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<信仰入門

無教会入門 006

2017年10月22日改訂

内村鑑三

 

【 事実の信仰 】

-真理探究の精神-

現代語訳、原文付き

原文

 

事実の子たれよ、理論の奴隷たるなかれ、

 

事実はことごとく信ぜよ、

 

その時には相(あい)衝突するがごとくに観ゆることあるとも、敢えて心を痛ましむるなかれ、

 

事実は終(つい)に相調和すべし、その宗教的なると科学的なると、哲学的なると実際的なるとに関わらず、すべての事実は終に一大事実となりて現はるべし、

 

我等(われら)理論の奴隷たるが故にしばしば懐疑の魔鬼の犯す所となるなり、

 

神の言(ことば)なる事実にのみ頼(たより)て、我等の信仰は磐石の上に立(たち)て動かざるべし。

 

(原著:内村鑑三「事実の信仰」『新希望』64号、1905年6月、〔 〕、( )内は補足)

事実の子であれ。〔人の頭が作り上げた〕理論の奴隷となるな。

 

理論・教条(ドグマ)に囚(とら)われて、不都合だからといって事実を無視し、否定するな。〕

 

事実はことごとく、〔謙虚にこれに向き合い、あくまでも事実として〕信じ〔受け〕よ。

 

たとえ、〕その時には、〔諸々(もろもろ)事実が〕互いに衝突〔、矛盾〕するかのように見えることがあっても、あえて、心を痛めるな。

 

〔なぜなら、諸々の〕事実は終極しゅうきょく)的に、互いに調和するであろう〔から〕。

 

それが、宗教的であると科学的であると〔に関(かか)わらず〕、〔また、〕哲学的であると実際的であるとに関わらず、すべての事実は、終極的に〔調和し、〕一大(いちだい)事実となって〔われらの眼前(がんぜん)に〕現れるであろう〔から〕。

 

われらは、理論の奴隷であるがゆえに、しばしば懐疑(かいぎ)という魔鬼(まき)に犯されるのである。

 

神の言葉である事実にのみ信頼するとき、われらの信仰は磐石(ばんじゃく)の上に立ち、動揺することはないであろう。

 

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