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わが事業は、〔「宣教」、「伝道」と称して〕信者を作ることではない。また、〔「聖書知識普及」と称して〕聖書を講じることでもない、〔「救霊事業」と称して〕霊魂を救うことでもない。
わが事業は、イエスを信じることである〔。それだけである〕。
〔それゆえ〕イエスにあって、わが事業はすでに完了したのである。
わたしが安らかに人生を楽しむことができるのは、このためである。
わたしが事業に焦心(あせ)らないのも、またこのためである。
事業、事業と焦心(あせ)る米国流の〔業績主義の〕キリスト教は、わたしには、まったく耐えられないものである。
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(原著「奇異なる信仰」『聖書之研究』175号、1915〔大正4〕年2月を現代語化。( )、〔 〕内、下線は補足)
注1 一番大事なこと
内村鑑三「奇異なる信仰」のすぐれた解説:
HP「shirasagikaraの日記」2015-05-05「奇異なる信仰」 内村鑑三の「わが事業」へ
「・・ふつう教会の牧師は、聖書を講じ、キリスト信仰をひろめ、信者をふやし、霊魂を救うのを使命とします。
しかし「奇異なことに」内村鑑三はそれを否定するのです。鑑三は、一番大事なことがわかったのです。・・・・」(「shirasagikaraの日記」より)
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