― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
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最終更新日:2024年10月9日
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* * * *
〔 3 〕
〔3-①〕
〔キリスト者として生きる、また伝道者として生きると言っても、それは、〕どうすれば信者の数を増やし、教会を盛んにできるかとの〔人間的な思い、宗教事業家的野心の〕問題ではない。
それは人間的な力でこの世を《神の国》にしようとの試みであり、社会的に見れば〔勢力拡張のための〕一つの宗教活動です。
ところが〔内村〕先生の場合は、この世における〔いわゆる〕宗教活動ではありません。〔それはどこまでも、〕自分を救った救い主キリストの御心(みこころ)に従って生きようとする生活です。
その結果〔として〕、〔新しく〕信者はできるかも知れない。〔あるいは、〕できないかも知しれない。キリスト教は盛んになるかも知れない。〔あるいは、〕ならないかも知れない。
それは神ご自身のなさることで〔あり〕、それ(結果)がどうであろうと先生としてはただ、キリストを信じて神に服従することだけであり、〔実際、〕それが先生の生涯であったのです。
〔真理は、それ自身の力によって前進します。先生は神に信頼して、失敗を恐れず結果を気にせず、悠々と気楽に、そして一生懸命に伝道に挺身(ていしん)したのです。注1〕
〔3-②〕
回心とともに先生はまず、キリスト教教育による日本の救いを、イエスから授けられた自分の使命と信じて日本に帰りました(前掲3月8日の日記解説)。
そこで早速、〔1888(明治21)年、先生は新潟のキリスト教主義学校・〕北越学館に〔教頭として〕赴任し、やがて第一高等学校(現・東大教養学部の前身)の教職(嘱託教員)につきました。
ところが思いがけず、そこで〔、明治天皇の署名入りの教育勅語に対する〕不敬事件が起り、〔先生は、天皇の〕不敬漢(ふけいかん)、《国賊》として教育界から追放され、日本国民全体から迫害されることになりました(「教育勅語不敬事件」)。
神を信ずる自分であるから〔教育〕勅語などには頭は下げない、というような気負った気持からではなく、とっさの場合に臨(のぞ)んで、自分の良心にささやくイエスの霊がそうさせなかったのです。
しかしその行動は、実に重大な結果をもたらしました。教育によって日本を救うどころか、自分みずからが《非国民》として国民全休から社会的に葬(ほうむ)られてしまったのです。
しばらくの間は、日本中に「〔安らかに〕枕するところ」もない〔ほどの〕窮地に追いこまれました。先生が夢想もしなかった運命でした。
すべては、イエスに対する信仰的服従(信従)から生まれた結果です。
〔3-③〕
人間〔としての〕内村は当然、失望しました。
しかしこの失望と窮迫のどん底にあって、先生の霊には新しい光が啓示されました。
それはイエス(Jesus)と日本(Japan)を愛する(《二つのJ》)という、先生のキリスト中心の信仰を通して啓示されたのです。
日本国民が先生を《非国民》、《国賊》として斥(しりぞ)けたのは、彼らがまだ真の〔神〕信仰に目覚めていないからである、この日本人の魂(たましい)を救うものは、主イエスの《福音》のほかにない、自分はこの福音をもって日本の救いに奉仕するものとなろうと、そういう考えが示されたのです。
〔3-④〕
そこで先生は、キリストの愛に励まされ、涙の中からペンを取って、福音の証言(あかし)を文字に綴(つづ)りました。
『基督(キリスト)信徒の慰め』、『求安録』、『伝道の精神』、『代表的日本人』(英文)、『余は如何にして基督信徒となりしか』(英文)、『後世への最大遺物』など、〔後世に残る〕先生の代表的著作は、皆このようにして、不敬事件後の数年間に、流浪(るろう)と窮乏のただ中から、続々と生まれ出たのです。
〔これは、〕人の思いによらず、ただイエスの霊がなさしめた神の業(わざ)であり、まことに「われらの目には不思議なこと」〔マタイ 21:42〕です。
〔3-⑤〕
先生のその後の生涯と福音伝道については、申すまでもありません。
信仰に基づく社会批判も、聖書の研究も伝道も、非戦論も、キリスト再臨運動も、すべてはただイエスに対する信仰の服従から生まれたものでした(注2)。
〔実際、〕それらはみな、偉大な働きであり、先生の才能にもよることではありますが、しかし内面的には、ただ主イエスにすがる幼児のような信仰に基づく歩み〔の結果〕にほかなりません。
〔先生は〕ただその時、その時に、イエスの霊が命ずるままに従っただけです。
1929〔昭和4〕年12月、生涯の終りに近い先生は、「〔自分は偉人でも何でもない、ただ〕十字架にすがる幼児にすぎない〔のだ〕」と告白されました(聖書の言300号記念文集『福音と生活』124ページ)。
〔先生は、〕ただ口先だけで「十字架、十字架」と言ったり、頭の中で十字架の贖罪(しょくざい)を考えるのではなく、幼児が母にすがるように、実際に十字架のキリストにすがって生きたのです。
考えだけでなく、言葉も行動も、自分の存在そのものを、イエスに委(まか)せきってしまったのです。〔これを〕神に対する信仰の服従といっても同じことです。
〔つづく〕
♢ ♢ ♢ ♢
(出典:石原兵永「内村先生と無教会」、鈴木俊郎編『内村鑑三と現代』117~120項より引用。( )、〔 〕内、下線は補足。一部表現を現代語化)
注1 悠々と気楽に、そして一生懸命に生きる
注2 キリストに従う
それから〔イエスは〕、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。
自分の命を救おうと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために自分の命を失う者は、それを救うのである」(マルコ 8:34、35)
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