― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
■上の「ネットエクレシア信州」タッチでホーム画面へ移動
Move to home screen by touching “NET EKKLESIA” above.
最終更新日:2024年10月9日
■サイト利用法はホーム下部に記載
無教会と伝統
(2)
〔10〕
〔10-①〕
ところで、無教会の精神と信仰を受け継ぐとは、どういうことを意味するでしょうか。
これについては、私は、3年前(1960年、注)に、やはりここでなされた塚本虎二先生の講演の一節を想い出します。
〔塚本〕先生はあの時、「私たちは、今後だれをも肉によって知ろうとはしない」(コリントⅡ 5:16)というパウロの言葉を引き、「先生の足跡(あしあと)を踏んで、先生がこうされたからこうしなければならない、というのでは、本当に先生の信仰をいただいたのではない・・・各自が神様と直結して自由に、〔そして最終的に〕神様だけに責任をもって、それぞれの務めを果たすのが、無教会の信仰である」と、申されました。
そこでわれわれは、無教会における「先生」、師の役割について考えなければなりません。
〔11-①〕
なんといっても無教会は、内村先生に始まり、その弟子である多くの先生方によって、今日まで保たれてまいりました。
したがって、無教会の伝統ということを具体的に考えるとき、その象徴的な担い手は、やはり〈先生〉であると言わざるをえません。先生の人格と不可分に結びついた福音の権威によって、無教会の精神は支えられてまいりました。
〔11-②〕
「教会は司教の中にあり」(ecclesia in episcopo est)ということが、古くからカトリック〔教会〕の方で言われていますが、今述べたような意味で「無教会は先生の中にあり」と言ったら、叱(しか)られるでしょうか。
叱られても、それが事実なら致し方がありません。確かに福音の真理は、日本においては師弟関係を通して伝えられてきたことが多く(注1)、ことに無教会においてはそうです。
しかし、先生の人間的な魅力が福音の魅力よりもまさるところに、警戒すべき落し穴があります。その落し穴が、〔弟子を〕先生崇拝・先生模倣という邪道に導くのです。
先生自身はそのことをよく自覚して〔いて〕、弟子を戒(いまし)め、師の教えを何でもかんでも鵜(う)呑みにし、オームのように師のマネをするのを是認しないのですが、〔弟子の方で〕先生に傾倒し、熱愛のあまり「ひいきの引き倒し」になりやすいのは、凡夫(ぼんぷ)の悲しさであります。
〔11-③〕
しかし、そのようにして自分の先生を絶対化して〔他を認めず、〕排他的になることは、無教会の墓穴(ぼけつ)を掘ることでありして、悪い意味の〈先生中心主義〉は、真の無教会の伝統ではなく、またあってはなりません。
内村先生自身、晩年には師弟関係の弊害を痛感して、「君たちの師は〔ただ〕一人、キリストのみ。キリスト教にあっては、子弟の関係は無きに等しい」とまで申しております(内村全集13巻931ページより、現代語化し引用)。
しかしながら実際問題として、われわれは先生によって唯一の師キリストに結びつけられ、先生を通して神の言葉を聞いている者が大部分である以上、よかれ悪(あ)しかれ、「無教会は先生の中にあり」と言っても、それほど間違いではなさそうです。
〔12-①〕
昨年『月刊キリスト』という雑誌に、いささか皮肉な問いが載っていました。
それは、ある有名な教会の先生が、「無教会の方々は、本当によく聖書を読んでいますか。聖書よりも内村〈先生〉の本を読んでいるのではありませんか。聖書そのものよりも塚本〈先生〉の立派なご研究に頼っているのではありませんか」と言うのです。
〔12-②〕
「そんなばかなことが・・・」と皆さんはおっしゃるかも知れませんが、どこかにそんなばかなことがあるのでなければ、こんな問いがなされることもないでしょう。
〔それは〕親の心子知らず、師の心弟子知らず、の類(たぐ)いです。とはいうものの、〔正直を言って、〕私自身そのような時代がありました。
だから顧(かえり)みて他を言うわけですが、しかしもちろん、これは本末転倒でありまして、〔決して〕先生の教えがキリストの教えに取って代わるべきではありません。
