<各地の集会だより

集会だより 001

関西合同聖書集会

2016年5月4日

つざき

 

〖光と闇についての預言〗

-関西合同聖書集会・会報第145号巻頭言

「光は闇のなかに輝いている。闇はこれを消し去ることができなかった。」
ヨハネ福音書1章5節(英NLT訳)
             

ふかい(やみ)が日本や世界をおおっている。

安保法制・憲法改悪・武器輸出・原発依存・沖縄差別・企業優遇・赤字財政・いじめ自殺・児老虐待など内政に、軍事同盟・戦争罪責回避・敵国仮想など外交に、地球規模では中東紛争・難民・テロリズム・核武装・温暖化など、枚挙(まいきょ)にいとまがない。


内坂(あきら)牧師の『闇の勢力に抗(こう)して』(教文館、2016年2月刊)は、こうした闇をもたらす勢力の正体をあばき、問題の所在を明示する一キリスト信徒の証(あか)しであるが、闇の勢力に抗する主体(人)の育成の問題をも行間ににじませている。


闇に抗する光を反射(映)させる人の育成・訓練は、闇の勢力拡大に反比例し、家庭・学校でも社会一般でも弱体化しつつある。

 

そこへ似而非(にてひ)なる「光」の三本矢力と嘘と貪(むさぼ)りを義と真(まこと)と富と誤魔化(ごまか)―が、闇の勢力から育ちざかり若い魂に射(うち)こまれ続けている。


加えて、闇の拡がりを促すIT(アイティー、情報科学技術)の進展(むしろ濫用)もまた、「光」とみなされ、それ自体がすでにひとの手では制御不能の循環メカニズムへと自己増殖しつつある。

 

ITを神殿とし貪りをご神体(しんたい)とする偶像(ぐうぞう)崇拝が、現代人の意識・無意識における心的構造といえよう。


こうした(いつわ)りの「光」にとりこまれた現代の物的・心的・霊的潮流に抗するためには、何が必要であろうか。


ひかりはキリスト教の専有独占ではないが、第四福音書(ヨハネ福音書)は、神の心(ロゴス)がひととして世に住み幕屋まくや、神に栄光を帰す礼拝所)となってくださり、私たちがその栄光をみたイエス・キリスト(1章14節)をまことの人の光とする。

人となったまことの光は、民と権力層の貪りによって十字架上に消し去られたかにみえたが、よみがえって世の闇のなかに今も輝いている。


闇はかつてあったし、今も、のちにもあるが、これまで闇は光を消し去れなかったし、これからも消し去れずに、闇のただなかで光は輝き続けるとヨハネは預言(よげん)する。

内村鑑三のいう新約の預言である(「預言研究の必要」)。

 

歴史とは、光であるイエス・キリストが人の思いを超えて輝き続け、闇の勢力に打ち勝ちたまうとする旧新約の預言成就(じょうじゅ)に他(ほか)ならない。


とすれば、私たちは闇の勢力に攻められ、平安を失い道に迷うことがあるとしても、決して落胆する必要はない。先立つ光、キリストの照らす道を主に導かれ、日々、歩み続ければよいのだから。


私たちの小さなエクレシア、関西合同聖書集会が、過去45年間と同様こののちも、定例礼拝・一泊研修・納骨式墓前礼拝などを通して、会員(出席・会報)諸氏のまことの光にある歩みの一助として主に用いられんことを(2016年4月29日刊、( )内のルビは補足)

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