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聖書に学ぶ 032

2024年13改訂

ウィリアム・バークレー

Significance of Bible study

聖書研究の意義

-6人の忠実なしもべたち-

Six faithful servants

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​小澤 征爾

​注10

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Significance of Bible study

聖書研究の意義

〔 1 〕

1-①〕

FCグラント(注1)『聖書の読み方』〔という本〕の中で、彼の友人が経験した〔出来〕事について述べている。

 

この友人は、あるグループの人々に聖書の読み方について講演していたが、講演が終わるとすぐに、若い女性が起ち上がって、こう言った。


聖書の読み方について、聞くまでもありませんわ。〔聖書の〕どこでも開いて、3節を読み、心を空(むな)しくしていれば、あとは聖霊が教えてくださいますから!」

 

確かに、〕そのような立場をとる人に〔とって〕は、聖書の研究など〔というものは、〕存在しないのである。

 

1-②〕
偉大な〔米国の〕黒人教育者、ベンジャミン・E・メイズ(注2)は、自著『反抗者に生まれて』の中で、彼の若い時代には実際、多くの黒人の間に、教育に対する偏見(へんけん)があったと述べている。


彼自身も教育を受けるために、最終的には自分の父親に反抗しなければならなかった。

 

なぜなら、彼の〕父親は「神は人々を宣教に召されたが、召されたときには、〔必要な場面で〕神が語ることを教えてくださる」という立場だったからである。〔つまり、宣教や伝道に〕教育や研究など必要ない、というのである。

 

〔 

〔2-①〕
もっとも素朴な人、もっとも教養のない人でも、まったく学問の助けなしに、聖書の中に《神のことば》を見出し、生命(いのち)の力、悲しみを慰めるもの、行動のための指針を発見することはできる

そのことは〔真実であって〕、誰も否定しない。


しかし、多くの準備をもって聖書に接すれば、それだけ多く聖書から得るものがあることも、〔また〕真実である。

 

何事であれ、私たちが耳を傾ける場合、ただ一つの水準(やり方)しか存在しない〔という〕わけではない。

 

〔2-②〕
音楽を例にとろう。

 

私たちは偉大な交響曲をすばらしい音の流れとしてだけ聴くことがあ〔るだ〕ろう。これは、もっとも単純な聴き方である。

 

しかし一歩進んで、〕私たちは楽譜を学び、楽曲の構造を調べることができるだろう。

 

それによって私たちは、〕作曲家が〔交響曲において〕どのように主題を導入し、展開し、組み合わせているかを〔良く〕理解するだろう。

このようなことは、音楽のさらなる研究に役立つのである。

 

あるいは、〕音楽を鑑賞する前に、その作曲家の人生と経験について、いくらか調べてみよう。

 

そうすることにより、その音楽が生まれた〔ときの〕状況がいくらか分かるだろう。またそのことが明らかに、その音楽を〔私たちにとって〕より意味のあるものにしてくれるだろう。


ベートーヴェンの第九交響曲を例にとって、説明しよう。

 

この曲が〔私たちの〕身体(からだ)を感動させ、心に語りかける音とメロディーであると〔だけ〕しか知らなくても、この交響曲を聴くことはできるだろう。

 

しかし〕私たちは楽譜を学び〔、そのことによって〕、それぞれの楽器の登場とそれぞれの主題の展開を予期して聞き耳を立てて、音楽の〔素晴らしい〕展開の形を聴くことができるだろう。

 

さらに私たちは〕演奏を聴きに行く前に、ベートーヴェンの生涯について何がしか〔を〕学ぶことができる。


たとえば、〕ベートーヴェンが第九交響曲を作曲したのは、聴力を完全に失ってからであったので、彼は第九を心〔の耳〕でしか聞いていないことを私たちは知ることができる。

 

それを知って後(のち)に、この曲を聴くならば、〔私たちは〕音楽がもたらす最大の感動の一つを与えられるにちがいない

 

