC法が施行された今では、総理、官房長官、外相、防衛相の4人だけで、重要事項を決定できるようになった。たった4人の会議で戦争を始めることができる。
国民はこの事実を知っているのだろうか。知っていながらそれでも、政権党を支持するのだろうか。
2013年末、南スーダンでPKOに参加している自衛隊の銃弾一万発を韓国軍に無償供与したのも、NSCでの決定である。この決定をしたのは、総理、官房長官、外相、防衛相の4人である。
銃弾のような殺傷(さっしょう)能力のある武器を、日本が他国軍に供与したのは初めてで、武器輸出三原則に違反していたが、「例外扱い」として簡単に決まってしまった。
どのような経過で銃弾が供与されたのかなどは、まったく明らかにされなかった。
〔5-②〕
13本の矢・その2
「特定秘密保護法」
これはNSC法のすぐあとに出てきた。
日本が米国と一緒に戦争をするかどうかを判断する場合に、NSCの議事内容を半永久的に隠せるような仕組みを作っておかなければならないので、特定秘密保護法ができた。
これがあれば、政府の判断ひとつで何でも隠せる。
もし日本が戦争をするかしないかという議論になったら、「安全保障上重大な支障が生じるので」と言えば、4人がどのような議論をして戦争を始めたかを秘密にできる。
NSCメンバーの誰が何を言ったかなどが完全に秘密にできるのだから、誰も責任を追及されることはない。
すでにNSC法は施行された。特定秘密保護法も施行された。このふたつの法律だけで、政権党は自由に戦争を始めることができる。
〔5-③〕
13本の矢・その3
「武器輸出三原則の廃止」
2014年4月1日、武器輸出三原則が廃止され、「防衛装備移転三原則」が閣議決定された。府が武器輸出三原則の見直し方針を打ち出してから、わずか4ヵ月たらず。
あっという間の出来事であった。
武器輸出三原則で武器輸出が禁じられていたのは、①共産圏、②国連決議で武器禁輸になっている国、③国際紛争の当事国あるいはその恐れのある国である。
しかし防衛装備移転三原則はそうではない。
武器輸出が認められる場合として、①平和貢献・国際協力の積極的な推進に資する場合、②我が国の安全保障に資する場合に限定された。(第二原則)
いずれも抽象的な言葉の羅列(られつ)である。政治家がこういう言葉を使うのは、何かを隠そうとしている場合である。
第二原則には「透明性を確保しつつ、厳格な審査を行う」と書かれているが、これも、「厳格に審査をした結果、我が国の安全保障に資するので輸出します」と言えば、それで通ってしまう。
これまで日本は武器輸出ができなかったが、今後は政府が恣意(しい)的に「防衛装備の移転」、すなわち武器輸出をどんどんやっていくことになる。
米国の軍需産業は強大な政治力を持っている。だから、米国政府は多少のリスクはあっても慎重論は蹴(け)散らかして、いつも危ない橋を渡っている。
日本はそれに付き合って、どこまでも奈落の底に落ちて行く。
日本の武器産業は、表向きは「政府の方針に従うだけ」と言いながら、内心もろ手を挙げて喜んでいる。
武器産業が経済の柱になることを望んでいる経団連は2013年5月、「防衛計画の大綱に向けた提言」で、武器の国際共同開発・生産のメリットを掲げ、防衛関係の研究開発費を増額するように求めた。
集団的自衛権の行使容認によって、遠隔地を攻撃するミサイル、空母、無人爆撃機なども必要となるので、国内需要はぐんと拡大する。
三菱重工や川崎重工など数多くの軍需産業は、当然ながら大歓迎。自民党の国防族も大喜び。
さらにそれ以上に喜んだのは、経産省。
武器輸出を所管するのは経産省。NSCでの審査のお膳立てをするのも経産省。そこに巨大な利権が生まれ、軍需産業への天下りポストも大幅に増える。経産省から見れば、安倍政権は救世主なのである。
軍事産業の規模が拡大すると、日本は恐ろしい状況に陥る。その理由を3つあげる。
まず軍事産業がゼネコンや農協と同じになる。
日本ではゼネコンが強いために公共事業を削減できない。農協が強いために農業補助金を削減できない。これと同様に軍事産業が巨大になれば、日本は軍事費を削減できなくなる。
つぎに軍事産業の規模が拡大すると産業構造が大きく変わり、「戦争を待ち望む国」になる。
自動車メーカーでは、いったん生産ラインを構築すると、そのラインを使って、コンセプトを変えた新車をどんどん作っていく。そうしなければ元が取れない。
武器も同じで、いったん作り始めたら止まらなくなる。作っても売らなければ儲(もう)からないから、世界のあちこちで戦争が起こることを切望するようになる。
第3に軍事産業の規模が拡大すると、日本は「戦争をしなければ経済がもたない国」になる。
どこかで戦争が起これば、それを仲裁(ちゅうさい)するどころか、当事国に武器を売り、日本の軍隊をそこへ送り込む。産業と戦争がセットになって巨大化していく。
経済構造上、米国はそういう国になっている。
第2次世界大戦後の70年間に、米国は実に多くの戦争をしてきた。ベトナムでは、12年間も戦争を続けた。
いつも戦争をしていなければ、米国の経済がもたない。
米国が出ていけば、かえって紛争が拡大する可能性が高いとわかっていても、とにかくミサイルを撃ち込んで、作った武器を消費しなければならない。
〔つづく〕
( )、〔 〕内は補足。