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紹介・書評 008

2018年9月2日改訂

本の紹介

島崎暉久著

ヨハネ福音書と現代 第一巻

-現代世界にキリストの福音の核心を提示する-

 

証言社、2018年3月1日刊、B6判・233項・本体2,000円

§ § § §

このたび島崎暉久(てるひさ)氏による『ヨハネ福音書と現代  第一巻』が刊行された。


 第一巻の序で佐藤全弘(まさひろ)氏(大阪市立大学名誉教授、哲学)は、本書について以下のように述べている。
 

今、ここに島崎暉久氏の『ヨハネ福音書と現代』の第一巻がある。

マタイ福音書と現代』全10巻が完結して一年、〔島崎氏は〕ここに、同じ探求精神で、〔ヨハネ福音書の〕一言(いちごん)一句をもおろそかにせず、かつ、今世界に進行しつつある戦争、飢餓(きが)、環境破壊、生物種絶滅の惨害(さんがい)と、それらを惹起(じゃっき)している人間の内なる悪、サタンの働きにも、福音の明澄(めいちょう)きわまる透徹(とうてつ)した光を、真正面から差しむけることを惜(お)しまない。


2,000年前、イエスに従い歩んだ青年ヨハネが、その晩年に記(しる)し留(と)めた「ヨハネ福音書」の精神を、今滅びに陥(おちい)ろうとする人類と地上の全生物種に照射して、その救いに、心と筆をふるっておられる。」(第一巻 序、〔 〕内は補足。以下同様)


本当にそうであると思う。


人類の(あ)くなき欲望が石油を初めとする地球資源を収奪(しゅうだつ)し、自然環境を破壊して、地球規模で異常気象が頻発している。

 

すでに多くの生物種が絶滅に追い込まれ、今や人類存続の危機さえ迫(せま)りつつある。このことは、心ある者の目には否定しがたい事実であろう。


国連WFPは、2016年の飢餓人口は8億1,500万人(前年比3,800万人増)と発表し、その主(おも)な原因として武力紛争の拡大と気候関連の打撃を挙(あ)げている(「世界の食糧安全保障と栄養の状態 2017」)。


一方、多くの人々が飢餓に苦しむ中、日本を含む世界の国々は、最大の環境破壊である戦争とその準備に莫大(ばくだい)な資金と人的資源をつぎ込んでいる(2017年の世界の軍事費は約189兆円-ストックホルム国際平和研究所、2018年5月発表)。

地球船タイタニック号は沈みつつあるのに、一時(いっとき)の上席を手に入れようと人々は争いに明け暮れる。

 

人間の罪によるこれらの惨状(さんじょう)は、正気(しょうき)の沙汰(さた)とは思われない。

どうして人類は、このような状態に落ち込んだのか。


聖書によれば、その根源的な原因は、人が神から「自立」し、神のような者になろうとして、自らの意志で創造主(神)のもとから背(そむ)き出たことにある、という。

旧約聖書創世記(そうせいき)の堕罪(だざい)物語に、「君たちがそれ(知恵の樹の実)を食べるときは、君たちの目が開け、神のようになり、善でも悪でも一切が分かるようになる」との蛇の誘惑に従い、人類を代表する始祖(しそ)アダムとエバは、神の禁止を破って、「その実を取って食べた」とある(創世記3章、関根正雄訳。下線、(  )内は補足)。

ところが、善悪の知恵を身につけて創造主から「自立」しようとした人類は、かえって真(まこと)の自由を失い、欲望と罪と死の奴隷(どれい)状態に陥り、サタンの支配下に繋(つな)がれている。

そして、人類は存在の本源である生ける神から離反(りはん)して希望なきニヒリズムに転落、自己と争い(内心の分裂、内なる闇(やみ))、人間同士で争い(偏見、差別、憎しみと戦争)、自然と争うようになり(環境破壊)、自己と周囲に廃墟(はいきょ)を築(きず)きつつある。

また自然界を始めとする全被造(ひぞう)世界(宇宙全体)は本来、神の創造のもと豊かな調和を与えられ「おおらか」なものだったが(創世記1章参照)、人類の堕罪の影響は全世界-自然界に波及(はきゅう)した

全世界自然界は、人類の罪と死の呪いの影響を受け(人類の罪と死の呪いと連座(れんざ)して)、内に虚無と死滅、破壊性を宿(やど)すに至(いた)った(創世記 3:17b、18参照)。
人類も全世界(自然界)も共に、救いを求めて呻(うめ)いている(注1)。


この罪と死の奴隷状態から人類を救い、世界を救う-人類と世界を神の生命圏(せいめいけん)へと奪還(だっかん)する-ために、イエス・キリストは2,000年前、歴史世界に降誕(こうたん)し、十字架の道を歩まれた。


そのイエス・キリストの生きざまと彼の福音(喜ばしき救いの告知)を証言するものが、新約聖書の四福音書であり、その一つがヨハネ福音書である。


そしてイエス・キリストの福音は、新約聖書に文字で表された事すべてよりも更に深く、温かく、限りなく広く、厳しい。

聖書は、その福音の広さと深さと温かさ厳しさの凡(すべ)てを、全面的に伝えきっているものではない(注2)。


神は人間の理知(りち)を越えて高く、大きく、尊くあられる。天地創造の神は、宇宙万物一切を創(つく)り給(たも)うたお方である。

 

