<預言の声

近代の預言 002

2018年5月17日改訂

タケサトカズオ

​加藤陽子教授の

内村鑑三と現代〗

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戦争の非を説いた、内村鑑三の「寡婦の除夜」と「殺す者は殺さる」に言及し、その現代的意義を論じたコラムを紹介する。

 

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日本近代史が専門の歴史学者・加藤陽子氏(東京大学教授)は、毎日新聞のコラム「時代の風」で「内村鑑三と現代」というコラムを書いておられる(2011年1月16日毎日新聞 東京朝刊)。


コラムによると、教授は「神や仏は、私をよけて通られているに違いない。そう確信できるほど、祈りや宗教的体験とは縁のない暮らしをしてきた」。だが、ある一件をきっかけに、考えが変わった。

 

そのきっかけとは、教授の著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)で紹介したエピソード中のケインズの言葉の解釈を巡って、「本当にヒヤリとする経験」をしたことであるという。


そのエピソードとは、以下の通り。


第一次大戦後のパリ講和会議にイギリス大蔵省代表として出席したケインズは、欧州復興を期した彼の提案を拒否したウィルソン米大統領に対し、「あなたたちアメリカ人は、折れた葦(あし)です」とのシブイ言葉を残し、会議半ばでパリを去った。


加藤教授は、ケインズの「折れた葦」とは、パスカル「人間は考える葦」のもじったもので、「考えるのをやめた人」との意味でアメリカを批判したものだ、と書いた。


しかし、ある牧師から「折れた葦」とはイザヤ書36章6節に由来するのではないだろうか、との教示を受けた。そこで旧約聖書のイザヤ書を調べてみたところ、次のようになっていた。


 

「見よ、今、お前はエジプトという、あの折れた葦(あし)の杖を頼みにしているが、それは、寄りかかる者の手を刺し通すだけだ」 (『旧約聖書Ⅲ』岩波書店)


確かに、イザヤ書の記述を踏まえて、アメリカ批判の中の「折れた葦」を「考えるのをやめた人」ではなく、「まったく役に立たない人]と読む方が、ケインズの憤りの深さをくみ取れる。


この「本当にヒヤリとする経験」により、教授は無知の怖さを思い知らされた。

 

このことをきっかけに、「悔い改め」て、明治時代を代表するキリスト者、内村鑑三の全集を読むことにしたという。しかも、これが、予想に反して面白いのだそうだ。


教授は、内村鑑三の言葉について、コラムの中で以下のように述べておられる。

 (以下、コラムからの引用)

 

 

「内村といえば、教科書的には、日清戦争に際しては「日清戦争の義(ぎ)」をキリスト教国の欧米列強に向けて書き、戦争を支持するが、日露戦争に際しては非戦(ひせん)論に転じた、との説明で済まされてしまう。


だが、内村の言葉を実際に読めば、非戦論も人間の言葉のぬくもりとともに迫ってくる。日清戦争の翌年、1896(明治29)年のクリスマスに書かれた「寡婦(やもめ)の除夜」という詩を目にすれば、内村の〔義戦論から非戦論への〕変化がいかなる点で起こったのかがよくわかる。

冒頭の1連を引く。

 

月清し、星白し
(しも)深し、夜寒し
家貧し、友少し
(とし)(つき)て人帰らず(後略)

 

寡婦とは夫を亡くした女性を指すが、連以下を読めば、清国艦隊との海戦で名高い威海衛(いかいえい)や台湾攻略戦で夫を亡くした妻たちだとわかる。

 

家庭の幸福が破壊されるさまを見て、非戦〔論〕への転換が早くから起こっていたのだった。

 

見通した戦争の本質


それでは、日露戦争が迫るなか、内村はいかなる言葉で戦争の非を説いたのか。それを見ていこう。


戦争の半年前、1903(明治36)年9月26日付『万(よろず)朝報』のコラム欄〔「殺す者は殺さる」〕。日清戦争の回顧から書き始めた内村は言う。

 

軍人に清国を討(う)たせた日本人は、この10年間軍人に苦しめられてきたではないか。国富(こくふ)の大半は軍人のため使用された。

今また、軍人にロシアを討たせたならば、軍人が国民に要求するところはいかばかりのものになろうか、と。


想像せよ、と内村は言う。

今度という今度は「我らの中に残るところの僅少(きんしょう)の自由も憲法も煙」になって消えてしまうだろう。

 

この後に続く内村の言葉は、読む者を震撼(しんかん)させずにはおかない。


「日本国は、さながら一大兵営〔国家〕と化し、国民は米の代りに煙硝えんしょう、注2)を食(くら)い、麦の代りにサーベル(注3)を刈(か)るに至るであろう」


内村は、満州事変やそれに続く戦争の時代を見ることなく〔19〕30(昭和5)年に死去した。

 

煙硝を食い、サーベルを刈る兵営国家、との見立ては、太平洋戦争末期の空襲・沖縄戦・原爆の過程を知る我々にとっては、恐ろしい予言に聞こえる。

日露戦争も始まっていない時分での予言である。

 

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ここで私は、内村が軍部や軍隊と言わずに軍人と言った意味に注目したい。

 

戦前の日本では、満州が言及される時「20億の国費と20万の英霊(えいれい)」との決まり文句とともに〔、「投入した巨費と無数の英霊の犠牲を無駄にはできない。満州を手放すことなどできない」と〕語られた。


戦争の死者が戦後社会〔の行動〕を縛る、その仕組みを内村は正確に見ていた。


人の死が戦争の本質だと考えるゆえに、内村は軍人と言った。ここに非戦の鍵を見た知性には、敬服(けいふく)のほかはない。

しかも、軍人の死ならば、戦闘を「役目」として負った人の死であるから、社会もなお冷静な対応をとりうる。

 

問題は、何の落ち度もない、無辜(むこ)の人の死の場合だろう。〔おそらく、無辜の人の死が発生し、これに国民が激高すれば、国も冷静な対応はできなくなるだろう。〕


私の危(きぐ)はここにある。

 

昨年末の防衛大綱では、先島(さきしま)諸島の防備強化が明記された。海上保安庁も海上警察権の再検討を始めた。

 

緊張の理由の一半が中国の姿勢にあるのは事実だが、無辜の人の死が発生しないよう知恵を絞るのは両国の人間の責務だ。神も仏も助けてはくれまい。

 

 

(引用出典:毎日新聞2011年1月16日東京朝刊「時代の風」。〔 〕、( )内と注1~3は補足)

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加藤教授のコラムは、内村鑑三とその言葉が歴史学者の目にどのように映るのか、その一端を知ることのできる興味深い資料と考えられる。

 

 

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注1 加藤 陽子(かとう ようこ)

 

【略歴】
・1960年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授。博士(文学)。専攻は日本近代史。

・2010年 『それでも、日本人は「戦争」を撰んだ』(朝日出版社、  2009年)で、第9回小林秀雄賞を受賞。

 

 【著書】
『模索する1930年代―日米関係と陸軍中堅層』(山川出版社)
『徴兵制と近代日本―1968-1945』(吉川弘文館)
『戦争の論理―日露戦争から太平洋戦争まで』(勁草書房)
『戦争を読む』(勁草書房)
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)
『天皇の歴史8巻 昭和天皇と戦争の世紀』(講談社)

 

注2 煙硝(えんしょう)

有煙火薬。爆発すると黒煙の出る火薬。清涼な鋭い塩味がある。

 

注3 サーベル

軍人が腰に下げた西洋風の刀剣。

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