イエスの純福音・無教会の精髄・第二の宗教改革へ
― まごころで聖書を読む。そして、混迷の時代を神への信頼と希望をもって、力強く前進する ―
We read the Bible with all our hearts. And we move forward powerfully in this era of turmoil with trust and hope in God.
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最終更新日:2024年12月7日
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1. 内村鑑三と無教会の精神
〔1-⑪〕
内村にとって、信仰の権威は、ただ神の御言葉にのみもとづいている。
この神の御言葉は、綿密な聖書の研究と祈りと良心における直接的な語らいとによってとらえることができる。しかし、そのことは、権威の源泉あるいは恩恵の管理者(付注1)としての既成教会の拒否を意味している。
「キリスト教〔の本質〕は制度ではない。教会ではない。それはまた信仰箇条ではない。教義ではない。神学ではない。」
さらには、それは、文字通りにとらえられた「聖書ではない。キリストのことばでもない」。むしろ、「キリスト教は人である。生きたる人である。……〔生ける〕主イエス・キリストである。キリスト教がもしこれでないならば、つねにいます生きたる彼でないならば、これ何でもないものである。余は直ちに彼〔のもと〕に行く。教会、法王、監督、その他有象無象の役僧を通して行かない」(「キリスト教とは何であるか」1914年)。
〔1-⑫〕
キリスト教においてもっとも重要なのは、イエス・キリストとの生きた出会いである。それは、ただ神の恩恵と人間の信仰とによってのみ可能である。
それ以外のいっさいは、彼にとって、非本質的であり、じっさい、多くは望ましからざることのようにみえた。
教会組織は第二義的なものである。
内村は、つねにただ本質的な事柄のみをとらえ、強調しようとした。彼が既成教会を否定したのは、なるほど一部は教会の腐敗がすでに多くの人びとにとって躓きの石となったことからも由来している。しかし、主として、信仰にとって〔制度〕教会が非本質的であるということにもとづいている。
〔1-⑬〕
たしかに、内村が宣教師たちや既成教会とのあいだにもった若干の不幸な経験が、そのことの原因の一部となっている、と指摘することもできよう。
当初、彼は、教会にたいして友好的な関係をもち、メソジスト教会の宣教師から受洗している。しかし、宣教師たちにたいする彼の態度は、ひじょうに複雑であり、一義的ではない。
〔1-⑭〕
一方では、内村は、しばしば、彼らの日本語や日本文化に関する知識が不足していることを批判し、また彼らの伝道方法そのものを非難した。
彼の理解によれば、宣教師たちの方法は、日本人の魂の深みにまで十分に切り込むことができない。なぜなら、日本の方が西欧よりも、いっそう宗教的だったのだから。
この連関において《キリスト教的西欧》にたいする内村の幻滅も考慮されるべきであろう。彼は、アメリカにおいて、それまでナイーブに抱いていた《聖地》というイメージを放棄しなければならなかった。
〔1-⑮〕
他方では、彼は、日本にいる宣教師たちの中によい友人を見いだし、また年若い宣教師たちに有益な助言を惜しまなかった。
じっさい、彼自身、海外宣教という目的に大きな関心を寄せていた。彼は、自分の信仰の仲間たちから献金を集め、それをアフリカ=ランバレネのアルバート・シュヴァイツァー博士のもとや中国奥地伝道協会へ送った。
いずれにせよ、内村には、外国伝道協会によって創設され支援される教会は、日本の国土に深く根をおろすことがなく、むしろ、少数派として社会の表面にとどまっているように思われた。
〔1-⑯〕
ここで出てくるのが、彼の《日本的キリスト教》という観念である。
内村は、日本の歴史が、ちょうどイスラエルやヨーロッパあるいはアメリカの歴史と同じく、神の摂理のもとにあると考えていた。彼は、日本において、また日本のための教会が神御自身によって創造的な仕方で始められることを夢み、また求めた。
「〔教会〕監督によりて建てられし教会あり、宣教師によりて立てられし教会あり。されどもわれらは神の聖書を学んで、神によりてわれらの教会を建てられんと欲(ほっ)す。
聖書はドイツにルーテル教会を生めり。英国にメソジスト教会を生めり。同じ能力(ちから)ある聖書はまた日本に純なる日本教会を生まざらんや」(「独立教会の建設」1905年、『所感』所収。付注2)。
〔1-⑰〕
キリスト教が日本に根づくためには、キリストの福音が日本人の不安な心情をとらえ、日本人の魂に罪の赦しを示さねばならない。
じっさい、日本における仏教の土着化は、700年前に道元、親鸞、日蓮などの預言者的精神によって、それが当時の日本人の精神的危機を正しくかつ深くとらえたときに、はじめて可能となった。
神が個人や国民と歴史的に関わりたもうこの精神的伝統の基盤の上に、内村は、日本的キリスト教を建てようと望んだ。
じっさい、内村の場合、たとえば《武士道》が彼のキリスト教への回心のための導き手として -ちょうど旧約聖書における《律法》のように- 大きな役割を演じたことを見逃すことはできない。
〔1-⑱〕
福音の宣教が〔神の〕啓示という性質を失うべきでないとすれば、宣教は一国民の、あるいは一時代の精神的危機を突破して、神の御前における人間の危機を照らし出し、福音の真理的契機を明らかにしなければならない。
内村の確信によれば、無教会運動の信仰は福音的キリスト教の真正な形態であり、人間の業(わざ)によらない神の恩恵にたいする生きた信仰である。
