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8月<内村鑑三「一日一生」現代語訳

 

8月6日~8月10日

(2018年 6月16日更新)

 

このページは、山本泰次郎、武藤陽一編『 一日一生』(教文館、1964年)を現代語化したものです。

【8月9日】単純なる十字架

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【8月10日】イエスを友とする

神は真実な方です。


この神によって、あなたがたは神の〔独り〕子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

(コリント第一 1:9 新共同訳)

 

実に人の生涯にとって、イエスを知りイエスを〔心の〕友とする〔こと〕ほど、大切なことはない(注1)

これはむずかしそうで〔はあるが〕、〔実は〕とてもやさしいことである。

キリスト教を信じ、キリスト教会に入〔会す〕ると言えば、〔何か〕非常にむずかしそうだが、イエスを〔何でも打ち明けられる〕友とすることは誰にでもできることである(注2)


そして、イエスと〔の〕友誼(ゆうぎ)を続ければ続けるほど、彼について段々と深く知るようになり、特別に宗教や〔キリスト教の教理・〕神学を研究せずともイエスによって、徐々に人生の奥義(最も大事なこと)が〔われわれに啓〕示されるのである。

イエスは〔弟子の〕ナタナエルに向かって、
天が開けて、神の御使
(みつかい)たちが人の子〔わたし〕の上に上り下りするのを、あなた方は見るであろう」(ヨハネ福音書 1:51 口語訳)
と言われた。


そのように、イエスと聖父(ちち)〔なる神〕との間に豊かな霊的交流があり、彼〔イエス〕にあって、真に天が地に触れ〔合い〕、神が人〔々〕の間〔すなわち、歴史の中〕に〔ご自身を〕現〔わさ〕れ、現世と来世(神の国)との間に強固な掛け橋が架(か)けられて、この橋によって人がこちら〔側〕からあちら〔側〕に到達できる道が開けたことを(注3)、われわれは目〔撃(もくげき)〕するのである。


イエスを知り、イエスを友とすること。これがキリスト教であり、信仰である。また永遠の生命も、彼以外のところにあるのではない(注4)。〕

* * * *

(原著「キリスト教とその信仰」1912年、信15・61~64項の抜粋を現代語化。〔 〕、( )内、下線は補足)

注1 (しもべ)を友と呼ぶイエス
「もやは、わたし〔イエス〕はあなたがたを僕
(しもべ)とは呼ばない。

僕は主人が何をしているか知らないからである。

 

わたしはあなたがたを友と呼ぶ

父〔である神〕から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」

(ヨハネ福音書 15:15)

注2 慈しみ深き友、イエス

讃美歌312番いつくしみ深き友なるイエスはクリックしてYouTubeへ

歌 詞
1.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪、
(とが)、憂(うれ)いを 取り去りたもう。
こころの
(なげ)きを 包まず述べて、
などかは
(お)ろさぬ、負(お)える重荷を。

2.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知りて憐
(あわ)れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りに
(こた)えて 慰(なぐさ)めたまわん。

3.
いつくしみ深き 友なるイエスは、
変わらぬ愛もて 導きたもう。
世の友われらを 棄
(す)て去るときも、
祈りに応えて 労
(いたわ)りたまわん。

現代語訳
1.
慈愛
(いつくしみ)深い友、イエスは、
われらの〕罪、過
(あやま)ち、憂いを〔すべて〕取り去ってくださる。
それなのに、〕心〔の中〕の歎きを 包み隠さず申し上げて、
どうして下ろさないのか 背負っている〔君の〕重荷を。

2.
慈愛(いつくしみ)深い友、イエスは、
われらの弱さを〔すべて〕ご存知で 〔なおも〕憐れんでくださる。
われらが〕悩みや悲しみに 〔こころ〕沈んでいるときも、
われらの〕祈りに応えて 慰めてくださる。

3.
慈愛(いつくしみ)深い友、イエスは、
変わらぬ愛で〔常に、われらを〕導いてくださる。
世の友がわれらを 棄て去るとき〔に〕も、
われらの〕祈りに応えて、慰め〔、励まし〕てくださる。

注3 神にいたる道、イエス

「わたし(イエス)はであり、真理であり、である。

〔道である〕わたしを通らなければ、だれも父〔なる神〕のもとに行くことはできない」(ヨハネ福音書 14:6)

注4 永遠の生命

「永遠の命とは、唯一真の神であられるあなたと、あなたのお遣(つか)わしになった〔わたし〕イエス・キリストを知ることです」(ヨハネ福音書 17:3)

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