〔 3 

3-①〕
聖書もそれに似ている。

 

もちろん、最も素朴な人〔でさえ〕も聖書を開いて、読むことができる。

 

しかし聖書を〔広く、深く〕知れば知るほど、聖書は〔より〕感動的で魅力的なものとなる〔。実際、聖書の真理(真実)が、全く新しい様相を呈して私たちに迫って来ことさえあるのである〕。


このことを〕キップリング(注3)は、詩に次のように書いている。

私には6人の忠実な僕(しもべ)がいる
私が〔今〕知っていることはすべて、彼らが教えてくれたのだ) 
その僕たち〕の名は、何が なぜ いつ
どのようにして どこで だれが である。

また、〕F・J・A・ホート(注4)は、自著『ペテロの第一の手紙概論』の冒頭で、次のように記している。


一冊の書物を正しく理解するために、誰がそれを書いたか、誰のために書かれたか、どんな目的で書かれたか、どのような状況下で書かれたか、を私たちは知りたい」。

 

言い換えるならば、私たちがどれか一冊の本を、また聖書を、真剣に、十分に学びたいと思うならば、キップリングのいう6人の忠実な僕(しもべ)を呼び入れる必要があるのである。

 

〔 4 

〔4-①〕
以下、〔重要な〕問題点のいくつかを取り上げよう。

誰が語るか、はとても大切である。


あるとき、私はコンサートに出かけた。〔そのコンサートの中で、一人の〕バリトン歌手が登場し、ヘンリー(注5)の『打ち勝ちがたきもの』を歌った。

それは、次のような歌詞であった。〕
 
わたしをおおう夜の闇
船の〕マストからマストまで真っ暗闇の中で、
おいでになるどんな神々にも わたしは感謝しよう
わたしの打ち勝ちがたき魂
(たましい)のゆえに

歌い終わって歌手が舞台を去ろうとしたとき、突如、私は、彼が入場したときには気がつかなかったことに気づいた。

 

彼は、目が不自由だったのである。

目の不自由な人がその曲を歌い得るとき、事情は〔全く〕別である〔。

そのとき私が改めて、深い感動に包まれたことは言うまでもない〕

〔4-②〕

新約聖書の〕〈ローマの信徒への手紙〉に、こう書かれている。


神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事(ばんじ)が働いて益となるということを、私たちは知っています」〔ローマ 8:28〕。


寒風に一度ども曝(さら)されたことのない人がこれを語っても、大して印象に残る言葉とはならないだろう。

 

しかし、この言葉を語った人〔、パウロ〕は、針のひと刺し〔どころ〕ではなく、杭(くい、スコロプス)が体の中で廻り、ねじれるような、苦痛に満ちた生涯を送った人であった(第二コリント 12:7)。

そのパウロが、これを語ったのである!〕


たとえ人は〔、その生涯において〕苦しみから解放されることがなかったとしても、〔確かに〕神がすべてを益としてくださる〔のだ、という〕経験をすること-これ〔こそ〕が大切である。

〔4-③〕

いつ語られたか、はとても重要である。

 

預言者〕イザヤが〔召命の〕幻(まぼろし)を見たのは、「ウジヤ王が死んだ年」-悲劇の年〔、つまり紀元前740年〕であった(イザヤ 6:1)。

 

ウジヤは、偉大な良君であった。しかし不注意にも彼は、〔祭司以外には許されていない祭儀行為-〕神殿〔の祭壇〕で自ら香を(た)こうとしたため、その場で〔神に撃たれ、重い〕伝染性皮膚病になった。

 

そして晩年、王の華麗(かれい)な生涯は、みじめな離宮でその幕を閉じたのである(列王記下 15:1~5、歴代誌下 26:16~21)。


ジョージ・アダム・スミス(注6)が述べているように、「王は、伝染性皮膚病の人の墓に埋葬されたが、イザヤの幻〔の中〕では、神の威光につつまれてよみがえった〔のである〕」。