それは、旧約の預言者たちによって経験され、イエスによって実現され、パウロによって定式化され、宗教改革者たちによって再発見されたところのものである。
「世界は宗教改革の仕直しを要求する。第16世紀の宗教改革は、阻止されたる〔未完の〕運動として終った。プロテスタント主義は制度化せられて、放棄せられしローマーカトリック主義に後もどりした。
われらは、プロテスタント主義を論理的結論にまで持ち行く再度の宗教改革を要求する。新プロテスタント主義は、完全に自由にして、その内に教会主義の痕跡だもとどめざるものであらねばならぬ」。
〔1-⑲〕
2000年にわたる教会史をふり返りながら、彼は、「地の果てなるもろもろの人」(イザヤ45:22)に向かってイザヤの預言した出来事が、地の東の果〔、日本〕においてあらわれることを期待する。
「神はこの日本国において、かかるキリスト教の現われんことを欲したまわずと誰が言い得るか。
人類の霊的向上の歴史において試みらるべきこの新しき試み、すなわち日出(い)づる国においてキリスト教の根本にさかのぼり、これを新たに始めんとする大なる試みは、われら日本人の間に試みらるべきにあらずと誰が言い得るか」(「宗教改革仕直しの必要」1928年、付注3)。
〔1-⑳〕
ここで問題になっているのは、狭量なナショナリズムではない。
内村は、日本や日本人の誤謬について目を閉ざさなかったし、彼の後継者たちも、くり返し《誤った愛国主義》を批判した。そのことは、これらの人びとこそ日本の帝国主義戦争に反対した主要な代表者だったことを見れば明らかであろう。
おそらく無教会運動は、ほんとうの意味で《愛国的》であるということができよう。
なぜなら、彼らの最大の関心事は、西欧から輸入された既成教会の助けを借りないで、日本人自身の手で、日本の人びとに、キリストの真の福音を伝えようとすることだったから。
〔1-㉑〕
内村は、好んでこう語った。
「私に愛する二個のJがある、その一〔つ〕はイエス(Jesus)であって、その他のものは日本(Japan)である」と(「私の愛国心について」1926年)。
彼の墓碑銘には、彼の熱愛した次の句が刻まれている。
「私は日本のため、
日本は世界のため、
世界はキリストのため、
そして万物は神のため」
と(付注4)。
ここに、われわれは、つぎの事実を認めることができよう。
「いっさいの自己讃美、自国讃美は、それによって神讃美を排除するものであり、《国民》(Nation)もまた、まさに神讃美の行なわれる場所であることによって、はじめて神の国に属し、神の民に関わるものとなるのである(2)」。
原注
(2)W.Holsten,Die Bedeutung der Nation in der Internationalitӓt der Mission,in:Evangelische Theologie,1961 Heft 9,S.433.
*以下、内村著作集の引用は主として教文館版による。
〔続く〕
♢ ♢ ♢ ♢
(出典:『宮田光雄思想史論集 3 日本キリスト教思想史研究』創文社、2013年収載の論文「3 無教会運動の歴史と神学」78~80項。ルビおよび〔 〕内は、サイト主催者による補足)
*以下は、サイト主催者による付加注。
付注1 《救済機関》としての制度教会
地上における神の代行機関として、聖書の解釈、教義の確定と適用を定めて信徒を教導する権限(教導権)を有し、《教会法》を執行し、さらに人々の救済までも左右するとされる教会のこと。
歴史上、カトリック教会は長期にわたり「唯一の救済機関」であると主張した。
イエスの時代には、ユダヤ教神殿支配体制および《最高法院》(サンヘドリン)が、地上の《救済機関》として神の権威を代行し、民の上に君臨(くんりん)した。
付注2 現代語訳「独立教会の建設」
「〔教会の〕監督によって建てられた教会がある。〔外国人〕宣教師によって立てられた教会がある。しかしながら、われらは神の聖書を学ぶとき、神によって〔直接、〕われらの教会(エクレシア)を建てていただきたいと願う。
聖書はドイツにルター教会を生んだ。英国にメソジスト教会を生んだ。同じ能力(ちから)ある聖書はまた、〔各国と同様に、〕日本に純粋な日本教会を生むにちがいない〔とわれらは信じる〕。」( )、〔 〕内は補足。
付注3 現代語訳「宗教改革仕直しの必要」
「神はこの日本国において、このようなキリスト教の現われることを望まれないと誰が言いうる〔だろう〕か。
人類の霊的向上の歴史において試(こころ)みらるべきこの新しき試み、すなわち日出づる国〔、日本〕においてキリスト教の根本(=イエス・キリストその人の《福音》)にさかのぼり、これを新たに始めようする大いなる試み〔、つまり《第二の宗教改革》〕が、われら日本人の間で試みらる道理がないと誰が言いうる〔だろう〕か。」( )、〔 〕内は補足。
付注4 内村鑑三の墓碑銘
内村の葬儀の後、弟子たちは内村の古い英語聖書の扉に彼自身の手で書かれた次の英文の句を発見した。
To be Inscribed upon my Tomb.
I for Japan;
Japan for the World;
The World for Christ;
And All for God.
訳すと、次のようになる。
わが墓碑に刻むべきもの
私は日本のため
日本は世界のため
世界はキリストのため
そして万物は神のため
(参照文献:政池仁 再増補改訂新版『内村鑑三伝』教文館、1977年、633項)
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