― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年10月9日
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* * * *
事実の子であれ。
〔人の頭が作り上げた〕理論の奴隷(どれい)となるな。
〔理論・教条(ドグマ)に囚(とら)われて、不都合だからといって事実を無視し、否定するな。〕
事実はことごとく、〔謙虚にこれに向き合い、あくまでも事実として〕信じ〔受け〕よ。
〔たとえ、〕その時には、〔諸々(もろもろ)の事実が〕互いに衝突〔、矛盾〕するかのように見えることがあっても、あえて、心を痛めるな。
〔なぜなら、諸々の〕事実は終極(しゅうきょく)的に、互いに調和するであろう〔から〕。
それが、宗教的であると科学的であると〔に関(かか)わらず〕、〔また、〕哲学的であると実際的であるとに関わらず、すべての事実は、終極的に〔調和し、〕一大(いちだい)事実となって〔われらの眼前(がんぜん)に〕現れるであろう〔から〕。
われらは、理論の奴隷であるがゆえに、しばしば懐疑(かいぎ)という魔鬼(まき)に犯されるのである。
神の言葉である事実にのみ信頼するとき、われらの信仰は磐石(ばんじゃく)の上に立ち、動揺することはないであろう。
♢ ♢ ♢ ♢
(内村鑑三「事実の信仰」『新希望』64号、1905年6月を現代語化、〔 〕、( )内、下線は補足)
原文:
事実の子たれよ、理論の奴隷たるなかれ、
事実はことごとく信ぜよ、
その時には相(あい)衝突するがごとくに観ゆることあるとも、敢えて心を痛ましむるなかれ、
事実は終(つい)に相調和すべし、その宗教的なると科学的なると、哲学的なると実際的なるとに関わらず、すべての事実は終に一大事実となりて現はるべし、
我等(われら)理論の奴隷たるが故にしばしば懐疑の魔鬼の犯す所となるなり、
神の言(ことば)なる事実にのみ頼(たより)て、我等の信仰は磐石(ばんじゃく)の上に立(たち)て動かざるべし。