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最終更新日:2024年11月5日
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<信仰入門
無教会入門 020
2023年1月15日改訂
石原 兵永
教会問題で苦しむ友へ
内村鑑三と無教会 ⑴
原題「内村先生と無教会」
〖内村鑑三と無教会〗 ⑵ ⑶ ⑷ へ
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* * *
〔 1 〕
無教会の現在、過去
〔1-①〕
内村鑑三の生誕100年を迎えて(1961年当時、注1)、まず思うことは、無教会主義の創始者〔としての内村〕ということです(注2)。
《無教会》、つまり教会の無いキリスト教(churchless Christianity)というのは、内村鑑三によって、初めて日本において主張されたキリスト教信仰〔の在り方〕であります。
日本だけでなく、世界のキリスト教史上においても、直接に《無教会》をもってキリスト教信仰を公然と表明されたのは、内村鑑三が最初であったと思う。
内村の考え(無教会主義)に賛成すると反対するとを問わず、ともかく内村がこれ(無教会信仰)を主張し、生涯この信仰に生き抜かれたことは、もはや世に隠れなき事実です。
内村だけではありません。その教えを受けた多くの人たちもまた、内村無きあとの30年間を、この同じ無教会信仰に生きて現在に至りました。
そして今ではもう、〔無教会は〕日本のキリスト教界に〔おいて〕明確な存在となっております。
日本国内だけでなく、世界的にも「無教会」(Mukyokai)という名前のままで紹介され、外国人で内村鑑三の人物や思想信仰について研究する者も少なくありません(注3)。
〔1-②〕
スイスの〔プロテスタント〕神学者で日本にも2回ほど来たことのある世界的に知名なエーミル・ブルンナーは、とくに内村の《無教会運動》を高く評価して、これを欧米の〔神〕学界に紹介しています。
〔ブルンナーは、〕『福音主義神学』という雑誌の1959年度・第4冊にも、「日本の無教会運動」(Die christliche Nicht-Kirche-Bewegung in Japan)という論文を載せていますが、その最後で〔彼は〕次のように述べている。
「聖礼典(サクラメント)的制度としてのプロテスタント教会は - そういうものが〔一体、〕聖書の中にどのように根拠づけられ〔得〕る〔の〕かという主要問題は別として - もともとカトリック教会と競争する能力をもっていない。
しかし、われわれプロテスタント〔諸教会〕が宗教改革者たちに負うところの認識、すなわち「何が真の信仰であり、したがって何が真のエクレシア〔か〕、〔つまり何が〕真の信仰共同体であるか」という認識は、この聖礼典(サクラメント)的僧職制度を克服するであろう。
プロテスタント教会はただ「信仰による真の兄弟の交わり」〔つまり、聖書のいうエクレシア〕という意味に教会制度〔、すなわち教会の在り方〕を変革することによってのみ、〔生命力あふれた信仰共同体として、〕さらに存立を続けることができるであろう。
この点で日本の無教会運動以上に良い例は、〔歴史上、〕今まで一つも示され〔たことは〕なかった。そのゆえに、無教会運動は日本に対してばかりでなく、全〔世界の〕キリスト教界に対して〔、極めて重要な〕意味を持つのである。」(矢内原忠雄・高橋三郎共訳)と。
〔世界的に〕高名な神学者ブルンナーが認めたから、それによって無教会の価値が定まる〔という〕訳では、もちろんない。
ただ教会に属する優れた神学者の中にも無教会をこのように理解する者がいる、との一例をあげたにすぎません。
〔1-③〕
《無教会》に対する教会側の見方も、以前に比べて大分、違ってきました。ことに内村鑑三に対する評価は、大きく〔様〕変わりました。
内村が世を去って〔から〕30年、生誕100年を迎える今日では、教会における内村の株は上がりました。
かつては「教会の破壊者」と敵視された無教会主義者内村は、今では「教会公認の大伝道者」として迎えられ、その全著作が教会関係者の手で刊行され〔るまでになっ〕ています。
まことに、隔世(かくせい)の感があります。
これは、日本のキリスト教界が、ここまで内村の無教会信仰を〔正しく〕理解するようになったことを示すのでしょうか。