師から学ぶけれども、師にとらわれない自主独立の精神を持つべきことは、言うまでもないことです。
〔12-③〕
「弟子は師に勝(まさ)らず」、〔いのちの福音と救い主キリストの許に導いてもらった者として、〕われわれはどこまでも〔恩〕師を立てねばなりません。しかし、〔同時にわれわれは、新たに与えられた課題を担って、〕ついには師を越えて進んでゆかねばなりません。
ここに師弟関係の逆説があるのです。そうして、真の伝統の継承は、この逆説において成り立つのです。それは直接的な師弟関係の絆(きずな)を、真理の名において一たび断ち切るところに生じる逆説です。
〔13-①〕
われわれの本来の師はキリストであり、先生はキリストから遣わされた使者であり、キリストの証人〔なの〕です。
その使者の口上(こうじょう)や証人の証しがいくら立派だからといって、それをそのまま真似るのはおかしなことです。
伝統の真の継承は、直接の模倣や踏襲(とうしゅう)を拒否するところから始まります。
〔13-②〕
それを端的に示すものが、師の没後における処理の仕方でありましょう。
〔すなわち、〕集会の解散、〔伝道〕雑誌の廃刊など、いわゆる一代限りのきれいな後始末をつけ、直接の跡つぎを定めない、という内村先生以来のあのやり方です。
これは、〔無教会に〕はなはだ特徴的な事がらでありまして、キリスト教をも含めて世の多くの宗教や芸道社会に見られる、世襲や相伝の方式とは選(せん)を異(こと)にするものです。
すなわちそれは、一切を神の手に返し、その後新たに神に召された者が、自発的にその精神を受け継ぐところの、いわゆる〈カリスマ的継承〉、〔つまり、〕肉によらず〔御〕霊の賜物(たまもの)による、非連続的継承であります(非連続の連続)。
『内村鑑三とともに』という遺著において矢内原先生が、あれほど師〔・内村〕の精神を受け継ぎながら、自分が内村の〈正統〉であり〈高弟〉であるであるという意識を、自他に対して厳しく拒(こば)んでいるのは、この間の消息をよく物語るものと言えましょう。
〔14-①〕
このような継承の仕方は、聖書に照らしてみると、どうでありましょうか。
まず旧約〔時代〕についてみますと、士師(しし、注2)の場合には明らかにカリスマ的であり、王と祭司の場合にはだいたい世襲的(=連続的・直接的)です。
預言者では、エリヤ-エリシャの場合のように、カリスマ的ではあるが直接的・連続的な相伝の例もあります。しかし、アモス以後の預言者(、ホセア、イザヤ、ミカ、エレミヤ等)の場合には間接的・非連続的(であり、カリスマ的)な継承です(注3)。
〔14-②〕
新約〔時代〕の使徒についても、直接的と間接的と、両方の場合がありますが、一応、ペテロの場合は直接的、パウロの場合は間接的(、カリスマ的)と考えられます。
〔しかし、〕「人々からでもなく、人を通してでもなく」(=間接的)と言ったパウロでも、一方、コリントⅠ 15章〔3節〕では、「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたことです」と述べています。
つまり、彼も原始教会の伝承を直弟子たちから〔直接的に〕受け継いでいたのです。
〔14-③〕
ローマ〔・カトリック〕教会がマタイ〔福音書〕の16章〔18、19節〕によって、〔使徒〕ペテロの上に《正統》、いわゆる〔直接的な〕「使徒的継承」を主張するのは周知のことですが、〔歴史的事実として〕イエスが果たしてそんなことを言ったかどうかは〔、聖書学的に大いに〕疑問でありましょう(これについては、『無教会主義論集』3の秀村欣二「無教会主義と原始基督教」参照)。
〔15-①〕
以上、簡単に聖書における継承の仕方を振り返って見たところでは、無教会の場合は、だいたい預言者とパウロのそれに近い、と言うことができましょう。
したがって、この点においても無教会の系譜(けいふ)は、旧約の預言者-パウロ-宗教改革者(M.ルター等)の線に連なるものでありましょう。
〔続く〕
♢ ♢ ♢ ♢
(出典:1963年 「内村鑑三先生記念キリスト教講演会」記録・鈴木俊郎編『内村鑑三の遺産』山本書店、1963年収載「伝統について 中澤洽樹」の13~17項。読みやすくするため一部表現を改変。ルビおよび( )、〔 〕内、《 》、〈 〉、下線は補足)