その御心(みこころ)の全体が、中位の恒星であるわが太陽の周りをまわる、いと小さな惑星の上に、ほんの300万年という短期間前に現れただけの、人類の一、二の人の言(ことば)に、すべて〔語り〕尽くされているとはとうてい言えない。

神をその程度のお方と考えることは、人間の傲慢(ごうまん)である(注3)。


そのまことの神の大きさ、広さ、深さ、温かさ、厳しさを人間となって私たちに現して下さったのが、イエス・キリストである。

ゆえにこそキリストは、神にまします。


私たちは、そのイエス・キリストを、そういう大いなる、宇宙全体を包む、永遠にわたる、真理そのものの唯一の具現者(ぐげんしゃ)たる(いつ)なる神の独(ひと)り子(ご)と信じる(注4)。

キリストはそれ以下のお方ではない。」(第一巻 序)


ヨハネ福音書と現代』において島崎氏は、イエスの精神-聖霊(せいれい)の光-の導きに従いつつ、現代聖書学・神学の成果を存分(ぞんぶん)に駆使(くし)して福音書の歴史的・批判的研究を遂行(すいこう)し、イエスの福音の核心に迫る。

 

そしてイエス昇天後の初代教会時代から福音書成立までの間に付着した様々な塵(ちり)と制度教会の手垢(てあか)とを取り除き、福音の原初(げんしょ)の輝きを取り戻す。


R.ブルトマンらによって始められた福音書研究法-様式史(ようしきし)批評-による「史的(してき)イエスの探求」の結果は、学者ごとに異なる多数の「歴史のイエスたち」であり、非常に薄っぺらなイエス像しか描くことができなかった(R.ボウカム『イエス入門』新教出版社、2013年。25~36項)。


島崎氏の聖書講解は、様式史批評の限界を乗り越える重要な試みでもある。
 

私もまた、「『ヨハネ福音書と現代』は必ずや著者〔島崎氏〕に、〔一人の罪人(つみびと)である〕パウロの信仰ではとうてい窺(うかが)い知れない、〔神の御子〕イエス・キリストの、厳しくも温かい、熱い血の通(かよ)った、そして憐(あわ)れみと愛にあふれた信仰を示すことになる」(第一巻序 佐藤氏)と確信し、本書を推薦(すいせん)する。

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*著者はキリスト証言集会責任者。月刊誌『証言』主筆。

福井大学名誉教授。

*この本の注文は、直接、「証言社」に申し込んで下さい。
証言社の電話・ファックス番号 0776-51-3292
代金は、本が届いたあとで、振り込んでください。

注1 自然(被造物)は呻く
「〔被造物
ひぞうぶつ、自然界)、いまか、いまかと、首を長くして、〔神の救済が完成し〕神の子たちが栄光の啓示に浴(よく)するのを待ちこがれている

 

なぜなら被造物が、無と帰(き)して滅びゆく運命に服したのは、自分からすすんで身を投じたのではなく、服させたもうた方〔、神の御心〕によることであるから、そこには〔救いの〕望みがある。


すなわち被造物自身も、死滅の奴隷となっているいまの状態から解放されて、神の子供たちの栄光と自由〔、つまり人類の救済の完成に連帯して被造物も一緒に救済〕にあずかることになるのだから。

 

私たちは知っているではないか、被造物全体がいまにいたるまで共に呻(うめ)き、共に産みの苦しみをしてくれていることを。

いな、被造物ばかりではない。御霊(みたま)にあって(新しき世の)初穂をすでにいただいているわたしたち自身も心の底から呻いて、〔神の〕子と〔して一新〕されることを待ちこがれている。

それはわたしたちのこの体が贖(あがな)われ〔、罪と死から完全に解放され〕るときなのだ。」
(ローマ書 8:19~23、杉山好
(よしむ)訳。( )、〔 〕内、下線
は補足。補足の参考文献:杉山好訳・パウル・アルトハウス著『NTD新約聖書註解6 ローマ人への手紙』、NTD新約聖書註解刊行会、1974年、222~233項)

注2 超越者キリスト:真理そのもの、命そのものである《活けるキリスト》は、聖書の固定化した文字の中に閉じ込めることのできない方である。


 「わたしは道であり、真理であり、命〔そのもの〕である。」(ヨハネ福音書 14:6。イエス・キリストのことば)

「イエス・キリストのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。

わたし〔ヨハネ〕は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネ福音書 1:25、下線、〔  〕内は補足。以下同様)

注3 啓示の霊:聖霊(活きて働くキリストの御霊)は、キリストの証言である聖書を用いつつ、新たなる時代に新たなる真理を啓示する。

また聖霊は、キリスト教信仰の化石化(キリスト教の教義的固定化・制度的形骸(けいがい)化)を打ち破る《神のいのちの力》である。


「しかし、弁護者(パラクレートス)、すなわち、父〔なる神〕がわたし〔イエス〕の名によってお遣(つか)わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ福音書 14:26)

注4 啓示者キリスト:キリストは神を体現し、この世に神を啓示した


「いまだかつて、〔宇宙万物の創造主である永遠の〕神を見た者はいない。

〔この〕父〔なる神〕のふところにいる独り子である神〔、キリスト〕、この方〔こそ〕が〔人となってこの世に来たり、父なる〕神を〔十全に啓〕示したのである。」(ヨハネ福音書 1:18)

「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。

わたし〔イエス〕を見た者は父〔なる神〕を見たのだ。〔それなのに〕なぜ、『わたしたちに御父(おんちち)をお示し下さい』と言うのか。」(ヨハネ福音書 14:9)

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