 

幸せな時に神の幻を見ることは、言うまでもなく素晴らしいことであろう。

 

しかし、全く〔の〕悲劇におおわれているときに、神の〔栄光に満ちた〕幻を見ることは、どれほど素晴らしいことであろうか。

そして、イザヤはそのような経験をしたのであった。

〔4-④〕

どこで語られたか、はとても大切である。


パウロが語った偉大な言葉の一つが、〈コリントの信徒への手紙〉の中にある。

それは、次のような言葉である。〕


(みだ)らな者、偶像を礼拝する者、姦淫(かんいん)する者、男娼(だんしょう)となる者、男色(なんしょく)する者、盗む者、貪欲な者、酒に溺(おぼ)れる者、人を罵(ののし)る者、奪い取る者は、神の国を受け継ぐことはありません。

あなた方の中には、〔以前は〕そのような者もいました」(第一コリント 6:9~11)。


コリント(注7)町には、〔恋愛と美の女神・〕アフロディテの神殿があった。

そして、〕そこには千人の女祭司がいた。彼女たちは〔、祭司であると同時に〕神殿娼婦でもあり、毎夕、町の通りに現れ〔ては〕、仕事に精を出したのである。

 

そのため〔当時の〕ギリシャ人たちは、「だれもが、コリントに〔参拝・買娼〕旅行できるほどの金持ちのわけではない」ということわざを持っていたほどである。

 

また、​当時の演〕劇においては、酩酊(めいてい)して登場しないコリント人はいなかった、と一般に言われていた。

 

さらに、〕「コリンティアゼスタイ」というギリシャ語の動詞があったが、この言葉はコリントという〔地〕名に由来するもので、「飲んで騒ぐ」ことを意味している。


 〔コリントの信徒への手紙は、「コリントにある神の教会へ」というあいさつから始まっているが(第一コリント 1:2)、「コリントにある神の教会」〔と〕は-ベンゲル(注8)の註釈によれば、「途方もなく幸(さいわ)いな逆説」である。

 

神の恵みが力強く働いたのは、〔大都市の〕上品な郊外といった地域ではなかった-〔むしろ、〕それは〔風俗の乱れきった〕コリントにおいてだった〔のである。

これによって、私たちは知る。まことに神のなされることは、人の思いをはるかに越えている、と〕。

 

〔 5 

5-①〕
また聖書に記された〕小さな事件の前後関係が少し確定してくると、その事件を〔正しく〕理解するための新しい光が射してくる〔という〕ことが、しばしば起こる。


ヤコブとヨハネ〔の兄弟〕、また彼らの母親が、〔来るべき神の〕国において〔彼ら二人を〕高い地位につけるよう、イエスに保証を求めた事件を例にとろう(マタイ 20:20~21、マルコ 10:35~37)。


この事件は、弟子達が〔イエスの神の国運動を〕世俗的野心や、世俗的王国の関連でしか考えられなかった実例として、しばしば引用される。

確かに、〕そうかもしれない。

しかしそれには、さらに深い意味がある。〔実は、〕福音書の物語の中で、この事件は、信仰の最も偉大な実例のひとつなのである。


事件当時、〕イエス〔たち一行〕は〔一路、〕エルサレムに向かっていた。〔しかも、〕ユダヤ当局との正面衝突は、不可避(ふかひ)であった。

 

イエスは、前途に待ち受ける十字架〔の苦難〕について、彼ら〔、弟子たち〕に繰り返し語った。

 

しかし、先ほどの願いを申し出たヤコブとヨハネは、〔たとえ何が待ち受けていても、〕イエスが最後に勝利する〔もの〕としか考えられなかったのである。

 

