7月内村鑑三「一日一生」TOP

7月21日~7月25日

(2021年 6月23日更新)

このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。

【7月21日】われらの教会(エクレシア)

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスはお答えになった。

 

 「神の国は、観察できるようなしかたでは来ない。『ここにある』とか、『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの〔ただ〕中にあるからだ。」 

(ルカ福音書 17:20~21。聖書協会共同訳)

もしわれらに教会〔エクレシア〕があるとするならば、それは

われらの家庭である。われらの書斎である。われらの事務所である。われらの田園である。われらの工場である。われらの店舗(てんぽ)である。


われらはそこで神に仕(つか)え、神を讃美し、神の栄光を表したく願う。

われらに特別に神聖な〔る〕場所はない。われらが座る所、立つ所、すべてが神聖である。

​〔神が共にられる場所。そこは、すべて神聖である。

そこに神は現れて、われらに言われる。


きみが立っている場所は、聖なる地である」と(出エジプト記 3:5)。

その時、われらはモーセと同じく、そこでわれらのくつを脱ぎ、そこでわれらの神を拝して、その貴(とうと)き啓示(けいじ)に接するのである。

(原著:「われらの教会」『聖書之研究』1908年10月)

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【7月24日】希望を天に繋(つな)

わたしは山々に向かって眼をあげる。

わが助けはいずこから来るか。


わが助けは、天地を造られた〔神〕ヤハヴェのもとから来る。

(詩編 121:1、2 関根正雄訳)

キリスト信徒は、助けを天に仰(あお)。地に求めない。

彼のすべての希望は、神につながっている。人に関(かか)わらない。

 

それゆえ信徒は、その習わしとして、上を見て、下を見ない。

もともと、上を見る生き物である。彼の身体の構造が、上を見るようにできている。


昔のギリシャ人が人〔間〕をアンスロポス(天を仰ぐ者)と呼んだのは、そのためであるという。

そして、人が人であることの価値(=天の父なる神の愛(いと)し子であること)を自覚するに至るとき、彼は目を下に向けることをやめて、上を向くようになる。

 

彼の肉体は、彼の精神に応じて、その目は自(おの)ずと上を仰ぐようになる。

地を見つめれば、行き詰まる。

 

しかし天におられる神を仰げば、困難に勝利する力が与えられる。道は開かれる。


それゆえ人よ、希望を天に繋(つな)。〕

わたしたちの国籍は天にある。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、わたしたちは待ち望んでいます(ピリピ書 3:20、21)とは、キリスト信徒の常態である。

(原著「目の向け方」1926年、信22・49)

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