〔もし〕そうであるならば、福音のためにも日本のキリスト教のためにも、まことに喜ばしいことです。
そのようになれば、ブルンナーが念願した「教会と無教会との橋渡し」も、あるいは〔オランダの宗教学者〕クレーマーが勧める「教会と無教会との協力」も可能になるかも知れません。
しかし実際は、そう簡単ではないようです。
〔1-④〕
内村の生誕100年を迎え、去る〔1961年〕3月19日の『読売新聞』に「内村鑑三の現代的意義」と題する座談会の記事が出ました。
その中で〔、教会の高名な牧師・神学者である〕渡辺善太博士は、内村の《無教会》を次のように説明されました。
「〔内村鑑三が〕教会と不和に〔なり、《無教会》という信仰の在り方を唱道するように〕なったのは、内村が教会の俗化、制度化を批判した結果、当時の儀式や典礼を重んずる教師たちが対立的感情をもち、いきおい〔両者の間に〕溝が生じた〔ためな〕のではないか」と。
つまり内村の《無教会》は、主として人間感情から〔たまたま〕生まれた問題で〔あって〕、《福音》の本質〔理解、《福音》の受けとめ方の根本的相違〕によるものではない、という訳です。
〔1-⑤〕
果たして〔、事実は〕そうなのか。それが〔大きな〕問題であります。
無教会が単に人間〔的〕感情〔の行き違い〕から生まれたものであるなら、それは〔キリスト教の本質、つまり〕《福音》にとって至ってつまらぬ問題であり、今日〔われわれが〕内村の生誕100年を記念して、わざわざ取り上げて論ずる価値はありません。
渡辺氏はさらに、「内村が今日の無教会の祖といわれてきたのは大きな誤りで、内村のそれ(無教会)と今日のそれとの間には、大変な違いがある」とも言っておられる(同紙、3月23日)。
そうすると、「現在の無教会信者〔の在り方〕は間違っているいるが、内村の無教会はよろしい」ということになるのか。ここにもまた、〔大きな〕問題があります。
〔1-⑥〕
「内村鑑三を最もよく知る教会の神学者」と思われる渡辺氏〔さえも〕が、無教会をこのように見〔てお〕られるのですから、教会、無教会の問題は、未(いま)だ〔正しく受けとめられ、〕十分に解決されているとは言えません。
また、あるキリスト教会の機関誌は、〔その〕教会論の中で「まず無教会〔の信徒〕に対しては、彼らが真に生れ変わっているならば、われらはその人々を〔同信の〕兄弟と認めるにやぶさかではない」と言っています。
その意味〔するところ〕は、「自分たち〔制度〕教会の信者は問題なく正統の信者であるが、しかし無教会〔の人々〕であっても、彼らがもし真に回心しているなら信者の仲間に加えてもよい」という気持〔の表れ〕であります。
〔1-⑦〕
こういう考え方が、正直なところ〔今も〕、日本のキリスト教界全体の中に多少とも存在するのではないか、と〔私は〕思います。
この考え方を仮に《教会主義》と呼ぶことにしましょう。
つまり〔ここで《教会主義》とは、制度〕教会の立場を〔無条件に〕正しいものと前提する考え方〔のこと〕です。
この教会主義〔の立場〕から見れば、〔儀礼も信条も組織もない〕《無教会》は確かに不安定なものとなります。
教会信者ならば、正式に牧師から洗礼を受けて教会に属する信者(教会員)と〔して外見上、明確に〕認められるが、洗礼〔式〕も聖餐〔式〕も教会制度もない無教会では、〔人の目には〕どこまでが本当の信者なのか、さっぱり区別がつかない。
そこでさしあたり、無教会〔の人々〕でも真に回心しているなら信者と認め〔てあげ〕よう、という結論が出た訳です。
〔自ら「正統」と任ずる〕教会主義を前提とすれば、そうなるのは当然です。〔《教会主義》からすれば、あくまでも自分たち〕教会信者は認める〔側の〕立場〔であり〕、無教会は認められる〔側の〕立場〔ということ〕になるからです。
〔1-⑧〕
しかしながら無教会信仰の立場は、それとは根本的に違います。
まず第一に、〔無教会信仰においては、制度〕教会に〔所〕属するか否か〔、つまり人間が定めた外的指標〕によって、信者か不信者かを区別しません。
〔そもそも、〕信者は神によって生まれる者で〔あって〕、〔神ならぬ宗教団体や〕人間が作るもの〔、あるいは作れるもの〕ではないからです。
聖書にも、「それらの人々(つまり、イエスを信じて神の子とされた者たち)は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである」とあるとおりです(ヨハネによる福音書1章13節、口語訳)。