確かに〕彼らの申し出は、野心から出た要求だったかも知れない。

しかし同時にそれは、黒雲が濃くなりゆくともイエスは〔決して〕揺るがない、という信仰(信頼)を持った者たちの求めでもあったのである。

 

〔 6 

〔6-①〕
私は〕誰でも聖書を読むことができる、ということは否定しない。

 

しかし聖書を〔シンプルに〕読むだけでなく、聖書を研究することによって、聖書は新しい光をもって輝き出すに違いない。

 

誰が語ったか。いつ語ったか。どこで語られたか。これ〔を知ること〕によって、〔事件の〕様相が異なってくるのである。

 

〔6-②〕
 本書〔『新約聖書案内』〕では、新約聖書をまとめて研究する。わたしが〔本書で〕用いようとしている〔研究〕方法は、次のようなものである。


新約聖書の各巻には、一つの基本的で、〔中心的・〕支配的な思想(真理)を見出すことができる

 

また各巻には、それぞれ〔が〕告げようとしている一つの特別な事柄を見出すことができる、というのである。


もちろん、もっとも短い、もっとも素朴な文書にも、多くの思想(真理)が盛られている。

 

しかし、新約聖書各巻の中心点には、〔文書〕全体の起動因となる一つの〔重要な〕思想(真理)がある

 

それゆえ、本書では新約聖書を〔よく〕調べて、各巻が言わんとする大事な一点を見出したいその後、その〔中心的・〕支配的な真理の光によって各巻を読みたい〔と願う〕。・・

♢ ♢ ♢ ♢

(ウイリアム・バークレー著・高野進訳『バークレーの新約聖書案内』、ヨルダン社、1985年、「序論」の引用。読みやすくなるよう、一部文章を改変。( )、〔 〕内​、下線は引用者による敷衍・補足)

以下の注1~9は、バークレー著『バークレーの新約聖書案内』に付された注を引用したもの。


1 F・C・グラント
1891-1974。米国の新約学界の代表的指導者の一人、ニューヨーク・ユニオン進学校聖書神学教授。

2 ベンジャミン・E・メイズ
1894-1984 年。米国黒人教育者、モアハウス大学名誉学長、マーチン・ルーサー・キング2世の恩師

3 キップリング
1865-1936年。インド生まれの英国作家・詩人、ノーベル文学賞(1907年)、『ジャングル・ブック』の著者。

4 F・J・A・ホート
1828-1892年。英国の聖書学者、ケンブリッジ大学神学教授、ウェスコットと共にギリシャ語版新約聖書の本文研究を行う。

5 ヘンリー
1849-1903年。イギリスの詩人、劇作家批評家。

6 ジョージ・アダム・スミス
1840-1876年。英国の旧約聖書学者。

7 コリント(コリントス)
ギリシャ南部、ペロポネソス半島の基部に位置した交通、商業の中心地。

8 アフロディテ
恋愛と美の女神。ローマ神話のヴィーナスにあたる

9 ベンゲル
1689-1752年。ドイツのプロテスタント神学者、ギリシャ語新約聖書を修訂、出版。

10 小澤 征爾(せいじ)
19359月1日-2024年2月6日。日本の指揮者。

 

1935、満州の奉天(ほうてん、現・中国の瀋陽)生まれ。
1941、日本へ戻り、ピアノを学ぶ。
59年秋、単身渡仏し、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。
60年、クーセヴィツキー賞を受賞。

 

西ベルリンでカラヤンに師事してバーンスタインの目にとまると、ニューヨーク・フィルの副指揮者を務めるほか、日米デビューを果たし、世界の著名オーケストラで重職を歴任。

 

以降、世界各地で高い評価と人気を獲得。また、オペラでも成功を収める。


2000からは若手音楽家育成プロジェクトを開始。文化勲章や日本人初のケネディ・センター名誉賞など受賞歴多数。


20162月の第58回グラミーにて最優秀オペラ録音賞を受賞。

(CDジャーナル)

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