注1 福音-出会いとしての真理
スイスの神学者、E.ブルンナー(1889~1966年)は、聖書の世界を〈神と人間の出会いの世界〉として、また聖書の真理を〈我(われ)と汝(なんじ)の出会いとしての真理〉として捉えた。
福音のいのちは、キリストと彼の弟子たちの場合と同様、今日においても、神の導きによる人格的な出会いの中で、人格から人格へと伝達される。
このような聖書的真理の伝達様式は、〈真理の人格的伝達〉と呼ぶことができよう。
注2 士師(しし)
イスラエル部族連合時代(イスラエルのカナ占領から王国成立までの間。B.C.1200年~1050年頃)の軍事的、政治的指導者を指し、12人を数えた。
士師の原語「ショーフェート」は、一般に「裁く人」をさす。
〈士師〉の称号は、イスラエルを外敵の脅威から守った英雄たち(ギデオン、サムソン等)、および平時における社会秩序の維持を職務とする指導者たち(士 10:15、12:8~13)に用いられた。
旧約聖書の『士師記』に彼らの生涯、事績が記されている。
彼らは王ではなく、したがって、世襲もしなかった。M.ウェーバーは、これらの士師に《カリスマ的指導者》の典型を読み取った。
(注1の参考文献:大貫隆ら編集『岩波 キリスト教辞典』岩波書店、2002年、468項、馬場嘉市編集責任『新聖書大辞典』キリスト新聞社、590項、サムエル・テリエン著 小林宏・船本弘毅訳『新版 聖書の歴史』創元社、1991年、23~25項)
注3 預言者イザヤの召命 The calling of the prophet Isaiah
「イザヤは紀元前8世紀後半に活動した〔南〕ユダの預言者で、〔預言者〕エレミヤよりもなお120年ほど前の人です。
イスラエルではサムエル以来、大小の預言者がアルプス連峰のごとく輩出しましたが、中でも最も偉大なのは、イザヤとエレミヤでした。
エレミヤにマッターホルンのような深さがあるとすれば、イザヤにはモンブランのような大きさがありました。
預言者は〔神に召されて、〕神の啓示を見、神の声を聞いて、これを国民に告知する人でした。
したがって国民の将来に関する神の言葉も語りましたが、未来の出来事を予見するのが預言者の使命の特色であったのではなく、過去、現在、将来のことを問わず、神に代わって神の意志を語るのが預言者の任務でした。
それゆえ「預言者」という訳語は不正確、と言わねばなりません。〔むしろ、〕欧米語で Prophet(代言者)という方が、原語の意味に近いのです。
イスラエル民族の宗教生活の指導者としては、別に《祭司》という階級がありました。これはアロンの子孫が世襲的にその地位についた職業的宗教家であり、〔旧約〕律法に規定された方式にしたがって〔神殿の〕祭祀(さいし)・礼拝の行事を掌(つかさど)りました。
ところが、このような世襲的職業的宗教家の常として、律法の文字に拘泥(こうでい)して〔その〕精神を〔見〕失い、形式的宗教に堕して信仰の生命を喪失するおそれがありました。その弊害に対抗して起った者が預言者です。
預言者は祭司のようにその出身の氏族を限定せず、また世襲でもありません。エレミヤのように祭司の子もいましたが、〔また〕アモスのような羊飼いもいました。
彼らは神殿に寄生して生活する職業宗教家でなく、あるいは炉辺から、あるいは野から、神の直接の召命(しょうめい)によって選び出された自主独立の人間でした。
彼らには、生きた信仰と〔神〕ヤハヴェに対する真実以外に、何ら任用の資格も条件もありませんでした。彼らの権威は〔形式的な〕律法に基づかず、〔神からの直接的な〕霊感(・霊能:カリスマ)によりました。
彼らの活動は祭祀・礼拝のことに限らず、広く政治と国民道徳の全面にわたりました。彼らの視野はイスラエル民族だけにとどまらず、当時知られていた世界諸国に及びました。
政治家と宗教家と国民全体に対して自主独立に神の言葉を代言し、神の正義が地に成るために生涯を捧げた者、これがイスラエルの預言者でした。
そしてイザヤは、その中でも最大の者の一人であったのです」。
(注2の出典:矢内原忠雄『続 余の尊敬する人物』岩波新書、1949年、「イザヤ」1~2項より現代語化し引用。ルビおよび( )、〔 〕内、《 》、〈 〉、下線は補足)
- 017-