信者は神から生まれたものですから、人間の作る教会制度(、つまり宗教団体)に〔所〕属するか否かは問題ではありません。
教会であろうと無教会であろうと〔、それらに関わりなく〕、神を信じその御旨(みむね)に従う者が〔、真の〕信者です。
教会であろと無教会であろうと、神を信ぜずその御旨に従わない者は不信者です。それだけが信者、不信の区別で〔あって〕、そのほかどこにも〔、両者の客観的な区別などというものは〕ありません。
ですから、〔不遜(ふそん)にも、自らを神の位置に置いて他人を審(さば)き、〕「認めるにやぶさかではない」も何もあったものではないのです。
簡単に言えば、これが内村鑑三の無教会信仰の立場であると私は考えます。
〔1-⑨〕
そこで〔今日は〕、この立場からもう一度、内村と無教会について省(かえり)みたいと思います。
私は十年ほど前に『無教会史』(三一書店)という小冊子を書いて、内村の無教会信仰についてやや詳しく調べたことがあります。ここでは時間の関係で、要点だけを簡単に述べることといたします。
〔つづく〕
♢ ♢ ♢ ♢
(出典:石原兵永(ひょうえ)「内村先生と無教会」〔1961(昭和36)年3月23日、東京麹町の女子学院講堂における「内村鑑三先生 生誕百年記念講演会」における講演〕。鈴木俊郎編『内村鑑三と現代』岩波書店、1961年、107~112項より引用。( )、〔 〕内、下線は補足。一部表現を現代語化)
注1 内村鑑三の生誕・召天
内村は1861(文久元)年3月23日生誕、1930(昭和5)年3月28日召天であるから、2023年に生誕162年、召天93年を迎える。
注2 内村鑑三先生 生誕百年記念講演会
1961(昭和36)年3月25日(土曜日)、26日(日曜日)の二日にわたり東京麹町の女子学院講堂において、「内村鑑三先生生誕百年記念キリスト教講演会」が開催された。
本論考石原兵永「内村鑑三と無教会」(原題:内村先生と無教会)は、3月26日の上記講演会における講演の記録である。
本講演会の各演題と講師は、以下の通り。
25日(土曜日)の第一日目は、「内村先生と現代」関根正雄、「前向きの信仰 - 先生とシュヴァイツェル - 」野村実、「教会史上の異端者」政池仁、「無教会主義の特性」黒崎幸吉の順に講演が行われ、聴講およそ950。司会は日暮勝英。
26日(日曜日)の第二日は、「天国への郷愁」前田護郎、「偶像と偽(にせ)預言者」鈴木俊郎、「内村先生と無教会」石原兵永、「日本の思想史上における先生鑑三の地位」矢内原忠雄、の順に講演が行われた。
この日は季節はずれの雪が風をともなって降りしきる天候であった中、聴講およそ1,400。司会は秀村欣二。
各講師の紹介(講演会開催当時):
矢内原(やないはら)忠雄は元・東京大学総長で、『嘉信(かしん)』誌および今井館聖書集会の主宰者。
野村実は白十字会村山療養園長で、A.シュヴァイツァーと親交のある医家。
関根正雄は東京教育大学助教授〔後に教授、注〕の旧約聖書学者で、『預言と福音』誌および千代田無教会集会の主宰者。
前田護郎は東京大学教養学部教授の新約学者で、日曜聖書講座(後に世田谷聖書会)の主宰者。
政池仁は全国的に活動する独立伝道者で、『聖書の日本』誌および政池聖書研究会の主宰者。
石原兵永は独立伝道者で、『聖書の言』および石原聖書研究会の主宰者。
黒崎幸吉は独立伝道者で、『永遠の生命』誌および黒崎聖書研究会の主宰者。
鈴木俊郎は編集者で、第一次『内村鑑三全集』(岩波書店、1932-1933)を編集刊行し、また独力で『内村鑑三著作集』全21巻(岩波書店、1953-1955)を刊行。内村鑑三記念講演会の講壇にたびたび立ち、その講演集を編した。
(参考文献:鈴木俊郎編『内村鑑三と現代』岩波書店、1961〔昭和36〕年10月の「あとがき」。鈴木範久監修『日本キリスト教歴史人名事典』教文館、2020年)
注3 海外の内村研究者の文献
最近では、コロンビア大学名誉教授・J.F.ハウズ(John Forman Howes)の大著 ”Japan's Modern Prophet: Uchimura Kanzô, 1861-1930”(邦訳:堤稔子訳『近代日本の預言者-内村鑑三 1861-1930』教文館、2015年)などがある。
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