<信仰と人生

信仰に生きる 025

2018年8月16日

矢内原忠雄

 

応用の失敗

自分が〕よく教えられている信仰生活の原理を〔日常の〕実際問題に応用するとき、われらは時に〔応用に〕成功し、時に失敗する。

 

自分の力でなく、〔神の〕聖霊(せいれい)の助けによって正しく実際問題が処理できたとき、われらの口から神に対する讃美が〔湧(わ)き〕あがり、われらの信仰は実験(現の経)を経(へ)て一段と明確になる。


しかしまた、われらの知恵が足らず、勇気が足らず、信仰(神への信頼)が足らずに、みじめな失敗をなめることもある。

そのとき、われらのたましいはうなだれて、神の御前に〔あって〕はげしい羞恥心(しゅうちしん)に襲われる。


ところがこのように、われらが神の御前(みまえ)に〔自分の不足・不誠実を〕恥じて自らの罪を告白し、神の赦しを心より願い求めるとき、思いがけず神は、ご自身の憐(あわ)れみをわれらに豊かに注(そそ)ぎ、われらを神の懐(ふところ)に抱き上げ、神の深き愛をわれらに示して下さるのである。


たとえば、詩篇第32篇を見よ(注1)、〔また〕詩篇第51篇を見よ。

これらの詩に歌われているように〕われらの失敗はしばしば、われらの成功よりも一層近くわれらを神に近づけるのである。


実際問題の処理の失敗をわれらは恐れる必要はない。〔むしろ、〕神に対する信頼の欠乏こそ、われらは常に恐れなければならないのである。

♢ ♢ ♢ ♢

『嘉信』第14巻・第9号、1951〔昭和26〕年9月を現代語化。( )〔 〕内は補足)


注1 赦された者の幸い(詩篇 第32篇)
ダビデのマスキールの歌。

神ヤハヴェによって〕その背(そむ)きが赦され
その咎
(とが)が蔽(おお)われた者に幸(さち)あれ。
ヤハヴェがその罪を数え給
(たま)わない人
その心に偽
(いつわ)りのない者に幸あれ。

あなたの御前に〕沈黙を守っていた間、わが骨は衰えはてた。
わたしは終日
(しゅうじつ)うめき叫んでいたから。
というのは昼も夜もあなた(ヤハヴェ
)の手は
わたしの〔良心の〕上に重かったからです。
わたしの舌はちょうど夏の炎熱にあった時のように
乾いて了
(しま)った。

そこでわたしは自分の咎をあなたに告白し
自分の罪を隠さなかった。
わたしは言った、さあわたしの背きを
ヤハヴェに告白しようと。
その時あなたはわが罪と咎とを〔すっかり〕赦して下さったのです。

だからすべての敬虔(けいけん)な者は苦しみの時に
あなたに祈るでしょう。
たとえ〕大水が溢
(あふ)れて流れてきてもその人に及ぶことはない。

あなたわたしの避け所(どころ)です。
苦しみからわたしを救って下さる。
救いの喜びをもってわたしを囲んで下さるのです。・・」

(詩篇 32:1~7、関根正雄訳)

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