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聖書に学ぶ 001

2017年12月13日改訂

矢内原忠雄

明日のことを思い悩むな

- 空の鳥、野の花を見よ -

マタイ福音書 6章25~34節

イエスはガリラヤの野を行き巡(めぐ)りつつ、弟子たちに教えた〕

 

空の鳥を見てごらん。

種も(ま)かず、収穫(しゅうかく)もせず、倉にしまい込むこともしないのに、天の父上は鳥たちを養ってくださる。

あなたたちは鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。・・

 

野の花の育つのをよく見てごらん。

苦労をせず、紡(つむ)ぐこともしない。

 

しかし、わたしは言う、栄華を極(きわ)めたソロモン王でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。

今日は花咲き、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装(よそお)ってくださるからには、まして、あなたたちはなおさらのことではないか。

信仰の小さい人たちよ

 

だから、「何を食べよう」とか、「何を飲もう」とか、「何を着よう」とか言って、心配するな。

あなたたちの天の父上は、それらが皆、あなたたちに必要なことをよくご存じである。・・・


だから、明日のことまで心配するな。明日は明日が自分で心配する。

一日の苦労は、その日の分で十分である

 

§ § § §

 

イエスが語っておられる〕事柄は、〔日々の〕生活の貧しさという、きわめて現実的な問題です。

しかし、イエスはそれを周囲の美しい自然の中に融合させて、田園詩のように語っておられます。

イエスの言葉を聞いていれば、私たちは生活問題の思い煩(わずら)いから解放されて、空の鳥の鳴く声に耳を澄ませ、野の草花に目を憩(いこ)わせて、心は神の国の生命(いのち)に満ち足ります。


思い煩(わずら)と取り越し苦労、不平と嫉妬(しっと)、焦(あせ)りと絶望に囚(とら)われた心は、空に雲雀(ひばり)が鳴いても聞こえず、野に蓮華(れんげ)が咲いても見えず、天に父なる神がおられても分からない。


この捕囚(とらわれ)から人を解き放して、霊(魂)の自由と平安とを貧しい者に与えられたのが、この〔イエスの〕お言葉です。

 

これは教訓であって、〔しかも〕教訓以上です。これは詩です。生命(いのち)です。

イエスご自身がそのような貧しい者の一人であられたがゆえに、貧しい者に対するイエスの同情と愛が詩となって溢(あふ)れ〔出〕たのです。

 

 

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(「神の民の生活態度・物質生活」『山上垂訓講義』を現代語化。( )、〔 〕内は補足)

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